悪鬼同心は悪役令嬢に転生する

大魔王ダリア

第1話 土石流に消える

「ハァ、ハァ、まだ追ってきやがる!」

「親分! 弥助兄いが斬られやしたァ!」


雨降りの山に、悲痛な声が木霊する。

特性のやにを塗った松明は激しい雨にも負けず、地獄の篝火のように黒装束を照らす。

その灯りを手放せば、山は宵闇に支配されるだろう。

厚木柊二郎あつぎしゅうじろうは、赤々としたその光を目指して追い詰める。


「親分! あの腐れ役人は、どこまで追ってきやがるんです!」

「もうとっくに朱引は抜けてやすぜ!」

「つべこべ言わずに走れ!」


柊二郎は北町奉行所の臨時廻り同心だ。探索の腕前は老練な与力をも驚嘆させるほどで、剣術も相当なものだが、狷介な性格を厭われて遂に臨時廻り同心に甘んじている。

追われているのは江戸府内を騒がせた盗賊一味で、親分と呼ばれているのが首領の『黒鷺くろさぎ分左衛門ぶんざえもん』だ。

将軍吉宗公が推進する享保の改革により活気を失った江戸を嘲笑うかのように大店に押し入り、千両万両の金を盗み、家人を惨殺する大悪党だ。盗んだ金で豪勢に飲み食いし、果ては読売にて『貯める文左に獲る分左』と、大富豪紀伊国屋文左衛門と並びたてられる始末だ。

そんな黒鷺一味は江戸内最後の大仕事で柊二郎に出し抜かれ、一味の殆どは壊滅した。

どうにか逃げ出そうと奔走する分左衛門ら数名の残党を夜通し追いかけまわし、遂には朱引の外の、どことも知れぬ山中まで来た。

夜半より雨まで降り始め、今や豪雨と呼んで呼べる程だ。風がないのがせめてもの救いか。

町奉行所の同心は、御府外では権力を失う。江戸府外でのでの盗賊の追捕は代官所もしくは火盗改メの職掌である。

柊二郎はそんなことなどお構いなしに、追いかけまわす。目的は盗賊の身柄ではなく、金だ。


「黒鷺の野郎、金の隠し場所を記した地図を肌身離さず持ってるらしいじゃねえか……」


以前別件で捕らえた一味の三下が吐いたことだ。柊二郎はそのことを報告しなかった。

黒鷺一味の隠し金ともなれば数万両にはなるだろう。それだけあれば、一生遊んでくらせる。否、末代まで遊んで暮らせるかもしれない。


「おっと、まだ嫁もガキもいやしねえな。それよりもやっこさん、大分お疲れのようじゃねえか」


夜通し走れば、誰だって疲れる。独り言をつぶやくくらいの余裕がある柊二郎が異常なのだ。


「ッ……親分、時間を稼ぎやすッ!」


一人が逃げるのをやめて反転、転がるように突進してくる。

柊二郎の抜身が腹を裂き、悲鳴と共に斜面を滑り落ちる。


「くそ……黒鷺の分左衛門もここまでってか……」

「親分! 弱腰になっちゃァ」

富五郎とみごろう。せめて、あのクソ役人にも思い知らせてやろうじゃねえか」


富五郎には、黒装束の切れ目から覗く親分の目が松明に灯されて、赤く腫れあがったように見えた。まるで閻魔のようだ。


(閻魔なら、悪鬼に一泡吹かせられるかもしれねえ)


分左衛門と富五郎は歩みを止めた。

雨を割って、柊二郎の姿が現れる。


「諦めたのか、黒鷺」

「ああ、最期まで背中を向けてたんじゃ、黒鷺の名折れだ。おめえも大した男だぜ……『北町の悪鬼』の二つ名は伊達じゃねえな」

「人の名前で遊ぶんじゃねえ」


軽い応酬の後、分左衛門が松明を投げ捨tる。松明は岩場にはまり、泥水に煽られながら燻る。

光は僅かだ。燻る火種の他には、爛々と燿る互いの眼と、山猫か梟かの眼光のみだ。


「死ねェ!」


富五郎が跳躍する。匕首を逆手に構えてのしかかるように突き刺そうとする。

柊二郎は大胆に摺り上げ、富五郎の太ももを深く斬った。絶叫を上げて、地面に激突する。

分左衛門ががら空きの下半身を狙う。こっちは長ドスだ。


「させるかよ」


柊二郎はまだ余裕だ。老獪な盗賊相手とは言え、きちんとした道場で免許を得た達人が後れを取ることはない。

稽古だけでなく修羅場の経験も多い。

予想しえぬ捷さで振り上げた刀を叩き落とす。

分左衛門は直前で体を捻り、どうにか体だけは避けた。

長ドスを握る右腕の、肘から先の感覚がない。


「き、斬られたのか……」

「悪くねえ筋だったぜ。奉行所を遊び場だと勘違いしてる鼻垂れよりもよっぽど気概があった。慈悲だ、すぐ楽にしてやる」

「へっ。悪鬼が『慈悲』だぁ? 寝言は寝て言いやがれ」

「眠るのはおめえだ。じゃあな、いつか地獄で会おうぜ・……ん、何だこの音」


獣の唸り声か。

とどめを刺そうと刀を構えたまま、しばし固まる。

唸り声は徐々に近づいてくる。

ちがう。唸り声ではない。

もっと激しく悍ましい、激流だ。

地面が躍動するように揺れる。


「土砂崩れか!」

「ふへへ……お釈迦様は、お前も道連れにしてえとよ」

「くそ……無駄みてえだな」


気配は目前に迫る。

宵闇にもはっきりと、世界の終末のような暗黒が見え、すぐさま二人を飲み込んだ。

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