第29話
奇妙な共同生活が始まって数日が経過した。
意外というべきかどうかは判断が分かれるところだが、大きな事件もなく、今までとそう変わらない日々が続いている。
唯一にして最大の違いは、帰宅する家に自分以外の誰かがいること。
とは言え、それも咲奈と付き合っていた頃にはよくあったことだし、俺が待つ側でもあった。
一日の仕事を終えて帰宅すると、食事が用意されていることだってそうだ。
数ヶ月ぶりのことではあるけど、未知の経験ではなく、むしろ懐かしさを感じる。
「まぁ、相手は恋人じゃないけど」
その一点だけで、話は全く違ってくる。
おまけのその相手は年下の女の子で、正義の味方だという。
未だに真偽は不明だが、ただの女の子じゃないことだけは確かだ。
「今日も無難なものだといいんだがなぁ」
自宅へ向かう道を歩きながら、口元に僅かな笑みを浮かべる。
誰かに見られたら、ニヤつくのを我慢していると思われそうだ。
できれば表情には出さないようにしたいが、ダメだった。
相手は恋人じゃない、少し変わった同居人だっていうのに、な。
「いや、だからこそってやつか」
特別な相手じゃない、他人以上友達未満くらいの相手だから。
そんな彼女だからこそ、不思議と気楽であり、疲れを感じないのかもしれない。
そう、不思議な話だが、彼女が部屋にいる生活は悪くない。
普通なら気疲れしてしまいそうな存在のはずなのに。
咲奈と一緒にいたときも、どこかで感じていた。
好きな相手で、一緒にいると喜びを感じていられた。
だけどその裏側に、ほんの少しだけ疲れを感じてもいた。
たぶん、格好つけたい自分がいたからだと思う。
気取っていた、と言うのが正しいかもしれない。
咲奈に好きだと思われたくて、想われ続けたくて。
でも彼女――花芳が相手ならそれもない。
気取る必要がないから気楽で、疲れも感じずにいられて。
絶妙に近すぎない距離感が、彼女との生活にはあった。
きっとこの距離感でしか得られない安堵、みたいなものがあるのだろう。
なんにせよ、今俺が気になっているのはただ一点。
今日の夕飯が、昨日までと同じように無難なレシピで作られているかどうか、だった。
彼女はちゃんと約束通り、レシピに従って料理をしてくれている。
面倒くさそうな顔をされながらも、細かいことに口出ししておいて正解だった。
そのおかげでここ数日は、今日はなにを食べようか、という悩みから解放されているのだから。
「だからまぁ、たまにはこれくらい、アリだよな」
手に持っている小さな袋に目を落とし、誰にともなく呟く。
そこに入っているのは保冷剤と、途中で買って来たケーキだ。
味の好みはわからないので、とりあえず店で人気のあるものを選んでみた。
「甘いものが嫌いだってこともないだろうしな」
別に喧嘩をしたわけでも、機嫌を損ねたわけでもない。
言って見ればこれはお礼。
向こうにしてみれば居候のお礼として料理をしてくれているのだろうけど、それはそれというやつで。
毎日は難しいが、たまにはこういうお土産を買って帰るのも悪くないはずだ。
ケーキを買って帰ったら彼女がどんな顔をするか、どんな反応をするのか。
それを考えると、つい頬が緩む。
「ただいま」
ギリギリで表情を引き締めてから、俺は玄関を開けた。
今日はいつもより、一時間ほど遅い帰宅だ。
帰りの電車が事故かなにかで少し遅れたし、そのあとでケーキも買ったから。
でも、このくらいの遅れは特別なことじゃない。
それこそ残業があれば、もっと遅くもなる。
だから、不思議だったんだ。
ここ数日、必ず返ってきていた言葉がなくて。
電気はちゃんとついていて、部屋は明るい。
だけどリビングに入った俺を待っていたのは……いや、誰も待ってなんかいない。
テーブルには飲みかけのマグカップが置いてあるだけで。
いつもはいるその場所に、彼女の姿だけがなかった。
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