第50話 勝孝と十郎太3
翌年、勝孝十六、お末十四で二人は祝言を挙げた。十郎太とお末の本当の気持ちを知るのはお初だけだったが、聡明な姉は自分の中に留め、一切口外しなかった。
勝孝とお末が夫婦になってからも、十郎太は勝孝の右腕として仕えた。もともとが努力家の勝孝は武芸も勉学も十郎太より出来が良かったものの、細かい仕事を丁寧にやるのはあまり得意ではなかった。そのため器用で根気の続く十郎太が重宝がられていたのだ。
まさにお末の言う通り、四六時中彼女と顔を合わせることができるようになったのだ。とは言え、相手は仕えている上司の奥方様だ。以前のように気軽に声がかけられる間柄ではなくなった。
毎日会えるのは嬉しくもあり、苦しくもあった。十郎太にできるのは、夫としてではなく夫の部下としてお末を見守ることだけだった。
上司の勝孝はと言えば、浪太郎と共に木槿山の運輸体制を確実なものにして行った。それによって他の町との交易も盛んになり、商人たちは活気付き、町全体が少しずつ潤って来ていた。
これだけのことをやったのだ。木槿山の物流を大きく発展させたのは父の孝平でも兄の繁孝でもなく、弟の勝孝なのだ。これだけの功績を残した勝孝としては、当然、柳澤の家は自分が引き継ぐことになると思っており、それは十郎太も同じで微塵も疑うことは無かった。
だが、父の反応は違った。孝平が最も重視していたのは民との距離だった。民の考えを酌み、民の想いに寄り添う。民と同じ視線で物事をとらえ、気持ちを共有できる。これこそが孝平の考える柳澤の在り方だった。
だからこそ弱い立場の者に想いを馳せることのできる人間になるようにと育てたのだ。
父の考えをそのまま受け取り、それを軸に育って来た兄の繁孝。町全体を潤すことに重点を置いた弟の勝孝。やり方は違うものの、だからこそ協力すれば『強い柳澤』になると父は信じていた。
純朴な兄は父と同じ考えで弟と協力してやって行くつもりでいたが、所詮兄も父も『跡継ぎ』ならではの呑気な発想だった。
弟は『跡継ぎ』ではないだけに、協力という立場に我慢ならなかった。
これだけの成果を見せてもなお兄に柳澤が継がれていくという父の考えに大いに落胆した。
どれだけ有能であっても、この家では生まれた順序だけで全てが決まる――実際にはそれだけではなかったのだが、勝孝にはそう映った。
それならば兄が自分より先に死ぬしかない。かと言って柳澤を継ぐために兄に死んで欲しいとまでは思わない。決して兄弟の仲が悪いわけではないのだ。
それではどうするか。
そこで勝孝が考えたのは子のことだった。
兄は子どころか結婚すらしていない。婚期が遅れることもあり得る、子が授からないことも考えられる、また授かった子がすぐに亡くなることもある。
それなら兄より先にお末に男子を産ませれば良い。もしも兄に男子が授からなければ、このままこちらに回って来るではないか――そう考えた勝孝は、お末に男子を産むようにとけしかけた。
思えばこの頃から勝孝はおかしくなってきたのかもしれない。
勝孝は実際には高い評価を得ていたにもかかわらず、成果が正しく評価されていないと感じていた。彼の目的が柳澤の跡目を継ぐことである限り、その目標が達成されなければ勝孝にとっては評価されていないに等しかった。
民の想いに敏感な孝平は、最も近くにいる我が子の想いには鈍感だったのだ。
そしてそれはまた、勝孝とて同じ事だった。最も近くにいるはずのお末と十郎太の気持ちには恐ろしく鈍かった。
ちょうどその頃に兄の繁孝とお末の姉のお初の縁談がまとまり、ますます勝孝を焦らせた。それも手伝ってか、勝孝はお末をあたかも男子を産むためだけの存在かであるかのように扱った。
もともとが政略結婚だ、よほどお末を大切にしていたというわけではなかったものの、それでも美しい着物や帯を仕立てたり、町で流行りの
ふさぎ込んだお末を見て、十郎太は自分を激しく責めた。自分がお末を嫁にしていれば、こんなふうに悲しませることは無かったのに、と。
十郎太の勝孝に対する尊敬の気持ちは、日に日に薄れて行った。――勝孝さまは有能だが、人の気持ちがわからない――この頃から十郎太は『お末を守るために』勝孝に仕えるようになっていた。
しばらくしてお末が懐妊した。勝孝の喜びようは、まるで今しがた出産が終わったかのような勢いだった。
そして、まだお末の腹も目立たぬうちにお腹の子を男子と決めつけ、名前を考え始めていた。
勝孝は掌を返したようにお末に優しくなった。体を労わり、優しい言葉をかけた。
お末にとってはそれが逆に恐ろしかった。もしもこのお腹の子が男子でなかったらどうなるのだろう――そればかり考え、夜も眠れなくなった。
彼女がふさぎ込む理由がわからない勝孝は、気分転換にと松原屋を呼びつけ、好きな着物を作れとお末に提案した。
お末はお腹の子供のために
お末の腹もだいぶと大きくなってきたころ、爽やかな秋晴れの日に繁孝とお初の祝言が挙げられた。十郎太は内心安堵していた。これでお初がお末の話し相手になってくれる。自分の姉だ、きっとそばにいるだけで安心できるだろう、と。
実際にお初は身重の妹のところへ
その代わりにお末は勝孝を以前にも増して恐れるようになった。十郎太やお初と話している時の彼女に違和感はないのだが、そこに勝孝がやって来るだけで急に
勝孝は悪気なく言っているのだろうが、彼の言葉がお末には一つ一つが棘のように刺さるのだ。
体調はどうだ、気分はどうだ、
もしもこの子が
――その時私はどうなってしまうのだろう。
その恐怖は側にいるお初にも十郎太にも伝わって来るのに、舞い上がっている勝孝には全く伝わらないのだ。
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