鳴け、声高らかに

天片 環

 少女は夢を見ていた。


 夢の中で千代と呼ばれていた彼女は、江戸時代だろうか、貧しいながらも父親と二人、幸せに暮らしていた。


 ある時、千代は重い病気に罹って寝込んでしまった。まだ小さい千代は、息も絶え絶えでいつ死んでしまうかも分からない。父親はたった一人のかわいい娘のために、一日中付きっきりで看病した。


「千代、今アワのカユを作ってやるからな」

 

 囲炉裏でアワを煮る父親の背に、千代は弱々しくも甘えた声でねだった。


「わたし、お赤飯が食べたい」


 千代は、昔に一度だけ食べたことのある赤飯を思い出した。しかし、ただでさえ米も貴重な物で、小豆なんてそうそう手に入らない代物だった。

 父親は困った。今にも命が潰えそうな千代に、せめてその願いを叶えてやりたかった。

 そこで、父親は決意した。


「待ってろな、千代。今度うまい赤飯を食わせてやるから」


 それを聞いて、千代は嬉しそうに目を細めた。

 

 次の日、父親は地主の蔵に忍び込んだ。地主ならば米も小豆も蓄えているだろうと考えていたが、予想通り見つかった。その中からほんの少しだけ拝借して、家に帰った。


「わあ、お赤飯だ」


 その日の夜、千代はホカホカの赤飯を噛みしめながら食べた。

 そのおかげか、千代の容態は日に日に回復して、ついに外で遊べるほど元気になった。


 赤飯を食べられたことが余程嬉しかったのか、千代はそれをてまり歌にして歌った。

(はて、あの家は赤飯を食べられるほど裕福ではないはずだが。)

 村人は不思議に思ったが、誰も深く追及する者はいなかった。

 

 その年も、大雨が降り続けた。いつ川が氾濫を起こしてもおかしくなかった。

 村人たちは、水の神様を鎮めるために考えた。

 その中で誰かが言った。

 

 そうだ、罪人を人柱にして神様に捧げよう。


「先日、地主様の蔵から米と小豆が減っていたそうなのだ」


 会議の場にいた人々は皆、千代のてまり歌を思い出していた。


「おとう! おとう!」


 父親が、村人たちに縛られて川の方へ連れていかれる。

 千代は泣きながら追いすがろうとしたが、別の村人に引き留められた。ひたすらに呼ぶ声も、大雨にかき消されて自分の耳にしか届かない。


 父親が埋められた場所に、千代は一人呆然と立ち尽くした。


 自分が赤飯を食べたいと言わなければ、それを歌わなければ、こんなことにはならなかった。

 千代はそう激しく後悔した。

 

 口は災いの元、魂に深く刻みつけたその時から、千代は一言も喋らなくなった。

 そして数年後、いつの間にか村からその姿を消した。

 

 そんな、悲しい夢だった。





「鳥音、早く起きないと遅刻するわよ」


 リビングから母の声が聞こえて、鳥音とりねは眠い目をこすりながらベッドから体を起こした。


 珍しく寝坊したのは、夢を見たからだ。前世の夢、と言ったらいいのか。昔からたまに見る夢だ。そんなことがあるのかと疑いたくなるが、とにかく鳥音にはそう思えてならなかった。


 眠気と憂鬱を引きずりながら、階下に降りて顔を洗う。リビングへ入った時、家族は食事を終えたところだった。席に着くと、母が朝ご飯を出しながら聞いた。


「そういえば誕生日のプレゼントは決まった? 何か欲しいものはあるの?」


 鳥音は首を振った。

 でも本当は、かわいいポーチが欲しかった。

 欲しいものが無いなんて誤魔化したのは、それを言い出すのが途方もないわがままであるように思えたから。


「鳥音は昔からそうね。欲しいものがなさ過ぎて、逆に困っちゃうわ」


 当の本人は、自身のことをそうは思っていなかった。むしろ、欲しいものはたくさんある。ペット、例えばハムスターとかが欲しいし、アクセサリーや化粧品だって欲しい。

 それを両親に言えなかったのは、いつだって自分のわがままが、大切な日常を壊してしまうのを恐れたからだ。


「無いなら、腕時計でもいいかしら? かわいいのを見つけたのよ。それでいい?」


 小さく頷く。プレゼントを決める時は、大抵こういう流れになってしまうのだ。

 残念に思いつつご飯を食べていると、家の呼び鈴が鳴った。友人が迎えに来たのだ。


「ほら、もうあきちゃんが来ちゃったわよ。早く食べちゃいなさい」


 鳥音は朝食を急いで詰め込むと、荷物を掴んで玄関に出る。


「おはよう、鳥音」


 そこには、親友がいつもの優しい笑顔で立っていた。

 嫌な夢を見た朝でも、この顔を見ると安心する。

 鳥音もぼそぼそとあいさつして、家を出た。

 所々に紅葉が舞い落ちている通学路を、二人並んで歩いていく。


 冷たくなった手を温めながら教室へ入ると、二人の男子が暁に声をかけた。派手なタイプではないが、その朗らかな性格からか、意外と暁はモテるのだ。こうして話しかけられるのも恒例で、暁は慣れたようにあしらう。後腐れがないようにしたつもりだったが、男子二人は気に掛けてくれたと勘違いして去っていった。


「はあ、ちょっと疲れるな」


 席にカバンを置きながら暁がぼやく。

 鳥音もその横の席で困ったように笑った。


 ところで、今日の朝は珍しくドタバタしたため、鳥音は昨日終わらせた宿題を家に置いてきてしまった。授業が始まってそのことに気付き、慌てて先生に言いに行く。しかし、口から声を出すことができなかった。事情を察した暁がフォローした。その様子に、先生はあきれて言った。


「またか鳥音。いい加減、言いたいことは自分で言えるようになりなさい」


 昔から似たような事をずっと言われてきた。

 でも、無理なものは無理だった。


 何か喋ろうとすると、その度に得体のしれない恐怖が襲って来るのだ。まるで、世界が足元から崩れ落ちて、皆がその下にある針山に貫かれて無数の絶叫が響くような。自分だけ安全地帯で傷一つ付くことなく、ただ胸を痛めながら涙を流して絶望することしかできないような。

 そんな予感に支配されるのだ。


 授業は、鳥音の大嫌いなグループワークだった。しかもじゃんけんで鳥音がリーダーになってしまい、よりによって暁は同じグループにはいなかった。


 頑張ってグループをまとめようとしたものの、上手く声を出せず、出したとしても蚊の鳴くような声でなかなか聞き取れなかった。そのせいでグダグダになってしまったが、皆は慰めてくれた。


 でも、こんなものは不幸の言葉でくくる物ではない。どうせこの授業でうまくいかなかったって、皆は暖かいご飯を食べて、ベッドでスマホをいじったりする日常を失うわけではないのだから。


 だから、喋らなくてたっていいではないか。私の日常は、私が喋らないでいるからこそ平和を保っているんだ。


 鳥音は自分にそう強く言い聞かせた。

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