第3章 パンゲア

第19話 インナースペース

 彩理は長い睡眠の中で、少し前に起きた出来事を反芻していた。

 

 創を守るために一人立ちはだかり、身体に銃撃を受けた。

 

 一か八か、アンプルを飲み干したあとに生じた一時的な意識の消滅。

 

 その時の光景が再び音声と映像によるデータとなって脳に浮かび上がった。

 

   *

 


 彩理は一人、何も障害物のないまっさらな場所に立ちすくんでいた。

 

 染まった色はなく、強いて言うなら、この空間は汚れのない白い世界。

 

 もしかして死んでしまったのだろうかと、彩理は考えた。

 

 身体の感覚は、かろうじて存在している。

 

 二本の足で立ち、両腕は重力に沿って下をむいている。


「ここは……?」


 ふと正面に目をやると“彩理のよく知る人物に似た”別の人物が目の前にいた。


 誰かと同じ緑色の長髪、切れ長の双眸、中性的な顔立ち。


 しかし、長いまつげに柔らかな口元、そして華奢な体躯。


 服装は、昔のギリシャ人女性が着ていた一枚布のキトンという衣装に似ている。


 その女性は彩理の方向へゆっくりと歩き、ある程度の距離をおいて口を開く。


「初めまして」


 にっこりと満遍の笑みで彩理にアプローチを行う。


「はっ、初めまして……あの……ここは一体・・・」


 状況がさっぱりつかめない彩理をよそに、女性は笑顔のまま話を続ける。


「ああ、自己紹介を忘れてしまいました。私はエリシアといいます」


 サラサラした髪がこの空間にある光の反射によって時折輝く。


「わたしは、彩理です」


「アヤリ……いい響きですね」


 このやりとりもどこか、あの人に似ている。


「エリシアさん。わたし、ここを出て、助けたい人がいるんです。出口は何処にあるかわかりますか?」


 この人なら知っているかもしれないと、彩理はダメもとで質問する。


「ひょっとして、それは“ソウ”のことですか?」


 不意にエリシアの言葉に現れた創の存在に彩理は驚愕した。


「ど、どうして創の事を!?」


 エリシアは当然とも言える答えを最初から提示しているかのようにあっさりと答えた。


「私――エリシアは、本来ソウの中に内在する細胞そのものなのです」


 バイオロイドを構成する、貝類の細胞と呼ばれるもの。


 彩理の飲んだアンプルにはその細胞が含まれていたということなのか。


「それじゃあ、なんでわたしまで……」


 人である彩理にここまで作用するとは到底理解が追いつかない。


「ふふっ。私に認知されたということは、あなたはソウに次いで二人目の存在になったのです」


 さらなる衝撃が走る。


「それって――まさか、わたしは、バイオロイドになったんですか?」


「詳しくはわかりませんが、きっとそれだと思います」


 またしても、あっさりと即答するエリシアだった。


「私は細胞として、あなたたち二人の情報や記憶を空気中に存在する微弱な電気を通して共有できるのです。もうひとりの“私”が近々あなたがたの元を訪れると思います」


 やはり、彩理はあの時”人ではない人”に変わってしまったのだと、信じざるを得なかった。


 アンプルによって命を繋ぎながら、人外へと変わってしまった彩理の表情は複雑だった。


「アヤリ――出口は私の後ろを突っ切った先です」


 困惑する彩理を気にしているのか気にしていないのか、出口はすぐ先にあった。

「えっ――」


 白い空間しかなかった場所へのワープポイントか、それともブラックホールか、黒く歪んだ空間が出現し、その先には、自我を失い暴走する彩理自身とその彩理をかばいながら戦う創の姿が、ビジョンとして映し出された。


「!」


 迷っている場合ではない。


 彩理は暴走を止めるには、彩理が意識を元に戻し、自我を再び形成するしかない。


「ありがとうございます」


 今後の懸念はこの窮地を乗り越えてからでなくては、考える時間はない。


 彩理は頭を左右に振り、迷いを振り切ろうとした。


「ソウをお願いします。彼は××のために××のことで、今も葛藤しています」


 エリシアだけが知る、創の過去を彩理は受け止めた。


 それは常人でも耐え難いほどの見えない痛みが内部に刻まれているものだと知った。


「そんなことが、あったんですか・・・」


 エリシアの告白に、彩理は目を伏せるしかなかった。


「――ソウを、助けてあげてください」


 それでも、向き合っていくしかない。


 苦しんだ時に出会った、大切な「人」ではない人に、寄り添えるのは彩理しかいない。


「――はい!」


 彩理がエリシアのそばを通り過ぎようとしたとき、足を止めて彼女の方へ振り返った。


「エリシアさん――また会えますか?」


「ええ――あなたの強い想いが、必ずソウの力になります」


 彩理は再び走り出し、これから本来の自分がいるべき場所へ、ビジョンへ飛び込んだ。


「アヤリ――笑っていてくださいね」


 エリシアの言葉はこれが最後だった。


 元の世界へ戻ったあと、彩理は何かの魔法をかけられたかのように、不思議と愉快な気分になっていた。


 その副作用として、狂ったように笑っていたのは言うまでもなかった。


   *

 

 身体の感覚が戻ってきているようだ。

 

 耳から人の声が入ってくる。


 眼は白い天井を移した。


 一つ、空を切って叫んだ


「わあああああぁ!」


 自分は生きていると自覚した直後、一気に上半身を起こした。


「はぁ……はぁ……」


 気がつけば呼吸も脈拍も激しかった


 汗をかいていた。


 手を見やると、左腕に点滴。


 上半身は全体的に包帯を巻かれていた。


 金属製のポールのような物に吊るされていた。


 この風景は見覚えのある・・・芦川家のリビングだった。


 病室のベッドでもなく、布団だった。


 そして身につけているのは入院患者が着用する病衣。


 必死に状況を理解しようと脳が回転を始めた。

 

 その時、何か柔らかいものが自分の両目に衝突するのを避けることはできなかった。


「彩理さぁぁぁぁぁぁぁん!」


「うわっぷ!」


 起き上がった彩理にジルが抱きついてきたのだ。


 おまけに豊満なバストが彩理の顔に覆いかぶさるというハプニングも発生する。


「うわああああぁぁぁぁんよかったああああぁぁぁ!」


 号泣しながら見た目以上に凄まじい腕力で彩理を締め上げていた。


 その痛みは、胸や肩に傷を負った彩理の身体に大きく響いていた。


「あだだだだだだ!! ジルさん!! 痛い痛い痛い痛い!!」


 ギブアップとばかりに彩理はタップするが、ジルによる全力のハグは止まらない。


「ずっと眠っていてこのまま起きないかと思ったんですよ!」


 嗚咽まで溢れ出したジルの言葉に、ようやく心配されていたことに気付いた。


 ジルの声を聞いて創が彩理のいる部屋に駆けつけた。


 創のも包帯だらけで彩理よりも損傷箇所が多いように見える。


 包帯は上半身、腕、足とおまけに顔にはガーゼ。


 安堵した創の顔には、どこかに暗い影があるような、不透明な笑顔が見えた。


「よかった。意識が戻ったのか。・・・でもこっちがびっくりしてしまったよ」


「そ、創! 助けて! 窒息する!」


 創がジルに声をかけ、ついにジルによる罪なき拘束は解かれた。


 長い宵闇に落ちた意識が戻り、本来の陽の光を、浴びることができた。


 彩理は光合成をする植物に似た、強く暖かいエネルギーを吸収する感覚を全身で感じていた。

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