第18話 撤退
彩理はジルが自分の頬に手を触れて笑顔を向けた時の事を鮮明に覚えていた。
不思議な雰囲気を醸し出す、輝く金髪にきらめく青眼。
青い血管透き通った冷たい指が、熱を持った彩理の体に触れる。
それだけのスキンシップが官能的で危険だと脳が錯覚するほどだった。
彩理の肌を撫でた、その手は、その指は、冷たい金属で構成された拳銃を握り、対象を次々に爆発させてゆく。
あの時見せた柔らかな笑顔とは正反対の、鋭い顔つきは戦場へ赴き戦う兵士そのものであった。
突然の襲来に大きく崩れる人型の包囲網。
一人の女性を止めようものなら、対象者は必ず丸焦げになってリタイアすることは容易だ。
駆けつけたジルによって形勢が再び変わろうとしていた。
彼女が彩理たちの前まで近づくと、表情が和らぐ。
「ふふっ、成功しましたよ。やはり水棲生物は乾燥に弱いですからねぇ」
銃口から出ていないはずの煙を息で吹き飛ばし、西部劇のガンマンになりきったジルはニヒルな笑みを浮かべていた。
「ジルさん!」
意外な人物の登場に驚きを隠せない彩理だった。
「ふふふ、彩理さんは帰ったら真っ先にあたしが手当てしてあげます。傷つけないように、ゆっくりと、撫で回すように・・・」
「あ、あははは……」
この状況でも披露するジルの意味深な言葉に、彩理はただ笑うしかなかった。
「……姐さん、いつの間にそんな力を持っていたんだ?」
創はジルの事を“姐さん”と呼んでいるらしい。
「話はあとです! 今はここから退避しましょう!」
ジルが走ってきた方向に目を向けると、眩しい一直線の光が猛スピードでこちらへ突進してくるではないか。
一台の自動車をレーサーさながらの急激なハンドリングで絶妙にドリフト駐車し、彩理たちの目の前に現れた。
ドアを開け颯爽と現れたのは、藤本が殺害を仕向けたはずの中村、その人であった。
完全に計画を狂わされた張本人は嘘だと言わんばかりに脂汗を額に滲みだしている。
「何故だ!? 予定ではお前はとっくに死んでいるはずだ―――!」
たじろぐ藤本に精悍な目で真っ向から中村は視線を射抜く。
「言ったでしょう! 『敵はすぐ近くにいる』と!」
「なっ――!?」
*
本社奥の地下駐車場へ向かう中村にとって、護衛役を買って出た人物の存在に気付けなかった。
それどころではなく、外にいるはずのバイオロイドたちが、待ち伏せをしていたことに驚愕と愕然が同席していたのだ。
そこへ現れたのは、一人の女性。
身体と不釣合なほど頑丈で重量のあるオートマチック銃を手に持ち、颯爽と中村の盾となり、あっという間に全滅していた。
夢から護衛を送るということは以前の通話によって知らされていたが、中村は完全に虚を突かれた印象だった。
「あなたが中村さんですね。先生から聞いています。今回護衛をさせていただくジルです」
目の前でお辞儀をするジルが一対一で対抗が不可能だった今までの力関係をひっくり返したことに唖然とするばかりだった。
「あ、ああ。よろしく頼む。」
「それじゃダメですよ! 堅すぎです」
「す、すまない」
強さを持ちながら子どものように男性を困惑させるジルがここにはいる。
そうこうしているうちにあっという間に攻め込むバイオロイドの大所帯。
「敵の数を減らしてくれ! その間に車を出す!」
中村の止まっていた足が動き出し、逆にジルはその間に人型の足止めを行う。
「わかりましたー! ああもう! “ヤマトダマシイ”も“サムライダマシイ”も日本の殿方は持たないんですか!?」
明らかにここで使うにはおかしいタイミングの言葉だ。
「そんなこと言ってる場合か?」
中村も、レディにエスコートされる羽目になるとは考えもしなかったのだ。
実際、情けない。
しかし、それらを気にしている場合ではなく、今はこの危険地域一帯から脱出しなければならなかった。
イグニッションキーを回し、退路を確保したジルを乗り込ませ残党は無視して突破する。
地下駐車場を殲滅したあとも出口付近で立ちはだかる人型の群れをジルは助手席に乗ったまま助手席の窓から銃を持つ右手を出し、邪魔なものだけを打ち抜いてゆく。
彩理たちと合流しようとした時、既に数多のバイオロイドが退去として二人を囲んでいた。
中村が手遅れかと落胆したとき、隣の女性はシートベルトを外していた。
「あたしが切り込みます!」
ジルが一目散に飛び出し、見事に彩理と創のもとへ辿りついた。
「二人とも、今助ける」
アクセルを踏み込み、一人の男は鋼鉄の怪物で襲撃する。
*
ジルは時間稼ぎとばかりに片っ端から連射を続け、バイオロイドを
「後ろから入れ!」
中村は後部座席へ指を差し、彩理たちに指示を送る。
「は、はい!」
「まったく、待ちくたびれたぞ!」
クロロを使わなくとも、短距離を走るだけなら難しくはない。
切り傷のようなズキズキとした痛みを伴いながら、彩理と創は急いで乗り込み、中村もすぐさま発信の準備をする。
「姐さん! これを!」
「ありがと!」
創が彩理の持っていた最後の閃光弾を未だ外にいるジルに投げ渡し、それをしっかりキャッチした。
「それでは皆さんサヨナラ!」
ジルが言葉と同時に閃光弾を地面にぶつけ、全体に広がる真昼の光に満ちた色と音の衝撃。
アスファルトがタイヤを切りつける音を広げつつ、四人を乗せた自動車がスフィア・プラント本社を煙に包まれながら去った。
「――くそっ! なんてやつらだ! すぐに追わなければ・・・」
悪態をつく藤本の背後から会社の側近二名が息を切らして彼のもとへやってきたのだ。
「社長! 探しましたよ!」
ぜぇぜぇと言葉を出すことも困難な状態で報告を開始する。
「バイオロイドの生産ラインが重大な損傷を受けています! このままではプロジェクトを遂行できません! すぐに指揮を!」
同時進行していたプロジェクトへの障害によって我に返った。
本来の自分の役割を失うところであった。
報告を聞き、早歩きで本社へ足を進める。
「くっ……あの女、やりおったな……」
ぶつぶつと小さく悪態をつきながらも、使命感によって身体は現場へと突き動かしていた。
「命拾いしたな……だが、まだ終わらないぞ……絶対に逃がさん……」
藤本の野心はどこへ向かうのか。
その答えを導き出すには時期尚早だった。
*
自動車の中で安堵の表情を見せるのは血で染まった服を着る彩理。
お揃いで血だらけの服を着る創も、周辺を警戒しているものの、先ほどよりも表情の険しさは消えた。
創の自宅へ向けて車を走らせる中村を含め、話題はジルの銃についての話だった。
「パイロキネシス?」
聞きなれない言葉に彩理は首を傾げた。
「超能力と考えられている現象の一つだ。念じれば特定の場所に火をつけ自分を燃やすこともできる。世界中でたまに何の変哲もなく人体が発火する事件は、パイロキネシスの可能性があるんだ」
創はアドバイスを送った。
「正確には“パイロシフター”と呼ばれる道具を使っているだけなんですけどねぇ」
先程まで撃ちまくっていた拳銃を手に持ち、後ろを振り返りながら二人に見せる。
「これって、どう見ても銃ですよね?」
当然の質問を苦笑いで振る彩理にジルは当然のように答えた。
「この銃には、ベトナムで発見された電磁波を大量に吸収する鉱石が入っていましてね。あとは頭の中で狙いを定めて、撃って撃って撃ちまくるだけなんです! しかも無制限に!」
「……だから弾切れを起こさなかったのか」
何かを納得したかのように中村はバックミラーで後ろの様子をのぞきながら呟く。
「まったく、運転するあなたも護身術か武器を持ったほうがいいですよ! 絶対!」
「……考えておく」
意見を提示するジルに中村はあしらっただけで終わる。
舐められたと思いジルはポカポカと中村の肩を叩いた。
創は考えるのをやめ控えめな笑顔で、運転手と助手席にいる人物を
彩理はいつも以上に蓄積した疲労が眠気となって襲いかかる。
しかし、ぼんやりと何かを創へ伝えたかった、という考えがぐるぐると頭の中で残っている。
そのまま創の肩に身体を預け、眠ることにした。
彩理の頭を優しく撫でる創の手が、そのまま微睡みを誘う。
帰る場所まであとどのくらいか、それすら考えることもままならない。
睡眠の中に身を投じた彩理は、深い夢の中で問いかけた。
――ねぇ、創。
――あなたは誰を
――したの?
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