第24話 岡崎公園は建築史の名作揃い!
このエッセイは、私が投稿している小説に関するものです。
投稿している小説の正式なタイトルは「京都市左京区下鴨女子寮へようこそ! 親が毒でも彼氏がクソでも仲間がいれば大丈夫!」です。
以下「(略)下鴨女子寮へようこそ!」としますね。
小説のURLはこちらです→https://kakuyomu.jp/works/16817139555256984196
今回、美希と武田氏は、長楽館を出て岡崎公園を散策します。
岡崎公園は、作中でも述べましたが、東京の上野公園のようなところです。
いろんな文化施設が集まっているんです。
もとは平安遷都1100年を記念して博覧会を開いた敷地です。
794年の「なくよウグイス平安京」の翌年に桓武天皇が儀式に臨んだそうで、そこから1100年。つまり、1895(明治28)年のことです。
その敷地に平安神宮を皮切りに、武田五一の「京都府立図書館」、帝冠様式の「京都市美術館(京セラ美術館)」、近代建築の「京都会館(ロームシアター京都)」、より新しい「国立近代美術館」などが建築されていったのです。
その他にも、京都市動物園や京都市勧業館(「みやこめっせ」)などもあります。
「みやこめっせ」は京都国際マンガ・アニメフェア(「京まふ」)の会場になったりしています。
今回登場した。「帝冠様式」という用語。
建築史の中でなかなか興味深い扱われ方をしてきました。
「帝冠様式」とは、拙作「(略)下鴨女子寮へようこそ」でも述べたように、西洋のコンクリート造りの建物に瓦屋根を載せる「和洋折衷」な建築です。
東京上野の国立博物館や、拙作で取り上げている京都市美術館が代表例です。
これら戦前に建てられた「帝冠様式」は、戦後になって「民族主義」「ナショナリズム」「帝国主義」の表れだと批判されるようになります。
ヒットラーのナチスや、イタリアのムッソリーニなどが、仰々しい建築でファシズムを煽っていたので、日本においても「帝冠建築」がその役割を果たしてきたとされたのです。
しかし、建築史家の井上章一さんの『戦時下日本の建築家―アート・キッチュ・ジャパネスク 』(朝日選書 1995/7/1)を読んでみますと。
軍国主義真っ盛りの頃、当の軍の施設に全く帝冠様式と異なる西洋風の建築が見られます。
また、戦時中には物資が不足し、建築に凝る余裕もなかったそうです。
ですから、戦後になってからの「帝冠様式」への帝国主義批判はあまり当を得たものではないのだとか。
この「帝冠様式」という言葉がいつ出来たのか、そして誰がどういう文脈で批判しているのかなどなど、この用語を巡る論点はたくさんあります。
拙作で氏が「これを帝冠様式と呼んだりする。この呼称や建築史上の位置づけについて語るべきことは多々あるが」とだけ述べて話題を変えますが、それは一口に整理できないからです。
私(鷲生)にも無理ですしw。この場面では、氏が美希に岡崎公園を歩きながらざっくり建築史を説明してくれればそれでいいので、これ以上深入りしておりません。
ご興味のある方は、上記の井上章一さんのご本などお読みになって下さいませ。
岡崎公園が建築史の宝庫であるということ。
これについて私がとても影響を受けたのが、建築史家の倉方俊輔さんの『京都近現代建築ものがたり』という本です。(平凡社新書 2021/9/17)。
この本はタイトル通り、京都の近現代建築を紹介する本です。
「京都府立図書館」「ロームシアター京都(京都会館)」「京都市京セラ美術館(京都市美術館)」についても取り上げられています。
そして、これらの建物が集まっている岡崎公園についても、「どの建築もお行儀よくおさまっておらず、個性的で、デザイン的に攻めている」という趣旨の記述があります。
引用しておきますね
”岡崎には、本書で取り上げた京都市京セラ美術館やロームシアター京都の他にも、世界を代表する建築家の一人である槇文彦による京都国立近代美術館など、質の高い近現代建築が集う。決して「伝統」によりかかるだけの臆病な公共建築が建ち並ぶ場所にはならなかった 「京都近現代建築ものがたり」63頁”
私、この文章を読んで「ハッ」としたんです。
私も京都に住んで長いので、岡崎公園のそれぞれの建物に、それぞれの用事で出向いたことはあります。
府立図書館に本を借りに、京都会館に音楽を聴きに、京都市美術館に絵を見にという風に。
ですが、それぞれの建物に興味を持つことが乏しくて……。
ましてや。
岡崎公園という空間を、個性的な建築が競うように並んでいる特異な場所だという視点が全く無かったんです。
拙作「(略)下鴨女子寮へようこそ」で、「小さな東京駅」に似ている辰野金吾の建築を取り上げましたが。
そのような辰野式がある京都の街に、武田五一がセセッションの府立図書館を岡崎公園に建て、それをお向かいに見ながら帝冠様式の京都市美術館が建ち、これらが南にある公園に京都会館が、そしてその南端に近代美術館が建設されます。
それぞれの建物を設計する時には、岡崎公園に既にあった名建築を意識せざるを得なかったと思います。
それでも、次に建てる建築家は、そこで先人にひるむことはありませんでした。己の新たな様式で挑戦してきたのです。
この建築家の心意気の賜物が並んでいる……そう考えると、岡崎公園に対する私の見る目も変わりました。
私が拙作「(略)下鴨女子寮へようこそ」をどの時点でどう構想していたのか、今となっては記憶が曖昧です。
ただ、『京都近現代建築ものがたり』を読むまで、建築学科君が登場するというアイデアはなかったように思います。
ですから、この本は、拙作の生みの親と言えるかもしれません。
さて。
今回、美希は長楽館で女性用トイレのステンドグラスを撮影していました。
この辺は実話です。
私も2021年の秋ごろに長楽館のアフタヌーンティーに行きました。
拙作中でも述べましたが、二人で1万円弱するなかなかのお値段です。
そう簡単に中に入れないので(金銭的にw)、入ったからには写真を撮るぞ~と気合入れて何枚も撮影しました。
あ、もちろん、お店の人にことわりましたよ。
拙作と同様、黒い服を着た30代の男性の方に「写真いいですか?」聞いたところ「もちろんでございます」と快諾を得られました!
そして、私は女性ですので、女性トイレに入ったのですが。
そこのステンドグラスも素敵だったので撮影したんですよ。
この女子トイレ以外の長楽館の写真はTwitterにばんばん掲載したのですが。
やはり、女子トイレの写真については、いくら女子トイレの分かるものが移り込んでいなくても、Twitterに投稿するのは躊躇われました……。
そのまま私が個人的に所有しております。
今回、この辺のエピソードを、拙作「(略)下鴨女子寮へようこそ」で使った次第です。
美希が良かれと思った女子トイレのステンドグラスの写真を、武田氏も安心して眺められるように、由梨さんが共有ファイルを提案します。
Googleを挙げていますが、私はスラックを使っているので、そのイメージです。
下鴨女子寮の寮生と武田氏にもつながりがあるという展開です。
これから美希と武田氏が、下鴨女子寮生たちに見守られながら、どう近づいていくか。
最後までどうかご愛読賜りますよう。
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