第37話 家臣2

「えっ?」

 思わず妙な声が出てしまったことに、雪之進自身気付いていなかった。

「見たのであろう、女の子の産着を」

 さっきの猩々緋の――

「はい」

 返事を聞いて十郎太は部屋の中に座り込むと、「お前も座れ」とばかりにあごをしゃくった。

「勝宜さまには一つ上の姉がおられた。あれはお宮参りのために仕立てたものだ。だが袖を通すことはなかった」

 生まれた赤子が百日と生きられないのが今の世だ。十郎太が責を負うこともなかろうに。

「すぐに亡くなられたのですね」

「殺されたのだ」

 殺されただと? 生まれたばかりの何の罪もない赤子が?

「誰……に」

「俺だ」

 息が止まった。勝孝の第一子である姫様を、この十郎太がほうむった?

 しかし、彼は「女と子供を手にかけるのは恥ずべき行為」と言っていなかったか?

「勝孝さまのご指示だった」

「そんな馬鹿な」

「おなごは家を継ぐに相応しくない。そんな無駄なものに金も労力もかけられないから始末しろと」

「勝孝さまがそう仰せになったのですか」

「そうだ」

「十郎太さまに」

 十郎太は鼻から長い息を吐いた。

「そうだ」

 なんという鬼畜。自らの手を汚さずに、十郎太にそれをさせるとは!

「俺はまだ十六だった。姫を生かす方法が何も思いつかなかったのだ」

 十郎太が本来優しい人間であることを知っているはずなのに、その純真な十六歳の若者にこのような残酷な仕事をさせ、あまつさえ実の兄・繁孝の萩姫さえも始末せよと仰せか!

 以前からそのようなところのある男だった。だが実際ここまでとは思っていなかった。雪之進は大いに裏切られた気分だった。

「俺はそれに異を唱えることはなかった。許されなかったというべきか。俺は勝孝さまの忠実なしもべとして振舞うことしかできなかった。弱かったのだ。だからお前が羨ましいのだ、雪之進」

「勝孝さまの姫様は」

 雪之進は自分の声が震えるのがわかった。こんな事は訊くべきではないということもわかっていた。十郎太を責める以外の効力がないのだから。それでも訊かずにはいられなかったのだ。

「俺には殺せなかった。手にかけることができなかったのだ。だから殺すのではなく死んでもらうことにした。生まれたばかりの赤子を寒空の下に放置したのだ」

 死ぬとわかっていて放置した。

 町人に生まれていれば母の暖かい腕の中に抱かれていたかもしれないものを。姫に生まれついたばかりに、誰に抱かれることもなく独りこごえながら寒空の下で冷たくなっていったのだろうか。

 そんなむごいことがあってたまるか。

「お末の方さまはどうされたのですか」

「奥方様には姫が流行り病にかかったとお伝えした。ちょうど産後で体調を崩されていたゆえ、病が伝染せぬようにと姫と隔離した。そのまま俺は、姫を置き去りにしてきたのだ」

 なんということだ。お末の方さまは自分の産んだ子を抱いてすらいないのか。

「お末の方さまはたいそう嘆き悲しんで……その時の勝孝さまの言葉を俺は一生忘れないだろう」

「なんと?」

「次は男子おのこを産め、と」

「それが子を失ったばかりの母に言う言葉ですか!」

 たまらず雪之進は立ち上がって叫んでいた。だが、十郎太は「座れ」と静かに言っただけだった。

「それからすぐにお末の方さまはご懐妊かいにんされたのだ。その子がもしも男子でなかった場合はわかっているな、と勝孝さまから言われていた」

 それは再び赤子を殺すということ――。

「もしも万が一にも次のお子が姫だった場合はここから逃げましょう、と奥方様に進言した。俺はここに残ることに未練はなかった。だが、生まれた子供は男の子だった。子供を連れて逃げ出すという事態は免れたが、奥方様はお産の時に亡くなられた。勝孝さまは……勝孝さまは」

 十郎太は顔をゆがめ、やっと絞り出すように言った。

「男子の誕生に喜び、奥方様には見向きもしなかった。あの方にとって奥方様は『跡取りを産むだけ』の存在に過ぎなかった。それならなぜお末の方でなければならなかった? 跡継ぎを産むだけの道具なら、もっと健康なおなごを選べば良かろうに、なぜ体の弱いお末の方にこだわったのだ?」

 答えはわかり切っている。あの着物の数々を見ればわかる。美しい方だったのだ。単に美しい女性だったのだ。

「それでも俺は勝孝さまについて行った。他に行くところが無かったからだ。俺には勝孝さまの僕でいるほかに生き残る道は無かったのだ」

 雪之進にはもう十郎太にかける言葉が見つからなかった。

「雪之進。お前はどうする」

「私は十郎太さまについて参ります」

 即答だった。十郎太がこの苦しみから解放されるまで、自分は十郎太にお仕えしよう、そう思った。

「それは勝孝さまに仕えるということだぞ」

「いいえ。私がお仕えするのは勝孝さまではありませぬ。十郎太さまでございます。十郎太さまだけにお仕えいたします」

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