3章 遅れてきた反抗期

第1話 雪子さんの家庭の事情

 9月になり、少しばかり秋の気配を感じる様になって来た。太陽が出ている時間はまだまだ真夏の風情だが、日が落ちると気温が下がる様になって来た様に思う。秋の旬物も店頭に並び始めていた。


 「小料理屋 はなむら」で以前お運びさんをしてくださっていた雪子ゆきこさん。今は息子さんご家族と同居中である。


 上のお孫さん悠介ゆうすけくんは就職して独立され家を出ており、今は息子さんの克人かつとさんとお嫁さんのさつきさん、大学二年の世羅せらちゃんとの四人暮らしだ。


 悠介くんの独立と世羅ちゃんの大学進学は同時で、子育てもひと段落と、さつきさんはパートに出られることになり、そのタイミングで同居が始まった。


 家事を雪子さんとさつきさんで手分けしていて、炊事すいじは雪子さんのお仕事だ。


「私みたいなお婆ちゃんが作る、古臭いご飯でええんやろか」


 雪子さんはそんなことを心配げにらしていたが、さつきさんは「それがええんです」と力強くおっしゃる。


「野菜たっぷり、程よい薄味、魚も肉もバランス良く、ええ和食。たまにカレーとハンバーグ。お義母かあさん完璧です」


 身体に良い優しいご飯。家族は健康でいられるし、克人さんにとっては馴染みのあるお袋の味。誰にとっても良いこと尽くしなのだそうだ。


 雪子さんは「はなむら」を勇退されたあとはご常連となり、毎週金曜日に来店される。そして必ず茉莉奈まりな特製おしながきを注文してくださる。


「茉莉奈ちゃんも私にとって孫みたいなもんやねん」


 雪子さんは「はなむら」が軌道に乗ってから来てくださり、カウンタで夕飯をる茉莉奈のことを良く気に掛けてくれた。早い時間でお客さまが少ない時間帯に、ご常連も交えて良くお話したものだ。


 今日の茉莉奈特製おしながきは、するめいかとさやいんげんの粒マスタード和えだ。


 さやいんげんはお塩を入れたお湯で、歯ごたえが残る様に茹でて、色止めのために冷水に取る。


 輪切りにしたいかは日本酒を入れたお湯でさっと茹でて丘上げにする。そうすると余熱でじんわりと火が通り、しっとりと柔らかく仕上がるのだ。湯気で水分もあらかた飛んでくれるので、水気を切るのが楽になるという利点もある。


 和え衣は粒マスタードに、マヨネーズと蜂蜜はちみつを混ぜて作る。隠し味にお醤油を落とした。


 マスタードと蜂蜜を合わせたハニーマスタードがあり、これはとても人気なのだが、今日は粒マスタードをしっかりと立たせるため、蜂蜜は隠し味程度に控えめな量だ。マヨネーズも加えてまろやかな和え衣に仕立てている。


 マスタードの爽やかな辛さがさやいんげんの青さを巧く隠し、含む甘さを引き上げる。ぷりっと仕上がったいかも和え衣のおかげで一体感を生み出していた。


「茉莉奈ちゃん、また腕上げたん違う? 今日も美味しいわぁ」


「ありがとうございます」


 ご機嫌な雪子さんのせりふに、茉莉奈はふわりと微笑んだ。


 雪子さんは大好きな芋焼酎、今日は富乃宝山とみのほうざんのお湯割りをお供にしていた。


 「富乃宝山」は芋焼酎の本場とも言える鹿児島の西酒造さんが醸造した芋焼酎だ。柑橘系と思しき香りを孕み、きれの良い口当たりと奥深い味わいが楽しめる。


 「はなむら」では数種の芋焼酎を揃えていて、雪子さんはいろいろな種類の芋焼酎を楽しまれる。


 他に雪子さんは秋鮭のムニエルを注文されていた。お塩と日本酒で臭み抜きをした生の秋鮭に下味を付けて小麦粉を薄くはたき、オリーブオイルとバターでじっくりと焼き、ほのかな焼き目を付けてやる。


 青磁せいじを思わせる色合いの角皿に横たわらせ、生のルッコラをムニエルに渡らせる様に置き、くし切りしたレモンも添える。


 ムニエルは鮭の定番の食べ方だ。塩焼きも捨てがたいが、お店だからこその仕事をしようとムニエルにした。


 たっぷりと上質な脂を蓄える旬の秋鮭は、さくっとした薄衣をまとうことによってふっくらと焼きあがる。バターの甘やかかつ香ばしい香りに秋鮭の柔らかくも濃い風味が調和し、たまらない旨味になる。


 お好みでレモンを絞れば爽やかな酸味が加わり、また違う味わいを生み出すのだ。


 もう一品、白和えをご注文だった。9月に美味しいつるむらさきに、人参とこんにゃくを入れてある。


 つるむらさきは葉っぱと若い茎の柔らかいところをふんだんに使った。人参とこんにゃくは短冊切りにして、食べ応えを増してある。それぞれ茹でたりして丁寧に下ごしらえをしている。


 木綿豆腐の水分をしっかり切った分、お出汁や調味料をふんだんに含み、ふくよかな味わいになる。そこに他の食材の様々な旨味が顔を出す。


 お醤油などの味付けは淡くしてあるので、白すりごまがふわりと香り、豆腐が抱える大豆の味が引き立つのだ。


「ここでのご飯は週に1度のご褒美ほうびやね。家で自分が作ったもんばっかり食べとっても飽きるもん。女将おかみのも茉莉奈ちゃんのもどれも美味しいから、どれ頼もうかいつも迷ってしまうねん」


「どれでももっと食べたらよろしいがな」


 お隣の高牧たかまきさんが言うと、雪子さんは「いやぁ」と残念そうに首を振る。


「もうそんな量食べられへんもんねぇ。歳っちゅうことや」


「まぁなぁ、わしもそんなたくさん食べられへん様になったもんなぁ。寺島てらしまくんの食欲とか羨ましいのう。言うてもわしかて若い頃はようけ食べとったんやで」


「私かて若いころはもっと食べられたで。もっと早ように「はなむら」を知りたかったわ」


「なんや、雪子さんここで働いとったやないの。まかないとか無かったんかいの?」


「閉店の後に軽くね。その日に余ったもんとか食べさせてもらっとったんよ。どれも美味しくてねぇ。ついつい食べ過ぎてしもうて」


「そりゃあ羨ましいこっちゃのう」


 お年寄りが集まれば年齢に関わる話になると言うが、雪子さんと高牧さんもまさにそうだった。加齢によって訪れる変化は、まだ若い茉莉奈が想像するのが難しい。なので参考になる。ご年配のお客さまに接する時に、気をつけなければならないことは多いのだ。


 香澄もたまに「腰が痛い」と言って、腰をとんとんと叩いている。立ち仕事だから余計に負担になるのだと思う。


 あまり無理をして欲しく無いが、香澄のことだからそれを押して厨房に立つのだろう。茉莉奈が少しでも助けにならなければ。

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