九珠の剣

第一話

　膝を折るな。剣から手を離すな。何が起ころうと剣が手の中にある限り勝機はある。それを諦めて剣を棄てた瞬間がお前の死だ。

　すなわち、敗北だ。

　勝機が消える瞬間、それがお前の最期だ。

　飽きるほど聞かされた父の言葉が脳裏に響いたとき、律九珠（りつきゅうじゅ）の手の中で剣が爆ぜた。顔をかばって後退し、剣を見ると鋼鉄で作られた刃が中点から真っ二つに折れている。律九珠は目を丸くしたが、それでも半分になった剣を構えて敵に注意を向けた。

　相手は女だった。服装を見ると尼僧のようだが剃髪をしておらず、高く結った髪を簪で留めている。凪いだ顔からは一切の色が見えず、目の前の男をただ静かに凝視していた。ある種の達観を経たような双眸は若々しい見た目に反してひどく年齢を感じさせる。

　若く、しかし老練な女。全力で襲いかかる青年を片手でいなし、その剣をたった二本の指でへし折った女。その顔に宿るのは確固たる勝利の手ごたえでもなく、敵わない相手に突っ込んで敗れた無謀な青年への嘲りでもない。もしくはこちらの実力不足に冷めているのか。

　――待て、誰が負けただと？　剣は折れたがまだ俺の手の中にある。勝機はまだ消えていない。だがこの女に、半分に折れた剣が通用するのか……？

「迷いがもたらすものは良からぬ結末です。戦場においては特に役に」

　不意に女が口を開いた。凪いだ湖にさざ波が立ったような声だったが、律九珠にとってそれは嵐の高波に他ならない。

　たった半分の剣でも手の中にあるならすなわち勝機。律九珠は舌打ちすると、雄叫びのような気合いを発して女に突進した。残った刃で叩き斬るか、切り口の角を刺しこめば――。

　女の体が肉薄する。湖水の如き視線が律九珠の体を射抜く。女の肩口に剣を突き立てようと、律九珠は両手で柄を握って振り上げた。

　刹那、心窩を中心に全身がこわばった。

　冷や汗が全身を伝う。両目が熱いのは気のせいか。あまりの緊張に吐き気さえ覚えた。思考までが動きを止めて、まつ毛の一本さえ動かすことができない。股間がじっとり濡れていく感覚だけがどこか遠くにぼんやりと感じられた。そしてこんなときでも、目の前の女の顔は一切変わらない。

「分かりましたね、律九珠」

　その途端、心窩を押さえつけていた圧力が消えた。あっと思う間もなく女の掌が胸を叩き、首筋を打つ。

　せり上がった異物で喉の奥が締まるより早く、律九珠はその場に崩れ落ちた。