私と鳩
砂上楼閣
第1話〜見送り
私が初めて鳥を見送ったのは、父を見送ったその年のことだった。
私の家では祖父の代から鳩を飼っていた。
似ているけど、一羽として同じ色と模様、羽をした子はいなかった。
父が言うには、私が生まれるよりも前には鳩たちを小屋から出して、自由に飛ばしていたらしい。
鳩たちは本能的に自分の住処へと帰ってこれる。
だからどんなに遠くからでも元の位置に帰ってこれた。
群れでまとまって飛ぶ様は一つの生き物のようで、それはもう見事だったそうな。
けれど歳をとった子が帰ってこられなかったり、猫に襲われて死んでしまったりして、放鳥するのを止めてしまったのだと言う。
父は大工をしていて、優しく、頑固で、とても繊細な人だった。
私が子供の頃にはたしか、土鳩たちは二十羽くらいはいたと思う。
毎朝父が仕事に行く前に、細長い木製の餌箱に餌を入れ、水を取り替えていた。
私が住む家も、鳩小屋も、全て父が建てた。
下駄箱のように連なる鳩たちの巣箱も、高さの異なる止まり木も、餌箱も、餌入れから餌を掬うためのお椀も、全て手作りだった。
たまの休みになると、庭で細々としたものを作っていたのを覚えている。
私は鳩たちがご飯を啄む姿を見るのが好きだった。
たまに鳩小屋の外に弾かれた餌を拾っては、網越しにあげたりしていた。
生まれた時からいる鳩たちは、そこにいるのが当たり前の存在だった。
弟が台風の次の日に拾ってきたキジバトを、父の手を借りながらもヒナから大人になるまで育てた事もある。
怪我をして飛べなくなったシラコバトの保護の依頼を受けて世話をしていたこともある。
私にとってハトは居るのが当たり前で、日常で、普通のことだった。
私が二十歳になった年に、父が仕事先で亡くなった。
事故死、だった。
初夏の頃、まだ本格的な夏とも言えない時期に、とてもとても暑かった日。
熱中症とか、くも膜下とか、色々と原因が囁かれたけれど、梯子の上から、頭から落ちて脳幹まで損傷してしまったから、詳しい原因は分からなかった。
夕方、母からの電話を受けて、心臓がギュッと掴まれたようになった。
手足は震え、平常心など保てるはずもなかった。
とにかく急いで実家へと帰宅して、叔母の運転する車で父が搬送された病院へと急いだ。
どこか現実味のない、焦りばかりで実感のないふわふわとした感覚。
それは、包帯が巻かれ、たくさんのチューブと電子機器に繋がれた父を目の前にしても変わらなかったのを覚えている。
髪を全て剃られ、痛々しく包帯やガーゼで覆われた父を見て最初に思ったのは、ああ、髪の毛を切られちゃったのか、可哀想に、だった。
父の仕事をする時の髪型は大好きなロックンロールスターと同じオールバック。
毎朝こだわりを持って、時間をかけてセットしてたのを覚えている。
普段優しかった父も、セットした髪の毛を弄ろうとしたらやんわりとだけれど怒ったことがある。
それくらい大事な髪の毛が、全部剃られて、痛々しく腫れた肌と、傷口を覆い隠すガーゼだけがあった。
それまで考えた事もなかった
父がいなくなるなんて。
家族が居なくなるなんて。
当たり前が、当たり前ではなくなるなんて。
父は事故から3日後、目を覚ます事なく亡くなった。
静かな最期だった。
しばらく暖かかった肌の感触も、冷たくなって硬くなった腕も、その後の冷たくて、少し柔らかさを取り戻した感触も、全て覚えてる。
火葬後、拾った骨を見ても実感がわかなかった。
父がいなくなって、鳩たちの世話をするのは私になった。
鳩の世話をするようになって、初めて、父が亡くなったことを実感した。
改めて数えてみれば、鳩たちは10羽もいなかった。
昔はたくさん居たのに、いつの間にこんなに減ってしまったのだろう。
当たり前は、いつから変わっていたのだろう。
父はどんな事を考え、どんな想いで彼らを送ったきたのだろう。
答えの分からない問いかけを言葉にすることもなく、それでも毎日は続いていた。
父の後を追うように、残された鳩たちもどんどん元気を無くしていった。
そして冬を迎え、どんどん動きが悪くなり、冷たくなっていってしまった。
餌やりも水の取り換えも欠かさなかったし、糞だって掃除した。
分からないことは調べて、分からないなりに必死にお世話をした。
けれど、父が亡くなったその年だけで、残った子たちの半分以上が虹の橋を渡り、父の元へと行ってしまった。
私が生まれる前からいるということは、みんな私より年上なはずで。
鳩の寿命は、飼われている子でも長くて20年ほど。
父は私が二十歳になり、成人式を迎える前に逝ってしまった。
つまり、みんな私と同じかそれより前の時期に生まれた子たちだった。
寿命だったのだ。
けれど、きっとみんな分かってたんだ。
父が亡くなったことを。
生まれてからずっとお世話をしていた父が、もうどこにもいなくなってしまったんだってのとを。
毎年のように鳩たちは虹の橋を渡り、その全員のお墓を私が掘った。
就職して家を出て、お世話を母たちに任せることになっても、鳩たちのお墓だけは私が掘った。
最期に立ち会えないことも何度もあった。
まだ温もりの残った子の最期を手のひらで感じた事もあった。
そしてとうとう父の残した鳩も最後の一羽になり、見送ったあとは庭に生えた紫陽花の根元に埋めた。
残されたのは私が学生の頃から保護していたシラコバトだったけれど、その子も私が仕事先で一歩間違えば死んでしまっていた、まさにその日、その時間に虹の橋を渡っていた。
知らせを受けて帰った実家で、冷たくなったその子は、庭に生えた柿の木の根元に埋めた。
最後に残されたあの子はどんな気持ちだったのか。
私が世話をしていたあの子たちはどんな気持ちだったのだろう。
唯一見送れなかったキジバトのあの子はどうなっただろう。
もう一羽としていなくなってしまった実家に帰る度に、あの子たちを見送ることの多かった秋から冬にかけて、私は答えのない問いかけを胸の内にしまう。
いつか答えを得ることはあるのだろうか。
きっとそれは、私自身が見送られる時に、分かるのかもしれない。
そんな事を考えながら、今日も私は生きている。
私と鳩 砂上楼閣 @sagamirokaku
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