聞かれてもないことなのに

 男というのは女が髪型を変えても気がつかないくせに、女が何かに気がついている様子には敏感なようだ。


 私のいつもと違う態度に何か感じ取ったのだろうか。弘樹が私に秘密を打ち明けてきたのは、それからしばらくのことだった。


 弘樹が買ってきた充実のグッズがきっかけで、私たちは別々に寝るようになっていた。それでセックスレスの状態が続いていたところ、

「カナちゃん、最近ちょっと冷たいよね」

 と弘樹が言ってきた。

「そうかしら。私はあの手作りジャムを作ったのはだれなのか気になっているだけ」

 と私が答えると、弘樹はびっくりした顔をしていた。それで私がしばらく不機嫌にしていたら、聞いてもいないことを弘樹が勝手に話し始めたのだ。


「それで、いつからなの」

 努めて冷静に私は質問を続けた。


「だいたい二年くらい前かなあ……最初はただの客とウエイトレスの関係だったんだけれど、何度か来ているうちに仲良くなってさ」

「なんていう名前なの?」

「『ジンジャーブレッド』だよ。いつも泊まるホテルの隣にあるカフェ」

「そうじゃなくて、女の名前」

「え? ああ、アイラだよ。でもそんなことを知ってどうするの?」

「深い意味はないけど……その人、アイラはカフェのウエイトレスってことね」

「うん。まあ、一応、そういうことになるかな」


「どんな風に知り合ったの?」

「仕事が終わって帰ろうとしたときに、彼女がコーヒーを出してくれたんだよ。それがすごくおいしくてさ。彼女に話しかけたら、彼女も英語ができて、すぐに意気投合した。そして時々話すようになったんだけど、いつの間にか……」

 私はすこしイタズラっぽい表情を作って、

「ウソね。若くていいお尻してたんでしょ」

 わざと意地の悪い言い方をする。そうでなくては私の立つ瀬がないからだ。


 弘樹が黙り込む。私はため息をつく。

「ねえ、はっきり言ってよ。怒らないから」

「……まだ、二十歳くらいだと思う」

 弘樹がボソリと言った。

「うそっ! 若すぎるでしょ」

 私は驚いて言った。

「魔が差したんだ。若い頃の君に似ていたから」

 と慌てて答えた。


 私は内心ムッとした。最悪の答えだ。ちょっとは気を遣いなよ。


「ねえ、その子と寝たのね」

 私は少し責めるような口調で言う。弘樹は、一瞬驚いた顔をして、その後で、申し訳なさそうにした。

「ああ、ごめん。そのとおりです。僕が誘った。どうしても我慢できなくて……」

 と謝る。


 この様子だとまだまだ余罪が隠されているに違いない。でもそんなことは聞きたくなかったから、私は

「バカ!」

 と怒ったふりをする。


 男は本当に、スーパーでトマトを買うみたいに女と関係してしまえる生き物のようで。私はそれが羨ましい。そして私は腹が立っていた。弘樹のことも、隆宏との関係のことも。どうしてこんな男のために私は隆宏との関係を絶つことになったのか。


 それで私は

「もし私も、あなたの若い頃に似ている男の子と火遊びしているの、って言ったら、どう思う?」

 皮肉たっぷりに言った。


 すると、弘樹は真剣な表情になって、

「お願いだからやめて下さい。それだけは勘弁してほしい」

 と懇願するように頭を下げた。


 こういうところがずるいと思う。本気で困らせてしまうと、私は自分が悪いことをしている気分になってしまう。

「バカ。冗談に決まっているでしょ」

「いや、だってカナちゃんならやりかねないっていうか」

 と焦ったように言う。


 さすが弘樹、あなたは私のことをよく分かってるわ。でもそんなことはおくびにも出さず、

「もう! 信じらんない」

 私は怒ってみせる。


「悪かったと思っている。許してくれないか」

 と弘樹は謝る。


 私は弘樹は外で女と関係している常習犯だと思っている。それは出張から帰った弘樹の体臭が、そうとしか思えないくらいにユニークだから。


「アイラだっけ。その子と、何回ヤったの?」

 と私は訊いた。

「二回かな」

 と弘樹が答えたので、

「ウソね。二回ヤったら、あとは何度でもヤるわ。それが男と女」

 と私が断言したら、弘樹はギョッとしていた。

「お願いだからやめて下さい。それ以上は勘弁して下さい」

 と弘樹が哀願するので、私はとても惨めな気持ちになった。


 こうなることを想像していなかったわけじゃない。けれどやっぱり傷つく。弘樹にとっては軽い火遊びだったとしても、私にとっては違うのだ。


 涙が出てくる。男にとっては排泄行為かもしれないけれど、女は文字通りの命がけなのだ。


 けれども、

「ねえ弘樹、あなたを殺して私も死ぬわ」

 こんなセリフが私の口から出てくるかとおもったら、そうじゃなかった。


 気がつけば私はハサミを手に持って

「こんどやったらちょん切るからね」

 そう言ってにっこりと笑って、ハサミを二度三度と開閉していた。


 弘樹は震え上がって恐縮していた。


 それを見ながら私は、

(ああ、私はもう、この人に命がけで恋することができないんだな)

 と、ぼんやり思った。

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