レナ1 春がいちばん憂鬱
6時30分のアラームが鳴り、目蓋の幕が上がる。私の目の前には見慣れたクリーム色の天井と、カーテンから漏れる薄明かりを反射するハウスダスト。春麗かで素敵なある日、天井を見上げてまじ怠い、みたいな歌詞の、そんなジャズナンバーがあったな、曲名なんだっけ。寝ぼけた脳みそでそんなことを考えている私を、鳴り続けるアラームが馬鹿なこと考えてないで早く起きろと責め立てている。
仕方なく、布団の中からスマホを探り当ててアラームを止めた。するとほんの一瞬、私の周りから音が消えた錯覚に陥った。それからすぐに、スズメの鳴声とか1階のテレビの音が聞こえてくる。否が応でも私の1日を始めようとする音だ。
私は体を起こして、口に挟まっていた髪の毛を吐き捨てた。ベッドから降りると、足元に放りっぱなしだったゲーム機を踏みかけてふらつく。足の指をちょっと捻って、まだ半分眠っている体にやけに痛みが響いた。もう、それだけで布団の柔らかさに還りたくなるけれど、ふらついた拍子にどん、と鈍臭く足音を立ててしまったせいで、一階にいる母が私の起床に気付いてしまった。
「
「もう、今行くから」
気怠い体を引きずって下に降りると、台所で弁当の支度をしている母と、着替えを済ませてコーヒーを飲む父が私を見た。毎日毎日、起きてきた娘に注目しなくていいのにと思うけれど、それを伝えるのも面倒だ。私は二人の視線を無視して、食パンにシナモンシュガーを塗すとトースターに入れた。
「今日、結構あったかくていい天気になりそうよ」
「へえ」
「夕飯、なんかリクエストある?」
「いいよなんでも。週末のライブの後、どうせいろいろ食べるんでしょ」
「そうだけど」
私よりもうきうきしている母をあしらいながら、私は自分のコーヒーを注いで焼き上がったトーストとともに胃の中に流し込む。
「玲那、ライブで何歌うんだ」
食事を終えた父が話しかけてくる。静かに食べさせて欲しいけど、父が何か悪いことをしたわけでもないので無視はできない。
「なんで今聞くの」
「教えてくれないからだろう」
「決めてない。その日の気分にする」
「まあ、それはそれで楽しみだ」
前向きな父の言葉に、ちょっとうんざりした気持ちになる。いい天気、ニュースキャスターの明るい笑顔、うきうきな母、ポジティブな父。私だけが憂鬱だ。やっぱり、そんな気分を綴ったやたら長いタイトルの曲あったよなあと思い巡らしながら、私はそのメロディだけを頭の中で奏でる。週末のライブで歌う曲の一つはこれにしようかな、それまでに曲名を調べなければ。
朝食を食べ終えたタイミングで、テレビの時刻表示が7時10分に切り替わった。
「玲那、そろそろ」
「はいはいはい、準備するよ」
母が急かす声を遮って、私は洗面台に向かった。鏡に映る私は、腫れぼったい目でこっちを睨んでいて、下がった口元は何があったわけでもないのに不機嫌そうだ。鏡からすぐに目をそらして、洗顔と歯磨きを済ませてさっさと鏡の前から立ち去った。頭の中だけで奏でていたメランコリックな音色が、いつのまにか鼻歌となって出てきてしまう。部屋に戻って、無駄に背だけ高い体を制服で覆って、ぼさぼさの眉と髪を整える。私の身支度はこれだけだ。
「行ってきます」
私は弁当をリュックに放り込むと、台所で洗い物をしている母に声をかけた。すると母は、わざわざ玄関まで見送りに来る。
「玲那」
「何」
「誕生日おめでとう」
「……ありがとう」
そんなやりとりをして、私は家を出る。
母の言う通り、外はほんのり乳白の淡い日差しが差し込みあったかくて、晴れを予感させた。乾燥した風に乗って、遠くから名前も知らない小鳥のさえずりが聞こえる。通り過ぎた公園の桜は、若葉と薄桃が入り混じって愛らしい。駅前のパン屋から、甘くて幸せな香りが鼻腔を刺激する。私以外の全てが春の訪れを謳歌している。今日という日が輝くほどに、私には不釣り合いな気がして感傷的な気分になっていった。
美しくて憂鬱な4月17日月曜日、私は17歳になった。
だから何って話だけど。
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