第14話
「それはそうと、なんであんなところにいたんだ?」
なんとなく気になったので、先を行く背中に質問する。
「あぁ、玄関前で待機していたことですか?」
「そう。コンビニで時間潰すとか散歩するとかさ、てっきりそうしてるもんだと思ってたから」
一体どこの誰が、玄関前で待機していると想像するだろうか。
必然とも言うべき俺の質問に、彼女は当然ように答える。
「もし刺されそうになったら助けに入らなきゃって」
などというどう考えてもおかしい答えを、これ以外の答えなどあるわけがないとでも言うように。
「えっと、刺される? 誰が? 誰に?」
俺の聞き間違い、もしくは勘違いだといいのだが……。
「あなたが、あの女性に」
よし、これで証明されたな。聞き間違いでも勘違いでもないということが。
彼女の表情は真剣そのもので、冗談を言っている気配は微塵もない。
どうやら本気らしい。
「いや、あるかそんなこと。なんで俺があいつに刺されるんだ?」
「あれが噂に聞く修羅場なのかなって思ったんですけど……違ったみたいですね」
「違うね、いろいろと」
なんだろうか。
正義の味方として、常人には感じ取れない不穏な気配でも察知したのだろうか?
もしそうなら、俺としても少しは納得できるのだが。
「そもそも修羅場って……大した話はしてないし」
「もしかして、恋人じゃなかったんですか? てっきりそうなのかと」
「あー、そうか……うん、なるほどな」
この子にはまだ、そのあたりを話してなかったな。
詳しく訊かれもしなかったから当然だけど。
「あいつは……咲奈はその、あれだ。いわゆる元カノってやつでな。もう別れて……そろそろ三ヶ月くらいになる」
「……なるほど、そうでしたか」
そう、咲奈とは三ヶ月前に別れた。
だからこそ、お見舞いに来てくれたことに驚いたんだ。
「綺麗な人でしたね。どうして別れちゃったんです?」
「別にいいだろ、理由なんて」
「いいじゃないですか。興味、あります」
「……ったく、そういうとこは女子って感じだな」
他人の恋愛話を聞きたがるあたりは、年相応のようだ。
「無理にとは言いませんけど」
「……ま、別に隠す必要もないからいいけど。つまんない話になるぞ?」
「じゃあ、夕飯の準備でもしながらにしましょうか」
「そうだな」
こんな話は、それくらいが丁度いい。
盛り付けの準備をしながら、俺は咲奈のことを話す。
「あいつとは会社の同期だったんだ。最初に顔を合わせたのは、入社する前……面接のときだったな」
「そのときから知り合いに?」
「いやまさか。面接のときにナンパみたいなことする余裕なんてなかったよ。話すようになったのは入社したときだ」
向こうだって、俺のことはそれまで認識していなかったと思う。
ただ俺のほうは正直、面接のときから印象に残っていた。
もしかしたら一目惚れだったかもしれないと、酔った勢いで話したことがある。
咲奈は涙を流すほどに笑ってテーブルを叩いていたが、でもたぶん、嬉しそうだったと思う。
「じゃあ、積極的だったのは……」
「そう、俺のほう。ま、入社したての頃は仕事で頭がいっぱいだったけどな」
だが少しずつ社会人の生活にも慣れて行って、二ヶ月がすぎた頃には余裕も出てきた。
もちろんその間も顔は合わせていたし、話す機会もあった。
新入社員同士で連絡先も交換していたから、きっかけを作るのに苦労はしなかった。
「で、そのままよく話すようになって、ついでにプロジェクトも一緒になって、それでまぁ、二人で食事に行ったりとかしてな」
「それってもうデート、ですか?」
「まぁ、そうなる」
正式に付き合うことになったのは、入社してから半年後。
夏が終わって、秋に変わった頃だ。
「告白はやっぱり……」
俺からだ、と彼女に頷く。
その頃にはもうお互い、なんとなく気持ちは伝わっていたと思うけど。
区切りは必要だろうと、ちゃんと言葉にしたんだ。
その頃の俺にはまだ、そうするだけの自分というものがあった。
「三ヶ月くらい前に別れたんですよね? ということは、それまではずっとお付き合いしてたんですか?」
「あぁ、そうだな」
俺にとって初めての恋人というわけじゃなかった。
高校とか大学でも、付き合った人はいる。
ただあんなに続いたのは咲奈が初めてで、一番一緒にいて楽しく、気が楽でもあった。
お互い一人暮らしをしていたから、気兼ねなく部屋を行き来し、泊まりもした。
俺の部屋に余分な食器があるのは、それが理由。
捨てるのもどうかと思い残しておいた食器を、今は彼女が使っている。
「なんで別れちゃったんです? それだけ付き合ってたら、結婚まで行っちゃいそうなものなのに。あーいえ、恋愛とか、私は全然わかんないですけど」
「……そういう話もまぁ、なくはなかったよ」
お互い二十代後半になり、落ち着いてもいい頃合いだった。
言葉にこそしていなかったが、お互いにその意識はあったと思う。
「俺が、ダメだったんだよ」
ここからはもう、俺が情けないというだけの話になる。
「去年の秋頃にさ、新しいプロジェクトが立ち上がって……咲奈がそのリーダーに抜擢されたんだ」
「凄いですね」
「あぁ、凄いんだよ、あついはさ」
最初からわかっていたことだ。
咲奈は入社した頃から優秀で、みんなを引っ張るカリスマ性みたいなものを備えていて。
そこが眩しくて、好きだと感じていた。
今でもそれは変わらない。
「でもな、ダメだったんだよ」
咲奈と比べて、自分がどれだけ平凡だったか。
会社からの評価に差があることは、一年目からわかっていた。
咲奈には何度も励まされたりもした。
俺だってそれに応えようとしたし、もっとできると思って働いた。
そう、思ってたんだ。
俺はもっと仕事ができるって。
咲奈に認めてもらえるような結果を出せるんだって。
だけど現実ってやつはどうにもならなくて、思い通りになんていかなくて……。
「最悪だろ? 好きな相手に嫉妬して、空気を悪くして……ホント、情けないにもほどがあるよなぁ」
何度思い返しても情けない。
あの頃は底なしに卑屈で、ネガティブなことばかり考えていた。
それをあろうことか、咲奈にぶつけて、悲しませて。
いっそ怒ってくれたら、まだ良かったのかもしれない。
「だからさ、別れることにしたんだ。あのままじゃもう、あいつを傷つけることしかできないって思ったから」
「好きだったのに、別れたんですね」
「さぁ、どうだろうな」
自分でさえ嫌気がさすほどダメな男だったんだ。
咲奈だってきっと、愛想を尽かしかけていたんじゃないかと思う。
俺がもっと咲奈に相応しい優秀な人間だったら、こうはならなかっただろう。
評価されるほど優秀でもなく、身を削るほど貪欲にもなれなかった。
本当に何度考えてみても、俺の自業自得。
咲奈には本当に悪いことをした。
こんな男に、何年も貴重な時間を浪費させてしまって。
「とまぁ、そんな感じだ。つまらない話はこれくらいにしよう」
これ以上はなにを話しても俺の恥を晒すだけだ。
なのでそう言って強引に切り上げ、冷めた野菜炒めをレンジで温め始めた。
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