ヒゴウ――或いは非合理に子どもたちを救った話

葉島航

第1話

「もうすぐだと思うが、この辺、こんな感じだったか?」

 与一が頭を掻きながら辺りを見回す。与一と言えば扇の的伝説で有名な那須与一が思い浮かぶが、こいつの場合はちょっとばかり優美さに欠ける。はちきれんばかりの筋肉が、黒いTシャツの下で動いているし、頬には絆創膏――昭和の小学生か――、しかもその理由が飼い猫に引っかかれたとか料理中に油が跳ねたとかいう可愛い理由ではなくて単純に喧嘩沙汰によるものときた。さらに情報を加えるなら、ボクサー時代に相手の反則攻撃を正面から食らったせいで左目が義眼なのである――どうせならおしゃれにしたいという本人の意向で、透き通るような青色をしているし、夜間にはなんとLEDで光を放つ。間違ってもこんなやつと夜道で会いたくはない。

「正直そこまでの懐かしさは感じないネ。そもそも何があったかなんて覚えてないワ」

 隣を歩くトッコが冷たい声音で言う。

 彼女の声がくぐもっているのは、ガスマスクがその顔を覆っているからだ。本人曰く「自分は絶世の美女」らしいのだが、潔癖をこじらせ、外出時に防護服を着ずにはいられない。この防護服が普通ではなくて、背中の巨大ガスボンベから伸びた真っ黒なホースが顔面のガスマスクに接続されているし、服の生地は迷彩柄でなおかつ防刃チョッキをなぜか着ているという、毒のまかれた敵地に乗り込む戦士の服装なのだ。

 与一は彼女が昔のことを覚えていないことが不服なようだ。

「覚えてないのか? 登紀子とも何度か一緒に通ったはずだが」

「全く覚えてなイ」

「冷てぇ野郎だなぁ、ぶちかますぞ」

「レディに野郎とはどういう了見ヨ、そっちこそぶちかますゾ」

 やり合う二人の後方から笑い声が響いた。

「さっきから聞いてたけど、ええなぁ、青春やなあ」

「ほんまやなぁ」

 関西のノリ丸出しのおばちゃんは、大阪クニ子。その隣で相槌を打つおじちゃんが夫の大阪クニ夫である。

「どこがだ。俺が一方的に思い出を語ってるだけになってるだろう」

「それだってええやん。むしろ、失われた彼女の記憶を取り戻そうとする韓ドラ観てるみたいやわ」

 クニ子が再びゲラゲラと笑う横で、クニ夫が「ほんまやなぁ」とつぶやく。クニ夫が「ほんまやなぁ」以外の言葉を発しているところを、まだ誰も見ていない。

「トッコは俺の彼女じゃねぇし、記憶喪失でもねぇ。単純にそういう情緒が欠落してるだけだ」

「人を氷の女王みたいに言いやがっテ。情緒が欠落してんのはそっちの方だろうガ。どこをどう見たって未来から来た殺人マシーンだろウ」

「誰が殺人マシーンだボケ」

 四人は元から一緒に行動していたわけではない。がらがらに空いた新幹線からがらがらに空いた駅に降り立ち、同じ目的地を目指して歩いていた。その道中、ガスマスクを着けたトッコに与一が「もしかしてトッコか?」と呼びかけ、その直後にクニ子が「兄さんえらい強面やなぁ、隣のあんたもえらい重装備やなぁ」と声を掛け、なんだかんだで共に歩いているわけだ。

「あ、あれだ。あれが校門だ」

 与一が前方を指さす。

「あれは覚えてル。世にも珍しい赤い校門ネ」

「昔、赤い校門なんて変だ、って他校の不良が突っかかってきたこともあったなぁ」

 与一が遠い目をして口元をほころばせる。 

「あの後、同じ赤とはいえ、やっぱり人の血とペンキの色は違うって発見した」

「何怖いこと言ってんだヨ。やっぱり殺人マシーンだナ」

 与一とトッコの思い出話は、八、九割がこの手の話だ。まともな友人ができなかったのはこいつらのアクが強すぎたせいだ。

「大学で赤い校門と言ったら天才の集まってる所やけどな、ここは残念ながら中学校なんやなぁ」

「ほんまやなぁ」

 クニ子とクニ夫が門の前に立ち、校舎を見上げる。何の変哲もない中学校だ。校門を入った正面に第一棟が建ち、奥に第二棟、さらにその奥が体育館とプールだ。校舎の右手側には運動場が広がっていて、そこには中学生の姿がまばらに見える。

「俺たちが卒業してすぐ、二棟校舎が倒壊して建て直すはめになったんだよな。老朽化と手抜き工事が原因だったらしいが」

「学校が倒壊って、洒落にならんな。で、生徒は普段どこで勉強するんや?」

「俺の時代は二棟だったな。一棟は音楽室とか調理室とか、特別教室ばかりだった気がする。職員室も一棟だったはずだ」

「じゃあ、あたしらは二棟へ向かえばいいんやな?」

「おそらく」

 クニ子と与一が話しているうちに、一棟の昇降口から青いジャージ姿の男が現れた。教師と思しき彼は、四人の姿を認めると、こちらに走り寄ってくる。

「ほな、ちょっと失礼」

 言うが早いか、クニ子紺色ワンピースの裾をめくりあげ、ホルダーから拳銃を取り出した。そのまま引き金を絞る。

 サイレンサーが搭載されているらしく、乾いた破裂音だけを残して銃弾が発射された。それは教師の腹部に命中し、赤黒い液体が散る。重い音を立てて青ジャージは倒れた。

「あかん、外した」

 クニ子はもう一度銃を構えなおす。青ジャージは頭を起こして撃たれた腹をしげしげと眺めていた。その顔には表情と呼べるものがなく、痛みや驚きといった感情が全くもって見られない。代わりに異様なむくみと青筋が顔中に現れている。青ジャージはそのままむくりと身体を起こした。

「あいつらを仕留める方法は一つ。頭を潰すこと」

 クニ子が言い、まだ煙を吐く銃口から二発目の弾が発射された。今度は青ジャージの眉間にヒットする。

「ほんまやなぁ」とクニ夫も言った。

「あんたら、ただ者じゃないネ」

 トッコの言葉にクニ子が笑う。

「この感染症が突如として広まってから、自衛隊や警察とは別に、国によって急遽立ち上げられた組織がある。その名もニッポン・アゲインスト・ウォーキングデッド、略してNAW」

 クニ子は手にした拳銃を持ち上げ、ふっと吹いた。太陽が彼女の姿を照らし、一種の神々しさを醸し出している。

「あたしはNAW国家特殊捜査官クニ子。目的はあんたらと同じ、この中学校に閉じ込められた生徒の救出や。そして――」

 クニ子はそのままクニ夫を指さす。

「こっちは同じく国家特殊捜査官のクニ夫。十年来の相棒であり、爆弾処理のエキスパートやねん」

「ほんまやなぁ」

 彼は相変わらずにこにことうなずくだけだ。しかし今やその右手にはクニ子と同じ銃が握られている。

「あんたらもここに来たってことは、多少は腕に覚えがあるんやろ?」

「俺は単に、母校の後輩たちが身動き取れないって噂を聞いて来たまでだ。先のことなんて考えてない」

 与一は努めて冷静に語るが、はちきれんばかりの筋肉が「誰でもいいからボコボコにしたい」と主張している。

「右に同じネ」

 トッコも同調するが、マスクのせいで何を考えているか分からない。

「よし、とにかく二棟やな。さっさと行かんと、ここもそろそろ危ないで」

 運動場を見ると、中学生と思しき人影が向かってきている。剥き出しの頭蓋骨、腐敗した肉、ぎくしゃくとした動き。すでに感染済みのようだ。

 四人はその場を駆け出し、二棟へ向かう。

「予想してたけド、強烈なバリケードだネ」

 一階の入口は、机やロッカーでどこも厳重に封鎖されている。感染が拡大して数日、生徒たちが籠城して生き残っているのだ。並大抵の防ぎ方ではない。

「二階の窓から入った方がよさそうやな。下手にバリケードを崩して、あいつらが侵入しても困る」

 クニ子はそう言うなり、腕時計のような装置からワイヤーを発射した。それは二階部分にある窓の手すりへ絡みつく。

「ほな、お先に。気を付けておいでな」

「ほんまやなぁ」

 ワイヤーを巻き取り始めたのか、クニ子はそのまま二階へと上がっていく。その隣でクニ夫が全く同じ装置を使い、同じ要領で二階へ向かう。

「こっちはどうすル? うちは完全にあんたの筋力頼みヨ」

「手伝ってほしいなら相応の態度を取ったらどうだ」

 言いつつ、与一はトッコを背負う。

「お前、そのマスクとボンベはいるのか? やたら重いし、さっきから俺の後頭部にガンガンぶつかってくるんだが」

「大気中にどれだけの細菌がいるか知ってル?」

「知るかボケ」

 与一はそのまま雨どいをつかんで器用に上っていく。

「もうちょっとスピード出ないノ? やつらとの距離は目測であと五メートルくらいヨ」

「文句言うな。聞くところでは、ここを上ったりする知能が感染者にはないらしい。だから大丈夫だ」

「この雨どいが外れなければネ」

「嫌なこと言うな」

 結局雨どいが壊れることもなく、二人は二階の窓から無事侵入し、待ち構えていたクニ子らと合流したのだった。

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