レナ2 誕生日ライブ
金曜日になり、私は父母と一緒にジャズクラブ「DEBBY」に赴いた。父の父、つまりじいちゃんが常連だったこのクラブには幼い頃から出入りしていて、じいちゃんが所属していたジャズ同好会の演奏を聞きにきていた。
長い時間をかけて唯一無二の艶とくすみが作られた魅力的な店の扉。そこには、母が知り合いに頼んで作ったらしい、「
「こんばんは」
するとアズマさんは、灰色の髭に囲われた口をきゅっと吊り上げて笑った。
「玲那ちゃん、誕生日おめでと」
「ありがとう」
「衣装、素敵だね。玲那ちゃんって感じだよ」
私は今日、首元にビジューをあしらった藍色のロングワンピースを着ている。アズマさんに褒められて嬉しい気持ちもありつつ、歌さえ歌えば、衣装なんてなんでもいいでしょと言いたくもなる。
「お母さんがTシャツとジーパンはやめなさいってさ」
「当たり前でしょ、この子ったら」
アズマさんと私の会話に母が割り込んでくる。それを見てアズマさんは笑って、それから「スタートまでまだ時間あるから、ジュース飲んでて」と言いながら顎でカウンター席に座るように促した。
そうするうちに、まばらに人が集まってくる。大体の人はこの店の常連で、じいちゃんの友達もいれば、話したことはないけれどよく見かける老夫婦やいつも一人の女の人なんかもいる。そして、そろそろ時間になる頃、出入口からやってきた男二人組に気づいた私は、ありったけの力を込めて眉間に皺を寄せた。一人はメモ用のタブレット端末、もう一人は仰々しいカメラを持っている。県内の新聞社だ。
「玲那、顔が怖いよ」
私の様子に気づいた父がそっと声をかけてくるが、私はもう一言だって話したくなかった。
オレンジの仄暗い照明、木目の美しいテーブル席、えんじ色のソファ、部屋の奥の埃のかぶった蓄音器、どこからか流れてくるサックスとコントラバスの色っぽい音色。そんな、私の思い出とお気に入りの詰まった空間に、突如として侵入してきた無粋な存在から顔を逸らして、母に尋ねる。
「何あれ」
「誕生日コンサートだからって、わざわざ取材に来てくれたのよ」
「頼んでないけど」
「そんなこと言わないの。あなたを応援してくれてるんだから、有り難く思わなくっちゃ」
「…………」
別に応援して欲しいなんて言ってない。ありがた迷惑ってやつだ。頭の中でだけ言い返して、私は押し黙った。そう思ってしまう自分が、いちばん捻くれていて傲慢だってことくらい分かっている。
私は、父に促されるまま高さ10センチ弱の小さな舞台に立った。いつものように演奏してくれるおじいちゃんのジャズ仲間たちが、私を囲ってにっこりと笑う。皺くちゃのその見慣れた笑顔に、私のササクレた胸の内が少しだけ潤った。
アズマさんが、母に頼まれた通りに私の紹介をする。昔からこの店に通っていたこと、小学6年生の頃、歌って遊んでいる姿が、たまたま来ていた地方ラジオのパーソナリティの目に留まったこと。そこから少しずつ話題になって、インディーズのCDを出すようになったこと。父母がそれを応援していること。……ほとんどが、私の歌や気持ちとは関係ない。
「じゃあ玲那ちゃん、何か挨拶するかい」
「…………歌います」
ぶっきらぼうな返しも、アズマさんは慣れている。彼がニコッと笑って演奏者たちに目配せをすると、軽やかな足音のようにコントラバスがリズムを刻み始める。「Cheek to cheek」、ピアノが歌詞のとおり私を天国に連れていくほど心地よく奏でられて、私の意識が鬱陶しい現実からじいちゃんがいたあの頃、歌詞の意味も分からずに歌い踊り、じいちゃんに頬擦りをされて喜んでいたあの頃に戻っていく。
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