世界を滅ぼす『黙示録の四騎士』が高校生に転生してしまった

ホサカアユム

第1話 世界を滅ぼす気がするような

 現世よ、すべからく呪われるべし。


 楽しかった日曜日の夜も終わり、ただでさえ陰鬱な気分の月曜日の朝。

 朱見狩哉(しゅみかるや)はマンションの駐輪場でパンクした自分の自転車を見て、いっそ今日は学校をさぼろうかと思案した。


 タイヤには、カッターナイフで一閃したかのような大きな裂け目。

 明らかに、人為的な悪戯だ。


(これだから人間は嫌なんだ……そりゃ楽園(エデン)も追放されるよ……)


 タイヤチューブをこの前新調したばかりだった。いきなりパンクさせられるなんて運が無さすぎる。磨かれたハンドルの光沢が切ない。


 ちなみに狩哉は中学の頃から、自転車は常に赤く塗りつぶしていた。バイクの免許を取れていたらバイクも真っ赤にしてやろうと思っていたのだが、諸事情により実行に移す気は失せた。

 どうでもいい話だ。


 こんな時間から格別大きいため息がこぼれ出るが、この程度のトラブルなら彼は慣れっこだ。


 今朝は妙な胸騒ぎがしてやたらと早く目が覚めてしまったので、徒歩で通学しても授業の開始時間には充分に間に合う。狩哉の通う眞戸ヶ丘(まどがおか)高校は小高い丘の上にあり、道中は自然も豊かだ。空も澄み切っていて青いし、たまにはたっぷり日光を浴びてもいい。


 狩哉は一度は自転車のカゴに投げ込んだ通学鞄を拾い上げ、常備している竹刀を制服の上から背負い、のそのそとマンションから出た。自転車なら大通りを突っ切る所だったが、今日は住宅街を通ることにした。


 よく茂ったケヤキが等間隔に植えられた歩道には、狩哉と同じ高校の生徒達や通勤途中の会社員達が溢れかえり、眠そうな目を擦っている。近隣の小学校に通う小学生達だけが、元気そうに甲高い声をあげていた。


 眼前に広がる平穏そのものの光景に、狩哉は苦笑を浮かべる。

 呪われた世界にとけ込んでいる自分自身が、おかしくてたまらない。


 陽気に流れ出した僅かな汗を心地よく感じながら歩いていると、商店街にある家系のラーメン屋『七会軒(しちかいけん)』の中年店長が、ランニングウェアでジョギングしながら手を振ってきた。


「やあ狩哉くん、行ってらっしゃい!」


 一人でラーメン屋を切り盛りするマッチョで健気な店長の、野太い声が青空に響き渡る。

 商店街と学校は別方向のはずだが、学校の方角から走ってきた。

 相当遠回りしているようだ。


 狩哉が苦笑を愛想笑いに誤魔化して手を振り返すと、店長は満面の笑顔で颯爽と走り去っていった。


(俺の正体を知ったら、あんな笑顔は返してくれねーだろうけどな……)


 と近い未来を思い描いて、狩哉はすぐにかき消した。

 考えない方が良い。

 その時までは。


 欠伸をしながら再び歩き出すと――不意に背中に悪寒が走った。


 心地よい汗も冷や汗に変わる。


(まさか、こんな朝から……?)


 この気配。天上のどこにも感じたことの無い恐ろしい輪郭。


 この怖気。狩哉という存在に刻み込まれた忌まわしい呪縛。


 狩哉はこわごわ慎重に、前方を見やる。


 全き父の纏う威光のような陽を浴びて、その少女は歩道の隅に立っていた。


 痩せて引き締まった、絵画に描かれた女神のような体躯。

 長い亜麻色の髪に宿る可憐さは、悲しむ聖母(スターバト・マーテル)を思わせ、黒子一つ無い整った顔立ちは原初の女イヴの純朴さを彷彿とさせる。


 ただ一つその美貌から浮いている魔的(デモニッシュ)につり上がった瞳が、狩哉を見据えている。


「おはよ、狩哉」


 愉快そうに、少女――羽原世音(はばらよね)は微笑んだ。


「うぁあ、世音……」


 狩哉の声が上擦り、震える。


「朝から景気の悪い呻き声ね。この私がおはようって言ってるんだから、挨拶しなさい」


「……お、おはよう、世音。何でここにいるんだ?」 


「何でってアンタを待ってたに決まってるでしょ。相変わらずスっとぼけてるわね」


 Sっ気たっぷりに、世音は蔑む。条件反射的に狩哉は身構えてしまう。


「いや、だって俺、いつもは自転車通学だし……こっちの道は普段通らないし」


「説明は要らない。アンタの行動なんて昨日の夜から筒抜けなのよ」


 そう言われて狩哉は思い出す。世音に余計な説明などは不要なのだ。

 細かい経過はどうあれ、狩哉達の行動は大体世音に見抜かれている。

 狩哉自身が行動を起こす前から、すでに。


「恐ろしい奴だよな……」


「なんか言った、この真っ赤っか男」


「いえ何でもありません」


 言うに事欠いて真っ赤っかはひどいと思うが、その言葉が狩哉の本質をついてしまっているのも事実だったりする。

 思想とかそういう意味では無く。


「で、わざわざ待ってたってことは俺に何か用か世音? それともまた嫌がらせか」


「いつも嫌がらせしてるみたいに言わないでよ」


「いつもしてるだろきっついのを」


 どれだけのトラウマを植え付けられたことか、狩哉は数え切れない。  


「何を勘違いしてるのか分からないけど、私のは嫌がらせじゃないからねクズ。自分がどんな存在かってこと忘れないでよねクズ」


「語尾にいちいちクズをつけるな。地味に傷つく」


「うん、分かった。そのお願いを聞いてあげた所で、一つ命令したいことがあるんだけどね」


 何故か狩哉の要望は等価交換されたようだった。


 いつも通りだ。

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