『あなたは私の事が好きになる!』と言われ、俺が催眠アプリにかかったフリをしてから六年。彼女が突然「ごめんなさい、今さらだけど罪悪感でつらいの、だからもう別れましょう⋯⋯催眠を解除!」などと言い始めた

長谷川凸蔵@『俺追』コミカライズ連載中

第1話 別れましょう

「本当にごめんなさい。私たち、もう⋯⋯別れましょう」


 今日は詩織と付き合って『六年目』という記念日。

 二人で出かけ、一日を過ごし、解散しようとした時だった。


 彼女は思いつめた表情で、突然、別れの言葉を俺に言ってきた。

 俺としては今日も一日、記念日に相応しく、楽しく過ごせたと思っていた。

 だからその言葉はあまりにも意外で、当然すぐに受け入れられる訳もない。


 何かしてしまったのだろうか。

 今日のデートを素早く振り返るが⋯⋯思い当たる節もなかった。


「えっと、俺⋯⋯何かしちゃった?」


 俺の問いかけに、詩織は首を数回横に振った。

 それに応じ彼女の黒く艶やかで綺麗な髪が、首の動きに少し遅れるようにフワフワと宙になびく。


 いまは別れを切り出されているが、やはり、そんな彼女の仕草は相変わらず可愛らしかった。


「健司くんが悪いんじゃないの⋯⋯私が悪いの⋯⋯」

「悪い、って⋯⋯まさか、他に好きな男が出来た、とか?」

「そんなわけないじゃない!」


 えっ、この流れで俺が怒られんの?

 そんな思いが顔に出てしまったのか、詩織はハッと何かに気が付いたような表情を浮かべたあと、頭を下げた。


「ごめんなさい。こんな事言う資格、私にはないのに⋯⋯」

「いや、まぁ、うん、別に怒ってないよ。否定するって事は、その⋯⋯俺が嫌いになった、とかじゃないんだよね?」

「うん⋯⋯大好き、ずっと、大好き」


 う⋯⋯そうストレートに言われると恥ずかしいな。


「あ、ありがとう、嬉しいよ。でも、だったら別れる必要なんて⋯⋯」

「健司くんも、私の事、好き⋯⋯だよね?」

「うん、もちろん⋯⋯」

「でもね、それ、嘘なの」

「えっ? 嘘!?」


 嘘ってなにが?

 さっきの『大好き』ってくだり?

 

 詩織が突拍子もない事を言うのは、これが初めてではない。

 彼女は頭の中で一人で色々考え、結論だけを俺に言ってくる、という事が度々ある。

 なので、彼女の思考プロセスを正確に把握するには、適切な質問が必要だ。


「えっと、嘘ってのは、詩織は俺の事が好きじゃない、ってこと?」

「違う。健司くんが私の事が好きっていうのが、嘘なの⋯⋯」


 おっと。

 今回は難易度が高いぞ。

 次に何を質問しようか考えていると、詩織はゴソゴソとバッグを物色し始めた。


「これ、覚えてる?」 


 彼女が取り出したのはスマホだった。

 Xperia Z5。

 俺たちが出会った高校時代、彼女が使っていた物だ。


「覚えてるよ。確かバイトを二つかけもちしてお金貯めてたけど、その時一緒だった大学生の男がチャラ男で、『俺格好良いでしょ?』みたいな感じ出してたけど全然そうでもなかった、むしろキモイって愚痴ってたよね? 目標金額貯まってそのスマホ買った時、ノイズキャンセルとハイレゾ、両方に対応してる、嬉しい、でもチャラ男に会わなくて済むのがそれ以上に嬉しいって喜んでたもんね」

「あっ⋯⋯ありがとう。そんな事まで覚えてくれてたんだね」

「覚えてるよ、もちろん」


 まだお互いの気持ちをハッキリさせる前の会話だ。

 だが、その前から彼女の事が好きだった俺は、どうにか共通の話題を探そうと一生懸命だった。

 だから彼女が嬉しそうに言う事は、頭に叩き込むようにしていた。


「うん、その⋯⋯ありがとう? でね、当時クラスで流行ってたこれ⋯⋯覚えてる?」


 詩織はスマホのロックを解除し、一つのアプリを起動した。

 画面は黒くなり⋯⋯渦が巻いているようなエフェクトが現れた。


 これは⋯⋯。


「えっと⋯⋯」


 もちろん覚えてる。

 俺が彼女に告白するきっかけになったアプリ。

 二人の大切な思い出。


 ただ、だからこそ、このアプリに対しては色々な思いがあり、とっさに言葉が出なかった。

 そんな俺を見て、詩織は悲しそうに微笑んだ。


「ねっ、覚えてないでしょう? さっきはあんなに細かく覚えていた健司くんが、これは思い出せない。それはね──私がそう暗示を掛けたからなの。私、卑怯者だった⋯⋯健司くんが覚えてないのを良いことに、図々しく六年も⋯⋯ごめんなさい、今さらだけど罪悪感でつらいの、だからもう別れましょう⋯⋯催眠を解除!」


「いや、バリバリ覚えてるけど⋯⋯」


「バリバリ覚えてるの!?」


 驚いた詩織がスマホを取り落とし、俺はすかさずそれをキャッチ。

 彼女は驚くとよく物を落とすので、ほとんど条件反射だ。

 そういえば一度、家で料理してくれた時に包丁落としたときも手が出て危なかったなあ⋯⋯。


 とりあえず詩織の手を取り、スマホを握らせながら話を続ける。


「うん、覚えてるよ」


「だってあの時、完璧に掛かってたよ!? 目が虚ろだったし、私、ちゃんと確認したし⋯⋯」


「⋯⋯あー」


 詩織の言葉に、俺は最初にこのアプリを見せられた時の事を思い出した。

 

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