第4話 心療内科へ行こう

 夏の太陽はまだまだ沈まない。


 午後二時という時間帯は最も気温が上昇するため現在は非常に暑いが、この時間を境にゆっくりと気温が下がっていくことだろう。


 屋外の暑さを遮断する、涼しい空調の室内。


 真っ白な部屋にいくつもの観葉植物。


 暖かい黄色のLEDライトが待合室を灯している。


 彩理と創は今、なぜか学園近くの総合病院内――心療内科を訪れている。


 どうしてこうなってしまったかといえば、夢が研究室を出た後、創が彩理の精神状態について話しかけてきたのだ。


 それは二週間ほど前の話に戻る。


 彩理が泣き止み、研究室の鏡を見てまぶたが腫れていたのを驚愕しながら確認していたときのこと。


「彩理ちゃんは精神的にはまだまだ不安定だし、一度病院へ行ってみたほうがいいかもね。自傷もすぐには治まらないだろうし、薬を飲みつつ経過を見ていく必要がある」


 創は心療内科へ行こうか、と彩理に向かって言った。


「わ、わたし行ったことないよ、心療内科なんて―――怖いところじゃないの?」


「ん? ああ、そんなイメージすぐに覆るよ」


 首をかしげる私に、わかりやすく説明してくれた。


「例えば彩理ちゃんが風邪をひいてしまったら、内科へ行って薬をもらってくるだろう?」


「うん、そうだね」


「つまり、彩理ちゃんが心療内科へ行くのは“心が風邪をひいている”という状態なんだよ。だから、内科に行くようなもんだから何も気にしないでいい。予約して保険証を持って行こう」


 とは言われたものの、どうしたらいいか、わからないままだ。不安で仕方がない。


 数分後、女性の心療内科医と思われる人が、診察室のドアを開けて彩理たちを呼んだ。

部屋に入りゆっくりと椅子に座る私と、リラックスした顔で座る創。


 最初に私の症状や過去をあらかじめ書いた問診票を渡して、創と一緒にどんな症状があるかを簡単に説明した。


 創さんは先に席を外して、新島さんと二人で話しましょう―――主治医の先生から指示を受け創が先に退室した。


 初めて心療内科という場所を受診したが、通常の内科や皮膚科、耳鼻科のような場所と何ら変わりのない診察で彩理自身、ほっとすることができたようだ。


 改めて彩理と先生の二人だけで、処方薬や通院の時間などを決めていった。


 診断名は適応障害。


 彩理に原因があるということよりも、周囲の急激な環境変化によるストレスで体の至るところに異変が起こってしまう、ということである。


 彩理の動くことのできない身体の異常、自傷行為もそれに引き起こされたのかもしれない。

処方された薬も依存性は少なく、二週間の僅かな吐き気や頭痛などの副作用を除けば問題なく過ごせると説明を受けた。


 なるべく彼に頼ってくださいね――そう最後に伝えられた。


 彩理はお礼を言いつつ、待合室へ向け、退室する。


 すぐに隣に完備された薬局へ処方箋を渡し、薬を受け取り、創の元へ向かった。


 待合室に置かれた長椅子に、創がぽつんと座っている。


「な、言ったとおりだろ?心配することもなかったんだよ」


 創は背もたれに寄っかかりながら、頭の後ろで手を組む。


「うん――女性のお医者さんにしたのって、創が伝えたの?」


「ああ、その方が安心するかなと思ってね」


「安心したよ。創はまるで、人の考えがわかってしまうのかなって思ってしまう」


「彩理ちゃんを一番安心させるにはどうしたらいいか、というのを考えたら自然と出てくるようなものだよ」


「――そっか」


 創が冷静に思考できるのは、バイオロイドの特性かと思ったが、敢えて口には出さなかった。


 それよりも勘違いしていた自分が恥ずかしくなって、少し体が熱い。


「ありがとう」


 その時、誰かの足音が待合室へ向かうどっしりとした音―――直感で男性の足音だろうか。


 白髪交じりの短髪に細い目、所々にシワがある―――どうやらベテランの先生のようだった。


「おお! 創くんじゃないか! さっきは連絡ありがとう。芦川先生は元気にしているか?」


「お久しぶりです、谷崎先生。母さんは相変わらず研究に没頭しています。俺が呆れてしまうほどです」


「創、誰なの?」


 彩理は耳打ちした。


「総合病院の院長さんだ。母さんと今も親交がある――俺の信頼できる人だよ」


 その場で耳打ちした創曰く、院長さん名前は谷崎吾郎という名前らしい。


「ははは、このわしも褒められるような年になってきたのか」


「いえ、先生は経験も権威もあるんですから、無理もありません」


 笑みを浮かべながら創は謙遜している。


「ワシも老いたな――どれ、反対側の椅子に座るとしよう」


「無理だけはしないでくださいよ」


「わかっている。老いぼれなことぐらい自分が一番理解しているんだ」


 目の前に見かけない少女がいることに谷崎は気づいた。


「ほう、君が創くんに呼ばれてここに来たのか」


「あ、はい――そうです」


「彩理ちゃんと言います。俺と母さんの研究に興味を持ってくれたんです」


 やはり自分は他人が来るとどうしても会話がぎこちなくなってしまう。


 難しいな、と思いながらも創が彩理をフォローしてくれている。


「心配はいらない。君には創くんが隣にいる。長い時間をかければ君の病気治まっていくだろう」


「ありがとうございます」


「ワシと芦川先生は十年以上の付き合いでな、歳は一回り下だが非常に尊敬しているのだ。バイオテクノロジーだけでなく、医学の膨大な知識もあって我が病院は先進的な医療技術を持つことができた――そして彼女が今までの技術を結集させて彼を創った事もわしは尊敬をしておる」

 

 谷崎と呼ばれた人物は型にはまらない思考を持っていることが伺える。


 社会的な先入観を持たずに自由な発想を持っているのかもしれない。


「谷崎先生は俺のことを肯定してくれて、嬉しかったです。子どもの頃に俺の秘密を守ってくれたのも先生でしたからね」


「そうだな。人から作られたモノだとしても新たな可能性を信じて、君には人として生きて欲しかった。ワシにとって君は孫みたいなものだ」


 会話聞いていくうちを彩理は谷崎の包容力と創に似た温かさを感じている。


「そういえば、創と夢先生では親子というよりは姉弟に見えてしまいますね」


 彩理はふと疑問に思ったことを口にした。すると谷崎は簡単な問題だと言わんばかりに答えた。


「ははは。確かにあの先生と長年組んでいたが、いつ見ても若々しい。おそらく好きな研究にのめり込んで幸せなのだろうな」


「母さん自体は何も身体に使ってはいない。だからこそ驚いているよ」


 創も不思議がるほど、若さが保てているらしい。


「―――本当に、不思議な人だね」


「ああ、まったくだ」


 ふと顔を正面に戻すと谷崎が腕時計を見ている。その後何かを思い出したかのようにハッと黒目を小さくした。


「そろそろ会議があってね、いろいろ話したいことは多いがまた次の機会にするよ。ありがとう。創くん、彩理さん」


「ありがとう、ございました」


「時間が合えばまたそちらの方へ行きますよ」


 彩理は不得手ながらも会釈をし、創は自然と笑顔を作って言葉を返した。


「ワシは常時この病院にいるから、またおいで。二人とも身体を大事にな」


「その言葉、そっくり先生にそのままお返ししますよ」


 創が冗談めいた発言をする。


「なに、わしはまだまだこれからだよ。それでは」

 

 谷崎は創と彩理に軽く会釈をした後、再び重い足音を立てながら待合室を去っていった。


 彼の背中は、目には見えない大きなオーラを持っている気がする、そう彩理は考えていた。

 

 きっと少し話しただけではわからない、多くの経験を経て今の先生がいるのだろう、と。


 谷崎の姿が見えなくあったあとに創が話を切り出す。


「さて、研究室へ戻ろうか」


「――うん。荷物置きっぱなしだからね」


 創はちらっと自分のスマートフォンの時計で時間を確認した。


「そろそろ四時か。母さんも研究室に戻ってくるだろう」


「分かった」


 病院の自動ドアをくぐり、再び理系校舎の研究室へと戻る。


 夢と出会って、創と再会したと思いきや、病院内の心療内科へ行き―――また一人、新しい人物と出会うことになった。彩理の中ではこれだけでもめまぐるしく変わる日々だった。


 小さなことではあるが、二週間経過しただけでも既に日常が変わり始めている。


 これからも、こうして少しずつ変わっていくのだろうか。


「――彩理ちゃん?」

 

 考え事をしていた彩理の視界に、創の顔が至近距離で出現した。

 

 一瞬何が起こったのかわからず、彩理は心臓が跳ねてしまった。


「ひゃあっ! な、なななな何!?」


「いや、何回呼んでも反応がなくってさ、こうするしかなかったんだ」


「ご、ごごごめん! ぼーっとしてた!」


「それはいいけど、慌てすぎだって」


 思わず苦笑しながら創は「落ち着いて」とジェスチャーを送った。


 彩理は鼓動が早くなったのを落ち着かせながら応えた。


「それで、どうしたの?」


「よく考え事しているなぁって思ってさ。なかなか口に出せないことが多いの?」


 創は不思議と心配を混ぜ合わせた表情で彩理を伺った。


「うーん。そういうわけじゃないんだけどね」


 当の彩理にもよくわからないことだ。


「ただ、この二週間だけでもわたしの環境って変わってしまうんだなって――思ったの」


「そっか。確かに人造人間が隣で歩いているなんて信じられないよな」


 と、バイオロイドも信じられないことを口にした。


「昨日の”実験”が手品じゃなかったら信じるしかないじゃん」


「タネはあっても仕掛けはないからな」


 タネは存在している―――思った瞬間に彩理は面白くなって思わず吹き出してしまった。


「創って、面白いこと言うね」


「渾身のブラックジョークだよ」


 創は自身を自虐した。

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