未練の結末

笠川 らあ

第1話

 私の死因は自殺である。


 深夜。街灯に照らされた町は、昼間とは色を変えて私に憂鬱を届ける。オレンジ色の光が暑さを助長させている気がする。

 大嫌いな制服の、そのスカートが足に当たって痒い。……いや、そんなわけないか、心が覚えているだけだ。このスカートの鬱陶しさを。だってもう、実体はないのだから。


 死後、私がやってきた場所には、1人の男が立っていた。そこでは私は喋ることすらままならない。男の顔はよく見えないが、黒いスーツを着ているようだ。赤い、どこまでも赤い場所だった。


「このままでは使い物にならないな。おいお前、未練を探してこい」


 私はその言葉に逆らえなかった。理由は分からないが、言葉は私の魂に刻まれて、私はそれに抗う術がなかった。


 そうして赤い場所から追い出された私は今、家に向かっている。

 そもそも、私の死因は自殺なのだ。未練などあろう筈がない。つまりこれは無駄足だ。なんなんだあの男は。私は愚痴りながらも歩き続ける。抗うことは出来ない。私は思い出してみる。私が死んだ理由を。つまり、思い出したくもないことを思い出してみる。


         ・・・


 生前、私は調子に乗っていた。

 クラスの中でもそこそこ影響力のある女子グループに所属して、毎日下らない話をしていれば幸せだった。成績を維持していれば、親も何も言わないし。

 欲が出てしまったんだ。身の丈に合わない欲が。

 だけど今でも思う。人を好きになることが、そんなに悪いことなのでしょうか。


 好きな男の子に告白して、フラれた。

 でもそれより辛かったのは、次の日にはクラスの皆がその事を知っていたことだった。


「あいつガチキモかった(笑) 

 マジでくんなんだからくんなん(笑)」


 彼は顎をしゃくって、何故かくねくねしながら、私が彼に言った言葉を並べる。私はあんなに気持ち悪かっただろうか。それに吐き気を感じたのは私だけではないようで、皆が私に嘲笑を向けてくる。その日から私は、クラスのピエロになった。


 その日は雨上がりの虹が見えた。良いことがあるといいな、そんな風に思いながら、私は帰路を進んだ。


 そうしていじめが始まった。

 最初は無視とか、吐き気がする噂を流されることから始まった。噂を流していたのは、彼のことが好きな女の子。私は我慢できず、彼女に手を上げた。

 その日から、彼女らの間では暴力が解禁された。誰にも見えないところで、叩いたり、殴ったりされる。決して見えないように、攻撃するのはお腹だけ。


 ジクジクとお腹が痛い帰り道、雨上がりの虹が見えた。泣きたくなった。良いことなんて一つもないのに、この虹で幸せになる人がいると思うと腹が立った。また、ジクジクと痛い。


 それでも私は耐えられた。親友がいたから。

 彼女だけは私を守ってくれて、本当に神様のようだと思ってた。

 ある日、髪を引っ張られて、トイレに引きずり込まれると、お腹を蹴られた。服を剥かれて、写真を撮られた。トイレの前に、私の親友がいた。目があったのに、親友は少しの興味も無さそうに、そのまま通りすぎていった。

 そういえば、親友が私を助けるのは、先生の前だけだったような気がする。


 ……虹が見える。消えろよ。


 家に帰ったら転校をお願いしよう。そう思いながら玄関のドアを開ける。父親から開口一番、成績が下がっていることを聞かれた。当たり前だ。こんな状況で点数が下がらないわけがない。事情を説明しようとした。でも。

 父親は私が反論しようとしたことがよっぽど気に食わなかったのか、ひとしきり怒鳴り散らかした後、お腹を、蹴った。


 死にたくなかった。殺されると思った。

 何度謝っても、彼女達は許してくれなかった。

 何度伝えようとしても、父親は聞いてくれなかった。


 学校に行ったら、彼女らに会わなければいけない。行かなければ、あの父親は私を容赦なく蹴るだろう。お腹がジクジクする。


 幸せになれる気がしなかった。

 人間と仲良くできそうになかった。

 18才になったら家を出ても一人で生きられる。

 でも、まだ私は16才なんだ。二年も殺されない自信はなかった。


 ある日から、毎日虹が見える。雨なんて、降ってないのに。


 私は父親に土下座して、機嫌をとって、何とか話を聞いてもらった。父親はニキビが気になるみたいで、頬をポリポリ掻きながら寝そべっている。話を聞き終えると、一言。

 

「俺にもそのくらいのことあったよ」


 そんなことより成績がどうちゃら、そんなことを言っていた。何を言っているのか分からなかった。自分と同じ血が流れているのが信じられなかった。

 転校したい、そう言った。いつもと同じように、お腹を、殴られた。


 父親が仕事で呼び出されたあと、私は自室に戻った。癖で、勉強机に向かう。机に、虹がかかった。……潰す。

 潰す。潰す。潰す。潰す。潰す。潰す!!


「あああああああぁぁぁぁぁぁ!!!!!」


 私の中の何かが、決定的に壊れた。

 その日、私は自殺した。


         ・・・


 そんな私に残された未練とはなんだろう。

 私はやっと家に着いて、自分の部屋へと向かう。あの父親はいちいち鍵を閉めない。

 幸いなことに、私の死体はまだ見つかっていなかった。吊ってある私を鬱陶しく思いながら、私はとりあえず部屋の物を引っ張り出すことにした。幽霊でも触りたいと思えば触れるらしい。それとも自分の物だからだろうか。


 存外、私の部屋は物が多い。小さい頃両親に買ってもらった魔法のステッキ。中学生の時自作した小説。恥ずかしくて押し入れに押し込んだぬいぐるみ達。

 ロッカーの中が空になった。


 ピアノの演奏会で着たドレス。ハロウィンで被ったカボチャの帽子。初めて……初めてお父さんが遊園地に連れて行ってくれた時の可愛いカチューシャ。

 クローゼットの中が空になった。


 あれでもないこれでもないと、死ぬ前に片付けた私の部屋が、空き巣が来た後みたいになったとき、それは見つかった。


 一台のスマホである。

 誹謗中傷、罵詈雑言が送られてくるそれを、私はいつの間にか、押し入れの奥にしまっていた。

 未だに来るそれらの通知を、上からざっと眺めてみる。


 幽霊になったからだろうか。あまり心は傷つかない。案外このままなら、私は生きていけるのかもしれない。死んでるけど。

 ふと、一件の通知が目に止まる。


『おめでとうございます。大賞です。』


 小説新人賞の、結果報告メールだった

 もう、関係ないのに。

 1人で、お金を稼いで家を出るために、応募したんだっけ。

 私の元親友に勧められて、それで応募したんだっけ。

 最近の私のことを、そのままそっくり文字にして、そんな私を、救ってくれる人が現れる、そんな幼稚な話。

 そっか、あれ、ちゃんと読んでくれたんだ。

 下らない文章の中の小さな工夫に、気付いてくれていたんだ。

 顔も知らない私に、共感してくれたんだ。


 気付けば頬に冷たい感触が走る。幽霊に涙は流れない。覚えてるんだ、この感情を


 ピアノの演奏で、父親に褒められた時の気持ちを

 作文コンクールで入賞した時の、あの感動を

 テストの点が上がったと報告した時の、父親の少し不器用な笑顔、あれをみた時の衝動を

 今、思い出した。


 私は、認められたかったんだ。


 もしかしたら、誰からも必要とされない人間なんて、いないのかもしれない。涙で、前が見えなくなると、それが分からなくなるのかも。

 私の未練は、小説だった。


 気づくと私は、あの場所に戻っていた。

 未練を見つけたからだろうか。

 

「未練が大きくなっている、生き返りたいのか」


 不器用な笑顔だ。何故か父親を思い出す。私はコクりと頷いた。


 次の瞬間には、視界に写るのは散らかりきったあの部屋だった。机の上には、潰されたハエが一匹止まっていた。不思議と私は笑ってしまう。


 世界は何も変わっていないのに、何故だか私には輝いて見えた。

 夢だったんじゃないかともう一度スマホを見ると、しっかりとそれはある。

 安心して読み返していると、また一件の通知が来た。差出人は、同じ人。ウキウキしながら開いてみる。


 その日、私は自殺した。

 

 あのメールは、いたずらだった。

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