第9話 岩の上の奏者

「なぁ、見てみろよ、まっちゃん。次郎がまた岩の上でへたくそなバイオリン弾いてるぜ。キィーキィーキーッってな! 」


「ははははは!!! 」


他の友達は突然始めた次郎のバイオリンを馬鹿にしていた。

確かに突然始めた次郎のバイオリンは中一の俺たちの話のネタには十分な題材だった。


『気取ってる』と言いながら自分たちと違うことをやり始める次郎を否定するものが多かった。

特に岩の上で練習する次郎はその下手な音色も相まって滑稽に見えた。


だけど、俺は新しい事を始めるあいつを馬鹿にすることはできなかった。


独学でバイオリンをやり始めた次郎の音色が変わったのは、荻島の学校に竹本先生が赴任してからだ。

数学の竹本先生はバイオリンを弾いたことある経験者だった。

プロ演奏者ではないし、どれほどの腕前かはわからなかったけど、次郎の才能を開花するには十分だったのだろう。


「竹本先生も暇人だよな。へたくそ次郎なんかにバイオリン教えてさ」

「なぁ、でもよ、次郎は最近ちゃんと音出してるぜ」


「まっちゃん、下手っぴにはかわりないよ。それに本当に上手なひとって小学生からやっているもんだって、おとうが言ってたぜ」


度々、俺は友達と別れた後、また引き返しては岩の上で演奏する次郎のバイオリンを聴いていた。


ちゃんと弦の音を出せるようになった次郎は竹本先生から課題曲を与えられていた。

俺はクラシックには詳しくないけど、あの曲だけは聞いたことがあった。


バッハの『G線上のアリア』って曲だ。

時々曲をストップしてはやり直し、部分的に練習したり、あいつはいつもあの岩で練習していた。


ある日、あいつはその曲を止まることなく全て弾き切った。

俺は岩からバイオリンを持ってひょいひょいと戻ってくる次郎に拍手を送った。

あいつは照れくさそうに笑っていたよ。


それからあいつはもう俺が知らないような難しい曲をどんどん弾いていくようになった。

素人の俺から見ても普通じゃない上達ぶりだと思ったよ。


・・・・・・

・・


中学3年になるとあいつは俺に悩みを打ち明けた。

「あのさ、竹本先生が俺にちゃんと音楽科のある高等学校に行くべきだっていうんだ」


「いいじゃんか! すげーな! 」


「ああ.. 」


「何だよ? 」


「俺、家族に言いづらくて。今でも漁師の手伝いしないで好きな事やってるのに.. そういうところってお金がかかるだろ? きっとダメだよ」


「おまえ、ダメだと思いながらバイオリン弾いているのかよ。何かバイオリンに思いがあってやっているんだろう? 」


「でもなぁ.. 」


「次郎、俺はお前の演奏が好きだ。岩の上で弾くお前の演奏を聴いていて、俺はいつか大きな舞台で弾くおまえの演奏を聴きたいと思ったよ」


「 ....わかった。まっちゃん、ありがとう」


結局、あいつは親の許可をもらえず、街の市立高校に入学することになった。


でも、俺は何度かあいつが出場するコンクールを見に行ったよ。

入賞するあいつを鼻高に思っていた。


そして田宮家の長男が事故で亡くなって、あいつが網元を継ぐ事に決まった高校3年のあの日。


あいつのバイオリンが聞こえてきたんだ。


あいつはいつもの岩の上でバイオリンを弾いていた。


俺の事に気が付くと、今まで演奏していた難しそうな曲をやめて『G線上のアリア』を弾いてくれた。

たぶん『その曲が一番聞き馴染みがある』って俺の言葉を覚えていたのだろう。


演奏し終わった後、あいつは俺にこんなこと言っていた。


「まっちゃん、『青いトンネル』を知ってるかい? 」


「青いトンネル? 曲名か何かか? 」


「ははは。違うよ。俺、いつもそこで弾いていただろ。中学3年の時に初めて見たんだけど、あの岩から時々『青いトンネル』が出現するんだ」


「.... 」


「 ..あれはさ。きっと俺をいざなうトンネルだったんだと思う」


いざな? 」


「ああ、あのトンネルの向こうにはきっと俺の思いどおりになる道。俺の希望する未来に続く道が待っていたのかもしれない。でも、『青いトンネル』って1年に1回くらいしかでないんだ。しかも5分も見えない。きっとチャンスってそんなに都合よくあるもんじゃないって事なんだろうな。機を逃すとお終いだってことさ」


その時の寂しそうな次郎の顔は今も忘れない。


そしてあいつは高校を卒業すると同時に失踪した。


当然、俺にも黙って行ってしまった。



でも、しばらくして、手紙が届いたよ。

そこにはこう書いてあった。


「いつか大舞台で」

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