正義の味方の羽やすめ
米澤じん
第1話
目覚めて最初に感じたのは、身体の内側に広がる鉛のような重さだった。
でもすぐにその感覚は薄れ、瞼を開けば見慣れた天井が広がる。
数年間、飽きるほどに見ている俺の部屋の天井だ。
自分の部屋で目覚めるのは当たり前なので、別に驚きはない。
だからいつものように身体を起こし、大きく息を吐く。
「――――ぐっ、うっ」
そして息だけではなく、情けない呻き声を漏らした。
同時に引き裂くような痛みが全身に走り、そのまま倒れそうになる。
それを止めてくれたのは、小さくも確かな存在感のある手だった。
汗ばんだシャツ越しに添えられた手が、俺の胸に触れて支えてくれていた。
たったそれだけのことで、痛みが和らいだ気がする。
「いきなり動くなんて、無茶がすぎます」
支えてくれた手の主が、やや呆れたように呟く。
「いや、まぁ……もしかしたらと思って」
「……そうなら良かったんですけどね」
どこか困ったように呟きながら、もう片方の手を俺の手に重ねてくる。
内側から染み出すような痛みが更に和らぎ、ほぼなくなった。
残るのは三センチほどずれた身体の感覚と、隣にいる彼女の手の温もりだけになる。
たとえそれが一時的なものだとしても、今の俺にとっては救いだ。
「どうですか?」
「あぁ、たぶんこれなら――」
大丈夫だ、と答えようとして顔をしかめた。
どれだけ痛みがなくなったとしても、身体そのものの反応はどうにもならないらしい。
込み上げてきた吐き気に歯を食いしばる。
「やっぱりまだムリですね」
「……みたい、だな」
どうにか笑って見せようとしたが、上手くできたかどうか。
俺は結局彼女に促されるまま、またベッドに横たわった。
「飲み物、持ってきます」
彼女はそう言うとベッドから出て、冷蔵庫があるキッチンへと向かった。
俺は天井ではなく、そんな彼女の後ろ姿を目で追う。
こうしてみると、薄手の白いシャツを一枚だけ着ているようにしか見えない。
いや、さすがにそんなバカげたことはなく、ちゃんと下着も身に着けてはいる。
問題があるとすれば、それ以上の衣服を着用していないということで……。
あとおまけに着ているシャツが俺のものだったりもするが。
「…………まいったな」
彼女がペットボトルを手に戻ってくる前に視線を天井に戻し、ひっそりとため息をつく。
枕もとのスマホを手に取って時間を確かめると、目覚ましアラームが鳴る五分前だった。
身体に異常があっても、染みついた習慣というのはちゃんとしているみたいだ。
「とは言え、この調子じゃ今日も仕事はムリだったな……」
彼女のおかげでマシになっているとは言え、少し動けばまたあの痛みに襲われる。
そんな状態で駅まで行って、満員電車に揺られて出社し、夜まで仕事をするのはどう考えても無茶だ。
「飲んでください」
「あ、あぁ、ありがとう」
戻って来た彼女からペットボトルを受け取り、喉を潤す。
不足していた水分が補給されていくのが、怖いくらいにわかった。
染み渡るという感覚がこんなに怖いと思ったのは、生まれて初めてかもしれない。
「……すみません、私のせいで」
このタイミングでどうして、と一瞬考えてしまった。
が、すぐにさっきの呟きに対するものだと気付く。
「もういいって。何度も謝らなくてもさ」
「ですが」
「運が悪かっただけだよ」
そう、本当に運が悪かったとしか言いようがない。
今の俺がこんな状態になってしまったのは。
「たぶん、この先の人生でもう二度とないくらい、あの日はついてなかったんだって」
「……かもしれませんね」
おどけた口調で話す俺に合わせるように、彼女も表情を和らげて小さく笑う。
その笑い方は彼女の年齢に相応しくない、どこか疲れたもののように見えてしまった。
体力的にではなく、精神的に。
まぁ、俺は彼女の年齢なんて知らないけど。
年齢だけじゃない。
俺が彼女について知っていることはごく僅か。
ほとんどなにも知らないと言ってもいいくらいだ。
いや、知っていることだって本当かどうかわからない。
彼女の言葉を信じるなら、という話で。
俺が彼女から教えてもらったことは、大きく二つ。
彼女の名前が
そして、もう一つ。
彼女が悪しき存在と戦う、いわゆる正義の味方だということだけだ。
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