第21話 昔話 / 生物の命名

 ある春のことだった。


 今頃、首都のワシントンD.C.では桜が咲いているのだろうか。


 通っていた大学のラボでの話。


「ユメ、それにしても不思議な生物だ。数ヵ月というあまりに短い期間で動物にも植物にも進化することができるなんて」


「私も発見した時には驚いたわ。この1年間に異常な動植物の増加が見られていた周囲の海岸を調べていたけれど、すべて同じ生物から起因していたようなの」


「これなら、先生が求めている研究が一気に進みそうだな」


 眼鏡をかけ、黒のショートヘアーをした、一人の女子学生がいた。


 芦川夢だった。


 アメリカ東海岸にある、大学付属の海洋研究所。


 シカゴからやってきた、黒髪に彫りの深いラテン系の男子学生が話しかけてきた。


 二人の見つめる水槽には、淡い緑色をしたにラットに近い大きさの、ウミウシの仲間と思われるものが入っていた。


   *


 物理学者の芦川準、夢を生んだ直後に故人となった母との間に生まれた。


 日本で高等専門学校を卒業したのち、アメリカの大学へ行くことになった。


 興味は物心が付いた時から科学、物理、生物などの理数系の分野へ向いていた。


 あるときは中学時代、二足歩行の自立型ヒューマノイドの構造を独学で学び、完成させてしまった。


 またあるときは高校時代、朝方に同級生の犬が心停止で亡くなったと聞き、その同級生の家へ向かい、生理食塩水と大容量コンデンサによる電気ショックを駆使して蘇生させてしまった。


 良くも悪くも行動力があり、あまりにも飛びぬけた発想を持っていたためなのか、呆れたように父親は笑った。


「夢。この国の教育ではおまえには手に余りすぎる。アメリカの大学に行きなさい。そこには父さんの知り合いがいるから、掛け合っておこう」


 父親が大学の同期に教授がいるらしく、推薦してもらえるようにお願いしていたのだ。


 夢にとっては理数系の分野にしか興味がなく、将来のことも考えずに、ただひたすら授業中も、自宅へ帰っても、新しい研究や発明品の構想を考えては実行するばかりだった。


 渡米して、父親の意図がわかったような気がした。


 出る杭を打つように個性が整えられた故郷はどこか生きづらく感じることがあった。


 そんな矢先に訪れたアメリカは、日本にいたころの呪縛から解かれたようだった。


 夢の考え方や発想、性格を受け入れてもらえ、日本にはない科学、生物学、物理学など多数の文献を自分で見つけることができ、新たな技術研究と発明を相変わらず続けていた。


 夢の環境に大きな変化が訪れたのは、二十歳を過ぎた頃。


 生物学部門のラボで同期の男子学生のリックと共に、ある自然現象の調査チームへ参加することになった。

白髪に白い髭をたくわえた教授のウィルクスが呼びかけた。


「マサチューセッツ州のバザーズ湾にて海水温の急激な上昇、不自然に海岸近くの森林が砂浜に向かっての拡大、新種と思われる海洋生物の大量発生を含めた調査の依頼が大学に入った。ユメ、リック。僕と共に調査チームへの参加をお願いしたいのだ」


「ええ、喜んで」


「オレもできることをしますよ、教授」


「ありがとう、二人ともすぐに準備を」


 迷いはなかった。


 新たな生物の発見や現象、それを解き明かしたくてたまらない。新しい遊びを見つけた子どものように、心がはしゃいでいた。


「ラボにいる子どもの世話は、実に大変だ」


 まだ見ぬ謎を目の前にして瞳を輝かせている夢に、リックはただ苦笑していた。


 バザーズ湾は夢たちの所属する大学から近い場所にある。


 研究機材を積んだ車を走らせ、調査チームと共にバザーズ湾へ到着した。


 確かに、陸に沿って不自然に森林が生い茂り、鳥や小動物の類に新種と思われる生物が大量発生していたのだ。


 夢たち三人は海水温上昇の調査班に位置していた。


 不思議なことに、海水に身体が触れなくとも、暖かい潮風が際限なく吹き続けているのだ。春の海は寒いと考えられていたが、ここだけは初夏の気温に匹敵する温度だったのだ。


 目視したところで湯気は見えない。


 温水プール程度といったところだろうか。


 早速リックが湾の海水を金属製の水温計で測ると驚愕した表情を見せた。


「これは……まるでシャワーの温度じゃないか」


「うそ……四十度!?――温かすぎるわ。冬から訪れている生物がいなくなってしまうし、真夏でもこんなに熱くはならない」

 

 その時、ウィルクスは顔をしかめながら一つ疑問を投げかけた。


「しかし、本来であれば死んだ生物が浜へ打ち上げられているはずだ。見ろ。死んで打ち上げられているどころか逆に動植物が近くの森林で繁栄している」


「そうです――そこが、不思議なのです。死骸が全く見つからないなんて」


「オレも同感です。貝類か何かが死骸を食べ尽くしてしまったのかもしれません」


「可能性がありそうね」


「ふむ。罠を仕掛けてみようか」


 鋼鉄製のゲージに包まれた水棲生物用の罠にあらかじめ用意した生魚の切り身を餌として浅瀬へ沈める。

罠が空気を泡へ変えながら自重で海中へ沈み、濁らせながら姿を消した。


 それぞれ罠には小型の水中カメラが搭載されおおよそ百メートルごとに三箇所設置し、一時間が経過した頃―――変化が訪れた。

 調査チームの拠点となっていた浜辺の仮設の巨大テントにて。


 外ではリックとウィルクスがコーヒーを飲みながら休憩している頃、私はテントへ残り、熱心にカメラのモニターを観察していたが、私の目に映った新たな光景が、目を丸くさせた。


 ある一つの水中カメラに、画面内で緑がかったエイのヒレのような物体が近づいてきたことを確認した。


「教授! リック! 何かが罠に近づいてきています! すぐにモニターをチェックしてください!」


 テントを飛び出し、他愛もなく会話していた二人に向かって叫んだ。


 再びモニターへ顔を向けると、さらに残りの2台にもヒラヒラした物体が無数に現れ、罠に仕掛けてあった餌を捕食し始めた。


「なんだ、これは……?僕も見たことがないぞ……」


 真剣な目で見る教授。


「よし、ビンゴ!オレの予想通りだったな!」


 そして的中させたリックがはしゃいだ。


 対照的な二人の反応にどう対応したらいいか、私は悩んだ。


「とにかく、捕獲してラボに持っていきましょう」


 貝は、始まりの大陸の名である「パンゲア」と名付けられた。

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