第38話 終焉

「これで貴方はまもなく、クロロが崩壊するわ!」


「お、おのれえぇぇっ!!!」


 ナイフによって打ち込まれたアンプルが、瞬く間にクロロを発現させるパンゲアの細胞を殺戮する。


 自滅プログラムを起動させる条件――それは異なったパンゲアの細胞を結合させることだった。


 異種族にたいする細胞の適応は可能だった。

 

 しかし、同時にパンゲア同種族と融合することを拒む、特殊な特性を持ち合わせていた。


 アンプルに使われたのは、創と彩理が持つ夢のパンゲアによるものだ。

 

 対してウィルクスはそれ以外のパンゲアから取り込んだ細胞を身体に持っていたため、自滅プログラムの発動条件が整っていたのだ。

 

 ウィルクスは急いで彩理のバイオツールを抜き取るが、身体のバランスが思うように取れず、フラフラになっている。

 

 それでもクロロは未だ健在で、赤く輝く髪も長いまま揺れている。


 変化があるとするならば、優勢を貫いていたウィルクスが初めて劣勢に立たされているということである。


「まだだ! まだ僕は! 負けないっ!!」


 狂い出す平衡感覚の異常に耐えながら、何かに取り憑かれたかのように、一気に彩理たちへ突っ込んでいった。


 ウィルクスにとって、弱点を見出した夢の脅威を侮っていた。


 身体が既に持たないということを自覚しているが、せめて力の残るうちに彼女を殺めて一矢報おうと、その双眸が狙う。


 残り少ないクロロを発現し続け、かつての教え子に牙を向け、一気に飛び出す。


 髪の毛が徐々に短くなっていき、顔に手のひらで発生するようなひび割れが出始める。


 それでも彼は止まることをしない。


 彩理は突撃するウィルクスを食い止めるため、回収した橙色のバイオツールも持って彼の正面に立ちはだかる。


「たあっ!」


 ナイフを持つ右手で一気に踏み込み、鋭い突きの一撃を加える。


 ウィルクスはすぐさまバイオツールを左手で受け止め、その勢いのままに握りつぶそうとする。


「ぐっ――まだまだっ!」


 涼しい表情で防いでいた数分前の出来事の再現にはならず、脂汗が溢れ出す険しい顔に変わり果てていた。


「うおおおあああぁっ!!!」

 

 ナイフの一撃を防がれた彩理は、クロロに渾身の力を注ぎ込んでゆく。

 

 次の瞬間、彩理の力と共鳴したナイフが、ウィルクスのバイオツールであるガントレットにヒビをいれ、さらに彼を守る金属ごと切り裂いた。


「ぐわああぁっ!」


 行く手を阻まれたウィルクスに伝わる斬撃は神経の集中する掌へ電撃を走らせるような痛みで満たされてしまった。


 ガラスのように粉々にバイオツールが砕け散り、左手で戦う力は失われた。


 あまりの痛みに数歩下がるものの、止血を確認した後、再び教え子に襲いかかろうとする。


「まだだっ! この右手が残っている!」


 見開いた瞳には、クロロの時とは違う、通常の“ヒト”に戻りつつあった。


 左手のガントレットを破壊した彩理までも無視し、最後の一発を夢に叩きつけることしか眼中に入っていない。


 拳を形成し、威風堂々とする標的を葬り去るべく突撃する。


 もはやバイオロイドの二人を見ることなどしない。


「君はっ! 君だけは許さんっ!」


 叫びだすウィルクスの拳には業火の如く右拳の存在する空間が揺らめいている。


 最後の力を込め、夢と一直線上に並んだことを確認し、右腕が吠えた。


 しかし、無情にもその拳は夢を捉えることなどできなかった。


 この一撃を、創がしっかりと緑の刃で受け止めていた。


「はあっ!」


 そのまま押し切り、ウィルクスの右腕の力が抜けた瞬間に目を離さず、創はナイフを下から上へと振り上げ、軌道上にいた右手のガントレットを粉砕し、同時に守られていた生身の腕までを切り裂いた。


「ぬああああぁっ!」


 髪の毛が元の長さに戻り、髪の色も赤髪から茶髪に戦う力を確実に失うウィルクスの前には、彩理と創――二人のバイオロイドが彼の両胸を同時に刺し、そのダメージが効いたためか、クロロが完全に消去された。


 真っ赤な白衣を着たクローンはナイフを引き抜かれ、尻餅を付きながら床に倒れる。


 傷への再生力は健在で、痛みに苦しむ表情もすぐに治まった。


 元の姿に戻り、彼の命は続いている。


 しかし、クロロの崩壊によってバイオツールは破壊され、戦うすべを失ってしまった。

 彼が自ら手のひらを見れば、再生の終わった何の変哲もない皮膚が見える。


 目の前を見れば、失った力を持ち続けるバイオロイドがそこにはいた。


 汗が止まらなくなったウィルクスはひどく狼狽し、懐に隠していた拳銃を夢へ向ける。

 

 それは彩理へ向けて発砲したリボルバーでもあった。

 

 だが、それを夢に向けたとしても、引き金が絞られることはなかった。


 突如として謎の炎と共にウィルクスの拳銃が右手からはじき出されたのだ。


 室内の全員が炎の出現した方向を見やれば、そこには戦いを終えて合流を試みたパイロシフターの使用者――ジル・レザックだった。

 

 いつの間にか室内にドアを開けて中へ入り、離れた距離からピンポイントスナイプを披露していた。


「Freeze! チェックメイトですっ!」


 右手で銃を構えたまま、彩理たちの勝利を笑顔で確信する。


「ジルさん!」「姐さん!」


 ほぼ同時に彩理と創が彼女の名前を叫んだ。


 追い討ちをかけるように夢が宣言を執る。


「これで貴方は不老不死になった“ただのヒト”よ」


「ははは、僕の負け、か……」


 ウィルクスの仕向けたバイオロイドは全滅し、改めて完全なる敗北を喫した。


 大きく脱力し、戦維喪失する彼をよそに、ジルが夢へ報告する。


「先生っ! もうちょっとでお巡りさんがやってきますのでご安心を!」


 ビシッと敬礼のポーズをしてみせる。


「ジル。よくやったわ。でも、あなたも怪我しているじゃない」


 所々服やレギンスが破れ、左肩には火傷を負うにもかかわらず、ジルはアクティブだった。


「ちょっと痛いですが、問題ありません!」


「ええ。終わったら病院で診てもらいましょう」


 病院というワードにジルはおののく。


「うぅ……病院は苦手です」


 きっと注射にトラウマでもあるのだろう、と夢は聞き流した。


「さてと。あとはパンゲアの救出かしら?」


 彼女の一言によって本題に突入する。


「そのことなんですけど、わたしたちと一緒に来てもらえませんか?」


「え? どうしたの? 改まったりして?」


 勿論だと言わんばかりの夢は、彩理の意図がよくつかめなかった。


「母さん自身の目で見て欲しい事なんだ」


 創も同様の言葉を伝え、ますます意図が不明なままだった。


「とっ、とにかく来てください!」


 彩理は一刻も早く見せたいがために、口調を強くして夢に伝える。


「わ、わかったわ」


 あまりの迫力に気圧され、夢は素直に答えるしかなかった。


「姐さんは警察が来るまでこの人の監視を」


「お任せを!」


 彩理、創、夢は2階奥にある入口とは別の扉から倉庫に囚われているエリシアを目指し、歩を進める。


 三人が中へ入ると、開いたままの扉から冷たい風が待ちわびていたとばかりに入り込んでくる。

 

 ジルが抜け殻と化したウィルクスの見張りを勤めることになり、パイロシフターを手に持ちながら、彼と真正面に向き合う。


「よく、あれを破壊できたものだ」


 負けという現実に打ちひしがれながら彼女へ言葉を紡ぎ出す。


「精密機械は砂が大敵ですからねぇ~」


 口の端を釣り上げて笑うジルが、右手で持ったパイロシフターに加え、左手で彼にまじまじと見せつけたものは、戦利品として持ち帰った、もう1丁のパイロシフターだった。

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