第4話 (2)

 信乃メイとの出会いを思い出すことはできない。

 大体小学一年生くらいの頃だったと思う。

 たまたま近くに住んでいた。それ以外にメイとの接点があったわけではない。

 当時からぼくに友達はおらず、メイもまたそうだった。

 当時から、ぼくはメイのことが特段好きではなかった。

 メイはどんくさくて、いつもみんなから遅れていた。

 たまに、メイはぼくのいえに遊ぶに来た。

 両親はメイを歓迎したけれど、ぼくは快く思わなかった。

 メイの両親の、いいとこであるぼくの両親に取り入りたい欲は、当時まだ幼かったぼくでもわかるくらい明白だったし、何よりメイはどんくさくて、そんなところが鼻についた。

 メイがジュースのコップを持てば、たちまち、床一面にそれをぶちまける。

 慌てて拭こうとして、割れたコップのガラス片で指先を刺して、泣き出す。

 結局、ぼくがその後始末をする。

 学校でも、友達のいないメイはぼくの周りを付いて回った。

 いじめられていたメイはクラスで遠巻きに見られていたぼくの傍にいれば、手を出されないことを憶えたのだろう。実に鬱陶しい。

 その原因を作った同級生どもはカスだという認識はその時出来た。

 学校ではずっとんぼくについて回り、放課後はぼくの家に入り浸ろうとする図々しい奴だった。

 そんな関係が中学を卒業するまで続いた。


 高校から、メイと学校で会うことはなくなった。

 単純に学力が違うからそうなるとは予想していた。

 ぼくの偏差値は50そこらをうろうろする、実に平凡であたりさわりのないものだったけれど、彼女のソレはまあ見るも悲惨なものだった。

 小学校のテストで0点を連発する人間をぼくはメイ以外に知らない。

 ただまあ、名前を書けば入れる高校何ていくらでもあるだろうし、メイはそういう学校に通うのだと思っていた。

 思っていたというのは実際は異なっていたということで、現実のメイは高校何て通ってなかったのだ。

 それは彼女の学力以上に家庭に起因する事柄だったのだろう。

 他人のぼくから見ても信乃家が健全な家庭ではないことは容易に想像がついた。

 それはまあ金銭的な問題もそうだが、それ以上にあの両親は……いや、ここについて深く語るのはよそう。飽くまで他人のぼくが深く語れることではない。

 とにかく、メイは学校に行っていなかった。

 ぼくが学校にいる間、彼女が何をしているのかを。ぼくはその時、考えもしなかった。

 下校してぼくの家の玄関先に、メイは毎日のように来ていた。

 顔にはいつも痣を作っていて、ぼくはそのことを言及しなかった。

 だれにやられたかを聞くのが、どうしてか怖かった。

 

 共働きの両親が日に日に忙しくなって夜まで帰ってこなくなる。

 メイがぼくの部屋にいるのは、ぼくの下校後から夜までのほんの2,3時間だった。夜になると、いつもふらりといなくなるのだ。


 彼女はいつもぼくの部屋の床に座って、何も面白いモノなんかないのにへらへらとしていた。

 正直、すごく鬱陶しくて仕方がなかった。

 いつ、こいつはぼくから離れるのだろうと思った。

 そしてその日は、まもなくきた。

 ある日、珍しくメイがぼくの家の前に来ていなかった。

 その日の晩、ぼくはメイの訃報をきいた。

 メイの葬式はが行った。

 それは小さな葬儀だった。

 その時、初めてぼくはメイが妊娠していたことを知った。

 メイが売春をしていたことを知った。

 交通事故で死んだとき、運転席に座っていたのは背広を着た、高給取りのおじさんであることを知った。

 メイの葬式に参列した人間の中に、彼女の同年代の人間はぼくだけだった。

 他は皆いい大人で、見るからに怪しい連中ばかりだった。

 メイを食い物にしていたような大人たちばかりだった。

 メイから春を買っていたであろう大人たちが喪服を着て、彼女の死を嘆き悲しんでいた。

 涙を、流していた。

 ぼくは、トイレに駆け込んで、胃の中でムカついていたものを吐き出した。

 それからトイレの鏡越しに自分をみた。

 涙は流れていなかった。

 吐いたあとには、ただただ空虚なものが自分の中にあった。

 メイの両親は、葬式にはいなかった。

 かつての住所には廃墟しかなかった。

 一体いつから、メイがどうしてそんな風になっていたのか、ぼくには知る由もなかった。

 なにを思ってぼくの部屋でへらへらと笑っていたのか。

 夜、いなくなった時。昼、ぼくが学校にいるとき、何をしていたのか。

 それすらも、何も知らない。

 ぼくはずっとついて回ってきた――一緒だった幼馴染のことを何も知らない。

 今までだって、興味さえ持っていなかったのだ。当たり前だ。

 ぼくが自分から切り捨ててきたことなのだから。

 当然だから、悲しむことも、ない。


 帰宅した後、ぼくは『なにか』がすいた気がした。

 冷蔵庫の中身が欲しいと思った。

 冷蔵庫をあさり、ハムを口にしようとして、そうじゃないなと思った。

 食事が喉を通る気分じゃなかった。

 でも『なにか』がすいた気がして、冷蔵庫の中身が欲しくなって……だから、だから、ぼくはこの中身を得るために冷蔵庫を破壊することにした。

 

 

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