第28話
「なんだか不思議な感じです」
その日の夜、電気を消した部屋で彼女はそう呟いた。
眠るために暗くしてから、まだ数分くらいしか経過していない。
だから彼女が起きていても、特に不思議ではなかった。
もちろん俺も。
ただ、部屋を暗くしてから彼女が話しかけてくるのは珍しい。
「眠れないのか?」
新しい布団にテンションが上がっていたようだし、いつもの時間になっても目が冴えているのかもしれない。
「えっと、ちょっとだけ。なんて言うか……うん、旅行にでも来てるみたいで」
「旅行だったらもっと寝心地の良い布団になると思うけどな」
「……時々思うんですけど、そういう面白みがないって言うか、ノリの悪い言い方、彼女さんに注意されませんでした?」
「……耳が痛いな」
別に他意も悪意もないのだが、ユーモアに欠けるとは言われたことがある。
それなら普通に相槌を打ってくれるほうがいい、とも。
どうやら、咲奈だけが感じるものではなかったらしい。
これからは気を付けるようにしたい。
「明日からまた仕事、なんですよね」
「ん、そうだな」
目が覚めれば、いつもの一週間が始まる。
月曜から金曜まで出社し、仕事をする。
取り戻すような遅れはないが、休んだ分を同僚に返せるよう、頑張ろうと思う。
実際にできるかは別として、そういう気持ちだけは持つべきだろう。
「あ、そうだ、今のうちに……夕飯とかどうします? 残業、あったりするんですよね、確か」
「あるな。毎日ってわけじゃないけど、少しは」
「じゃあ、基本的にはない感じですか」
「そうだな」
時期によって変わるが、今の時期なら週に一度あるかどうかくらいの頻度で。
「あれ、でもこの前の月曜日は……」
「あぁ、たまたま残業があってな。そうしたら、こうなったわけだ」
「なるほど……本当にその、タイミングが悪かったというか、運がなかったというか」
「本当に、な」
週に一度くらいの残業があって、ついでに気まぐれで一人で居酒屋に立ち寄ったから、更に帰宅時間が遅くなった。
その結果として、今がある。
これを不運と言わず、なんと言うのか。
「その説は本当に申し訳なく……」
「もういいって、それは」
「……でしたね」
すでに終わった話だ。
それに、口にこそ出さないが、俺としてはあまり不運だと思ってはいない。
一度死んだと言われても、筆舌に尽くしがたい苦痛を味わったとしても、仕事を休むことになっても。
この奇妙な同居生活を、どこか楽しんでいる自分がいる。
本当に自分でも不思議で仕方ないけど。
「で、えーっと……あぁそうか。一応、帰るときは連絡、したほうがいいか」
「はい、そのほうがいいかなと。残業とか、この前みたいに飲んでくるとかも」
「だな。わかった、ちゃんと連絡する」
共同生活をする上で、それくらいのルールはあったほうがいい。
まぁ、それはそれで更に同棲っぽさが増す気もするけど。
「えー、それでですね、本題はここからなんですけど」
「……夕飯の話か?」
「あ、察しがいいですね」
「そりゃあ、な」
この話の流れなら、やはりそのあたりだろう。
まったりとすごした日曜日だったが、朝は簡単なパンで、昼はデリバリーで、夜は彼女が用意した。
昨日に引き続き、だ。
「今日はご飯も適量の水で炊けたし、味付けは無難な感じでしたけど過剰に焦げたりもしませんでした。だからもうお任せしていただいても大丈夫かなって」
「昨日も今日も、俺が横で見てたからな」
「でも、私が一人で作りましたよね? ちょくちょく口出しはされましたけど」
なにか不満があったのか、後半に若干の棘があったように思う。
確かに昨日と今日の夕飯は彼女が作った。
見た目や味も、これといって問題がなかったのは事実だ。
ただ彼女も言った通り、所々で俺が指摘した部分もある。
主に、小さじや大さじを目分量で投入しようとしたときだが。
あれだけレシピ通りにと言ったのに、どうして目分量でやろうとしてしまうのか。
往々にして妙な自信というものは、自分を追い込む失敗の元だ。
俺自身も経験したことなので、身に染みている。
それを彼女に伝えるため、ちょくちょく口出しをしたのだ。
「美味しいって言ってくれたじゃないですか」
「そうだけど」
「なら、明日からは夕飯、用意しておきますね」
「……別に無理はしなくてもいいけど」
「これくらいはしないと。本音を言えば、朝とお昼のお弁当みたいなのも作りたいくらいですし」
「い、いや、そこまでは、うん」
朝はそんなにがっつり食べなくていいし、弁当なんて会社に持って行ったらなにを言われるかわかったものじゃない。
「作らなきゃ上達しませんし。いいですよね?」
「……わかった。じゃあ、無理のない範囲で頼む」
「決まりですね」
「あとホント、レシピ通りにな、まずは」
「わかってますって。任せてください」
彼女が自信満々であればあるほど不安になるのは、仕方がないと思う。
「それじゃあそろそろ、おやすみなさい」
「あぁ、おやすみ」
お互いにそう口にはしたが、正直すぐには眠れそうにない。
どうやら彼女も料理が楽しみなようで、ソワソワしているのがこっちまで伝わってくる。
本当にもう眠ってしまいたい時間なのに。
俺は身体の向きを変え、少しでも早く眠れることを祈りながら目を閉じた。
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