第4話 お腹を満たして

「ほらほら茉莉奈まりな、小上がりさんに軟骨なんこつの唐揚げね。そうや、お母さま、夕飯は召し上がりました?」


 茉莉奈はとにかく仕事だと、軟骨の唐揚げを小上がりのお客さまにお運びする。


「お待たせしました。軟骨の唐揚げです」


「ありがとう。なぁ茉莉奈ちゃん」


 ご常連の尾形おがたさんだった。尾形さんは声をひそめる。


寺島てらしまくん、なんや大変そうやな。大丈夫か?」


「多分大丈夫だと思います。母も高牧たかまきさんもおられますし。私は役立たずですけど」


「いや、結構巻き込まれとるで。まぁただの親子喧嘩げんかやと思うけどなぁ」


「ええ、きっと」


 茉莉奈は安心していただける様に微笑んで小上がりを離れる。


 寺島さんは見合い写真を封筒にしまい、カウンタの奥に立て掛けていた。やはり興味が沸かなかった様だ。ご本人もまだ結婚される気は無い様だし、そんな時に見せられても困るだけなのだろう。


「お母さま、よろしければ何かお作りしましょうか? お腹が満たされれば心も落ち着きますよ」


 香澄かすみが笑顔で言うと、お母さまは「そやね……」とおしながきを取る。そして寺島さんの前にある食べ掛けの料理を眺めた。


「だし巻きと太刀魚たちうおと、それはなんや?」


 お母さまが指をさしたのは、茉莉奈特製の料理だった。茉莉奈はついぴくりと緊張してしまう。


「豚と切り干し大根のごま和え。旨いで」


「ふぅん」


 あまりそそられなかった様で、お母さまはまたおしながきに目を落とす。


「ふん、普段家でやるん面倒な揚げ物行こか。天ぷらの盛り合わせもらうわ」


「はい。かりこまりました。お飲み物はどうされます?」


「お酒はやめとこか。明日も早いしな。ノンカフェインのお茶、何かある?」


爽健美茶そうけんびちゃをご用意できますよ。よろしいですか?」


「それでええわ」


「かしこまりました。茉莉奈、よろしくね」


「はーい」


 茉莉奈はタンブラーに氷を入れ、2リットルのペットボトルから爽健美茶を注ぐ。


 上がりのほうじ茶はサービスということもあって店で作っているが、売り物になる飲み物は全て市販のものだ。「はなむら」ではお茶は、爽健美茶と烏龍茶、お〜いお茶の用意があった。


「お待たせしました。爽健美茶です」


 お母さまにお持ちすると、お母さまはまた茉莉奈をぎろりと睨む。茉莉奈は怯んでしまった。


「なぁ、あんたほんまにうちの子と付き合うてへんねんな?」


 まだ疑われているのだろうか。一体寺島さんはお母さまに、この「はなむら」のことを何とおっしゃっているのだろうか。疑心暗鬼ぎしんあんきになりそうだ。


 寺島さんはいつでも茉莉奈を口説く様な軽薄な口調であるが、本気で無いことぐらい茉莉奈にも判っている。


「はい。違います。寺島さんはこの「はなむら」の大切なお客さまです」


 茉莉奈がきっぱりと言うと、寺島さんがお母さま越しに「ほらな、何度も言うてるやろ」と声を上げる。


「これ以上茉莉奈ちゃんや女将さんに失礼なこと言うたら、店追い出すで」


「料理注文したんやから、私も客や。あんたにそんな権利あれへん」


「ほんまに口が減らんなぁ」


 寺島さんが呆れた様に言い、お母さまは「ふん」とふくれてそっぽを向いた。


 あとは親子で話し合っていただけたらと思う。家業を続けるのなら、跡取り問題は解決しなければならないことだ。寺島さん自身は跡を継がれるつもりでおられるし、結婚だって一生されないわけでは無いだろう。


 お見合いも出会い方のひとつだと思うし、昔はそれがほとんどだったのだから否定することはしない。だが互いを思い合っていなければ、結婚生活はしんどいものになるのでは無いだろうか。


 茉莉奈はどうしても、両親を理想の夫婦像にしてしまう。両親は仲が良かった。喧嘩もあっただろうが、それを茉莉奈には見せず、いつでもにこにこして気遣い合っていた。それは相手を大切に思っているからできることなのだと茉莉奈は思う。


 香澄を見ると、天ぷらを揚げているのか下に穏やかな視線を向けていた。料理をする香澄は優しい表情をしている。だからできあがる料理は心を包んでくれるのだろうか。


 そんなことを考えている間も、茉莉奈はお客さまの飲み物を作り、作り置きのお惣菜を盛り付け、使い終わった食器を下げ、と忙しなく動き回った。


「はい、お待たせしました。天ぷらの盛り合わせです」


 寺島さんのお母さまの天ぷらが揚がった様だ。香澄がカウンタ越しにお渡しする。


「ん」


 お母さまは受け取られるとおはしを持ち上げて、さっそく手前のおくらから食べ始めた。


 天ぷらの盛り合わせは海老をメインに、季節のお野菜がねたになる。夏の今はおくらとかぼちゃ、茄子にとうもろこしだ。とうもろこしはかき揚げになっている。


「どうや、母ちゃん。ここは揚げもんも旨いやろ」


「まぁまぁやな」


「まぁまぁて。母ちゃんがたまに家で揚げもん作ったらべちゃべちゃやんか。ここのはからっとさくっとしとるやろ」


「うるさいわ。作ってもらとって文句言いな」


 そう言いながらも、お母さまは次々と天ぷらを口に運んだ。半分ほどになったころ、テーブル席からお皿を下げて来た茉莉奈が呼ばれる。


「はい。ご注文でしょうか」


「あんたのおすすめって何や?」


 訊かれ、茉莉奈は一瞬ぽかんとしてしまう。が、すぐに我に返る。


「おすすめですか。そうですねぇ、たくさんあるんですけども、揚げ物を召し上がられているので、あっさりしたものはどうですか? 酢の物もありますよ」


「それもええけど、おすすめや」


 それで茉莉奈は困ってしまう。香澄の料理はどれもおすすめだ。旬をふんだんに使った日替わりも定番も、どれも自信を持っておすすめできる。


 茉莉奈特製おしながきは興味が無さそうだったし、ここはやはり酢の物をおすすめしようか。今日はもずくと旬のつるむらさきの酢の物がある。


 すると寺島さんが「母ちゃん、せやからこれやって」と、豚肉と切り干し大根のごま和えの中鉢ちゅうばちを指差す。まだ少し残っていた。


「これ、茉莉奈ちゃんの特製メニュー。旨いで」


 お母さまはうつわと茉莉奈に視線を巡らす。


「あんた、若いのにえらい地味なん作るんやな」


 悪く言われたわけでは無いのだが、少し胸にちくりと刺さってしまう。茉莉奈が力無く笑みを浮かべると、寺島さんが「母ちゃん」ととがめる声を出す。


「母ちゃん口が悪いんやから、外では気ぃ付けや。人に嫌な思いさせんなや」


「こんなんぐらいで嫌な思いするんかいな。ほんまに最近の若い子はやわやなぁ」


「そういうとこやで、母ちゃん。ごめんな茉莉奈ちゃん、わざとや無い言うても、嫌なもんは嫌やんな」


「いえ、大丈夫ですよ」


 茉莉奈は少し気が楽になって微笑んだ。


「ふん、それやったらその特製メニューっちゅうのんをもらおうか。豚と切り干し大根やったか? のやつな」


 茉莉奈は目を丸くして「は、はい」と頷いた。


「お待ちください」


 茉莉奈は厨房に入り、作り置いているごま和えを淡い青色の中鉢に盛り付けた。かいわれ大根もそっと添えて。それをカウンタ越しにお母さまにお出しする。


「お待たせしました。豚肉と切り干し大根のごま和えです」


「ん」


 受け取ったお母さまはごま和えをじっと見つめ、お箸を取るとそっと口に入れた。茉莉奈は緊張してその様子を見てしまう。横で寺島さんも最後のひとくちを口に放り込んだ。


 揃ってもぐもぐと口を動かし、寺島さんは「うん、やっぱり旨いわ」と口角を上げた。


「ふん、まぁまぁやね」


 お母さまもそうおっしゃる。香澄の天ぷらでも「まぁまぁ」と言ったお母さまだ。それがお母さまの中での褒め言葉なのだと思う。茉莉奈はほっとして厨房を出た。明るい気持ちになって店内を見渡し、空いた食器を引き上げながら追加注文を聞いた。


 注文された酎ハイレモンを作っていると、寺島さん親子の会話が途切れ途切れ聞こえて来る。


「ほらな、母ちゃんの誤解やったやろ。ほんま人の話聞かへんねんから」


「知らんがな」


「その癖直さんと、父ちゃんに愛想あいそ尽かされても知らんで」


「うるさいわ。お父ちゃんはドMやからこのままでええねん」


「そんなん初耳やわ」


 おふたりの会話を聞いて、高牧さんがおかしそうに笑っている。


 誤解も解けて、話も落ち着いた様だ。茉莉奈は良かったと胸を撫で下ろした。


「娘さん、茉莉奈ちゃんやっけ。あれ、あれちょうだい。筑前煮ちくぜんに。あったやろ?」


「ございますよ。お待ちくださいね」


 お母さまの追加注文に、茉莉奈は厨房に入る。小さな雪平ゆきひら鍋にひとり分の筑前煮を移して火に掛けた。

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