1章 親子煮の魔法
第1話 悲劇のはじまり
父の
多感な思春期だったこともあり、佳正を失った重い現実は茉莉奈に深く影を落とし、心をえぐった。
佳正は
きっと赤ちゃんの時にはミルクを飲ませてくれたり、おむつを替えてくれたりしたのだろう。小学生になるまでは、
家族三人でいろいろなところに行った。大阪市内ではUSJ《ユニバーサル・スタジオ・ジャパン》や
USJではキャラクターの着ぐるみを見つけるたび、可愛さのあまり後を付いて回って、危うく迷子になりかけた。
海遊館では巨大なメイン水槽で優雅に泳ぐジンベイザメの大きな口を見て、幼い茉莉奈は怖くなって泣きじゃくった。
天王寺動物園ではふれあい広場で
毎年長居公園の桜が晴れやかに開くころにはお花見だってした。香澄が腕によりを掛けてお弁当を作ってくれたのだ。
卵焼きやたこさんウインナー、唐揚げなど定番のものから、
小さな茉莉奈は佳正の膝の上で、その彩り豊かなお弁当を頬張った。佳正が小さなフォークで口に運んでくれた。
料理人だった香澄のお弁当はどれも美味しく、塩むすびですら茉莉奈は大好きだった。茉莉奈が食べやすい様に小振りに握られたおむすびを小さな手で掴んで、口いっぱいに詰め込んだ。
長居公園には長居植物園があって、初春には梅、春には桜、梅雨時には
小学生になれば放課後や、学校が休みの日はクラスメイトと遊ぶことも増え、家族での外出は減った。それを寂しがったのか、佳正はますます茉莉奈を甘やかした。
悪いことをすると叱る母と甘い父。ありふれた家族像だ。
茉莉奈が食事前にクッキーを食べたいと言うと、香澄は「ご飯前やからやめなさい」とたしなめ、佳正は「一枚ぐらいええやんか」と甘やかす。
そしてこっそりと茉莉奈に与え、それがばれて佳正が香澄に叱られる。それを見て茉莉奈はきゃっきゃと笑った。
中学生になった時、スマートフォンが欲しいと言い出した茉莉奈に、反対したのは香澄、賛成したのは佳正だった。
「まだ早いでしょう」
「でもあった方が僕らも安心やし、友だちとも連絡取りやすくなるんちゃう?」
それで結局、学校には持って行かないという約束で買ってもらえることになった。佳正と一緒にショップに行って、最新型では無いもののシャンパンゴールドの可愛らしいスマートフォンを買ってもらった。
学校に持って行かない様に、朝の登校の時に香澄に預ける形になったのだ。
そんな平和な日々だった。
それが
佳正は営業職だった。白い地味な社用車でお得意さまを回る日々を過ごしていた。
その時は運転中で、大きな交差点の信号待ちで一時停止をしていた。前には一台赤い車が停まっていて、佳正の社用車は充分な距離を取っていた。
車道用信号が青になり、前の車からゆるゆると動き出す。佳正もそれに合わせてゆっくりとアクセルを踏んだ。
そうして徐々にスピードを上げながら交差点の真ん中に差し掛かった時、居眠り運転の大型トラックが突っ込んで来たのだ。
その付近にいた車を数台巻き込んだ大事故になった。いくつかの車は原型を
佳正の車を始め何台かがトラックに弾き飛ばされ、歩道に乗り上げて建物にぶつかり、追って突き飛ばされた車に押し当てられた。佳正は車に押し潰され、生命を落としたのである。
その時、茉莉奈は授業を終え、家に帰っていた。部活のない日だったので15時ごろだ。ブレザーの制服から水色の縦ボーダーのワンピースに着替えている。
香澄も家事を済ませ、ふたりでおやつをぱくつきながら、その日学校であったことなどを話していた。おやつは香澄お手製の焼きドーナッツだ。茉莉奈はおやつを食べた後、友だちの家に宿題をしに行く予定になっていた。
茉莉奈が出かけようとした時、家の電話が鳴った。香澄が出るだろうと茉莉奈はそのまま家を出る。宿題なんて面倒だけど、しないともっと面倒になる。教師によっては課題が増えるのである。
歩こうとすると、香澄の声が茉莉奈の足を止めた。
「茉莉奈!」
門柱にしがみ付く様にもたれる香澄は、顔面が
茉莉奈はその様子にただならぬものを感じて、慌てて香澄の元に駆け寄った。
「ママ! どうしたん?」
茉莉奈が言うと、香澄は震える細い手を茉莉奈に伸ばして来た。茉莉奈がその手を取ると、香澄の口から「あ……」と、溜め息とも声ともつかない掠れた音が
「……パパが、事故に
「え」
茉莉奈は
「ママ?」
香澄の両腕が、茉莉奈を強く抱き締めた。香澄の細い肩が
泣く香澄を受け止めながら、茉莉奈はようやくことの大きさを実感して来た。パパはどうなったのだろうか。無事なのだろうか。不安でたまらなくなる。血の気がじわじわと下がって行く。
しばらく香澄は身体を震わしていたが、やがて茉莉奈の身体が軽くなる。香澄は涙でぐちゃぐちゃになった顔を手で乱暴に
「茉莉奈、ママこれから警察に行くけど、一緒に行く? もしかしたらパパには会われへんかも知れんって言われたんやけど、行く?」
それで、茉莉奈は理解してしまった。パパは死んでしまったのだと。だが事実を受け止めることができない。身体が自分のものでは無い様な、夢を見ている様な感覚に襲われ、頭がふわふわした。
「……行く」
茉莉奈は頷いた。
準備のため、茉莉奈は香澄に肩を抱かれながら、家の中に戻る。友だちにはスマートフォンのSNSアプリで行けなくなったことを伝えた。
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