初期値モブの私が外堀を埋められて主人公になる話

iyu

モブ、”主人公のサポート役“と“ちょっと不思議”に出会う

 幼い頃、恐らく誰もが憧れたであろう、魔法少女。どこかの誰かに選ばれて、キラキラした可愛い杖とか、胸がきゅんきゅんするようなアイテムを渡され、それを手に呪文を唱えると、魔法の力で、フリルを多用したとんでもなく可愛い洋服に着替えている、あれである。

 ああ、モノローグだからこの際言ってしまうけど、本当は今だってなりたい、魔法少女。


  ──「次の四番線に参ります、各駅停車ァ〜混雑のため、十分少々遅れておりますゥ〜お客様には大変ご迷惑を「間も無く三番線を、電車が通過致します」──


 聞き慣れた妙なアナウンスと轟音と突風が、私を現実へと引き戻す。遅延してるからだろうか、通過電車も減速せず。だから人身起こるんだっての。にしたってただでさえHR後の到着だっていうのに、この感じじゃ一限も遅刻確定じゃないか。今日の一限は教室移動だし、遅延証があっても途中から入るのは気まずいものがある。ここは一限は捨てて、二限開始まで朝マックでもかまして時間潰すしかないのか。


 あーあ、神様、こんなくそつまんない青春を送ってる私でも魔法少女になれますか?

 

 うん。サボろう。こんな頭の沸いたモノローグをぶちかましてしまうのも、全部昨日アマプラで小さい頃観ていた女児向けアニメを一気見してしまったせいだ。一日以上テレビと向き合っていたし、そうじゃなくてもバイトとか課題とかなんだかんだ色々あるし、疲れているんだろう。今日はもう学校行くのやめよう。ちょうどバイトもない日だし、体育もあるし、もうこの駅でちょっと時間潰して、今日は大学午後からだから〜と、ソファで二度寝かましていた兄が居なくなった頃を狙って帰ろう。

 各駅待ちの列からふわっと抜け、私はスキップしそうな心持ちを必死に隠しながら、階段を上がる。この駅は私にとっては単なる乗り換え駅だから、あまり降りたことはないけれど、確かまあまあ駅ビルが栄えていたような気がする。夏に備えて新しいサンダルが欲しいから探してみようかな。

 そんなことを思いながら、ピッ、と改札を抜ける。頭上の案内看板を見上げると、右手には駅ビルとバスロータリー、タクシー乗り場。左手には市役所と図書館の文字。


「……図書館?」


 魔法少女物が好きは、即ちファンタジー物が好き、である。ファンタジーが好き、は最早読書が好きに等しい、と私は思っていた。

 けれど現実ではそうでもなく、周りの友達は本屋こそ漫画の新刊があるのでテンションが上がるものの、図書館は別に……というメンツが多く、なかなか図書館に行くタイミングがなかった。やばい。行きたい。行こう。行きます。


 図書館は駅から見えるくらいの距離にあり、こんなに近くならば最早直結にしちゃえば便利じゃない? と脳内で再開発事業を進めようとしたけれど、それにいざ取り掛かる間もなく着いてしまった。

 自動ドアが開いた瞬間に、ふわっと被さる強烈な冷気。そうそうこれこれ。職員室とも、昼間の電車とも、駅ビルのどの店とも違う。独特の空気が私を包み、あーそういえば高校入ってから、ちっとも本を読んでいなかったな、と思い出させた。本当は私には読みたい本がたくさんあるのだ。風の噂で出たと聞いたあの人の新作、中吊りで見かけた青春ストーリー、少し前にめっちゃ番宣してたドラマの原作も、結構面白そうだったな──……。

 本屋よりも、少し古い紙の匂いを嗅ぎながら、一先ず館内の様子を、と奥へと向かう。おじいちゃん、おばあさん、おばさん、それから親子、それからまたおばさん。やっぱり制服はサボりがバレバレだ。心なしか、おばさんは責めた目つき。いやいや、私は単にやる気のないサボりですけど、図書館は不登校の子の受け皿にだってなっているんですからね、とむくれてみる。けれど、いや、やっぱり私はただのサボりだ。

 そうやって一番奥まで来ると、ガラス窓の外に庭があって、そこには名前のわからない小さな花がたくさん咲いている。まあ最も、私の知っている小さな花の名と言えば、バラ、パンジー、カーネーション、コスモス…はどんな花だっけ? と言った風だから、よくある花かもしれないけど。でも、きちんと手入れが行き届いている花を見るのは久しぶりで、なんだか異国、或いは異世界にでも来たような気がする。ああ、やっぱり私、今日はなんだか小説の登場人物のような心持ちである。モノローグが止まらないし。

 なんて言いながらそこから右に移動すると、そこには二列、ずらっと長机が並んでいた。ああ、自習コーナー、そうだそうだ、真面目な学生はここで放課後勉強するらしいんだった。

 これ幸い、と私はその長机の手前の列の左端を占拠することにした。左手で鞄を抱え、右手だけで椅子を引こうとすると、ギギ、とはだしのゲンでしか見たことない効果音を出したので、思わず息が止まりそうになる。シャーペンのノック音すら響く空間だから、椅子の音なんて図書館の端から端まで届いてしまいそうで、案の定どこからかいくつもの痛い視線が集まって、針のむしろだ……と何故か、頭の中で、足つぼマッサージ器具で過剰に痛がる、所謂リアクション芸人の姿が浮かんだ。

 そして私はゆっくり溜息をついて、椅子に座り、英語とか数学とか、プリント課題が出ていたものをこなすか、はたまた読みたい本を探すか、ほんの少しだけ、形だけ悩んでみて、よし、読書しよ、と貴重品だけ持ち、本を探す旅に出ることにした。


 文芸コーナーに行く前に、専門書のコーナーがある。棚に振られている区分を見て、日本文学を探すが、まあ恐らくは体感ではもっと入り口付近か。この辺の美術、音楽とかのコーナーって、私には縁遠いなあ。と思っていたら、料理の棚の奥で制服姿の華奢な女の子を見かける。私よりだいぶ小柄に見えるけれど、あれは多分白澤女子の高校の方の制服だから、歳は近いのだろう。サボり仲間か、と言いたいところだが、白澤女子と言えば幼稚舎からある超が付くお嬢様学校、なんせ「ごきげんよう」が飛び交うらしいのだから、サボりなんて概念があると思えない。ほんの少し、罪悪感で胸がチクリと痛む。一瞬勝手に仲間にしてごめんなさい……と足早にその場から逃げだそうとした時、その女の子の方からタンっと靴音がした。ん? と思い再び目をやると、腕を伸ばし小さくジャンプ、からの靴音。着地音だ。でも華奢で軽そうなのと、ちょっと運動神経の悪そうなジャンプであまり高さが出ていないので、ちょっとした足音くらいの靴音しかならなかったという訳だ。ぴょんぴょん、と跳ねると共に揺れる髪はパーマがかかり光に透ける色素の薄さ。白女は進学校でもあるから校則も厳しそうだし、地毛だろうな。肌も白いしハーフかなあ、可愛いかよ……。

 とその子を眺めていると、ピタっと目が合ってしまった。どうやら私はあまりにもじろじろと眺め過ぎてしまったようで、向こうは怪訝な顔で私を見つめている。

「あ……えっと、取ります、それ」

 私はちょっと背伸びをし、彼女のお目当ての本を取りそれを手渡すと、ぺこりと会釈して足早にその場から逃げた。逃げるしかなかろう。あっぶね、私が制服着てなかったら通報事案だ。私はグッと呼吸を止めたまま、大股、早歩きで当初の目的地の文芸コーナーまで向かい、なんとなく気持ちを落ち着かせるため、過去読んだ覚えのある短編集を手に取った。

 そしてUターン、先程荷物を置いていた長机に戻ると、

「あっ」

 少女漫画の運命のシーンのように、さっきの女の子が斜め向かいの席にいた。本を取ったことと言い、本当私が男でないのが悔やまれる。


「あの」

 さっきの女の子が小声で私に囁く。

「さっきは、ありがとうございました。助かりました」

 にっこりと微笑んだその顔もお人形さんのような可愛らしさで、見惚れてしまいそうになるが、駄目だ駄目だ。ちゃんとした返しをしなければ。

「いえそんな……でもお役に立てたんなら良かった」

「とても助かりました、あんまり作ったり……っていうか、食べたことすらないものを、ちょっと作ってみたくって」

 そう言って彼女がスッと出したのは料理雑誌の秋の号のバックナンバー。パラパラと捲られ開かれたページには、『家でもつくれる 秋のやさしいおやつ 芋けんぴ』の文字。芋けんぴってなんかかったい甘っいやつだっけ、子どもにもご老人の歯にも喉にも誰にも優しくはなくない? 作り方が易しいのか? と私の顔にはハテナが並ぶ。すると彼女は私が芋けんぴ自体にピンと来ていないと思ったのか、鞄から小袋を取り出した。

「これです、芋けんぴ」

 そのコンビニのプライベートブランドの白い袋には、確かに芋けんぴと書いてあった。

「芋けんぴなんてコンビニに売ってるんですね……あ、でもそう言えば、うちの兄が食べてたかも」

 ふいに思い出したのは、リビングのソファーを占拠して、映画を観ていた兄。普段は部屋で過ごしているが、ブルーレイは部屋では観れないとか言ってリビングに居たとき芋けんぴを食べていて、なんでポップコーンみたいなノリで芋けんぴ食べてるんだと脳内でツッコミをした記憶がある。

「あら、私も多分、お兄さんくらいの年の方に頼まれて作ろうと思ってるんです。芋けんぴって実はコンビニに置いてあるくらいだし、そのくらいの年の人に需要あるのね……」

「そうなのかもですね。私身の回りに年上の男の人って兄くらいしか居ないからわからないけど、スーパーならまだしも、コンビニに置くくらいだし、結構食べる層がいるんだろうなあ」

 私は彼女と芋けんぴなんていう謎のテーマで会話をしながら、なんだか気が合うような予感がしていた。くだらない話をポンポン疲れず続けられる人は、案外居ない。話しやすいし聞きやすいのは彼女のスキルかもしれないけど、そうだとしてもこれっきりなのはなんだか惜しい気がして、ラインでも聞いてみようかな?と頭の片隅で考え始めていた。

 そして幸いにも彼女も同じだったのか、

「えと、もし良かったらなんですけど……」

と切り出され、名前を尋ねられた。

 ここまで喋っていて、改めて自己紹介ってなんだか照れくさいなあ、と思いつつ、なんとなく私は姿勢を正す。

「私は、せなひかるって言います。ひかるは日光のひかり、ね」

「せな……ひかるちゃん、私は、さえばえまって言うんだけど……さえばはね、こう」

 そう言って彼女は、ノートの片隅に『冴羽柊』と書き、筆箱からまた別のペンを取り、そのフリクションのゴムみたいな──消しゴムなのだろうか、で柊の字を消し……また少し悩んでから、結局、『冴羽柊都エマ』と書いた。

「普段はエマって呼ばれてて、でも提出物とかはフルネームで書くからつい癖で書いちゃった。柊の都で、しゅうとって読むんです。男の子みたいでしょ?」

 そう言って困ったように笑う彼女は、多分柊都という名前はあまり好きじゃないのだろう。

「男の子みたいっていうか、サッカー上手そう」

 ふざけて私がそう言うと、

「もう! よく言われるの。私運動神経めちゃくちゃ悪いのに、そうやって体育の時いじられるの!」

 彼女もふざけて返してくれた。違う世界のお嬢さまかと思っていたけれど、意外にノリも良いんだな。

「あ、ねえじゃあ私も一応名前書くね」

 そう言って私は、さっき彼女が使っていたフリクションを拝借して、ノートに『瀬名光』と書いた。

「えっ」

 彼女はその文字を見て、急に目を丸くする。

「えっ、どうしたの?」

「それインク出た?」

 言われてみれば、さっき彼女は違うペンで書いていたのに、消す時だけこのペンを出したのだ。ああなるほど、恐らくは気に入ってるフリクションだけど、替えインクが無いとか廃盤とかで、捨てられないのだろう。

「出るよ、全然インク無くなりそう感もなく、この通り黒々、めっちゃ出る」

「ちょっと貸して!」

 そう言ってエマちゃんが私の代わりにノートにペンを滑らせても、ノートには筆圧の跡が付くだけで、何も書かれなかった。おかしいな、私が奇跡的に、インクの最後のひと絞りを使ったんだろうか。


「ねえひかるちゃん、時間ある?」


 うん、と頷いた私はそのまま言われるがまま、エマちゃんに連れられ、図書館を後にした。


◆ 


 まだ図書館から五分も歩いていないが、何本か裏道に入ると周りには雑居ビルや家しかなく、人通りもグッと減った。そんなしんとした通りのさらにしんとした雑居ビルの半地下に、どうやらエマちゃんお目当ての場所があるようだった。

 

「おごるから、お茶するの付き合ってくれない?」

 エマちゃんは喫茶店の小さな看板を指し示しながら、疑問文だけれどノーとは言わせない目力で、私は考えるより先に「うん」と答えていた。

 その喫茶店はチェーン店ではなさそうで、濃茶の木で出来た中の見えない重い扉が阻み、なかなか制服の女子高生が入れるような雰囲気ではなかった。けれどもエマちゃんは慣れたように扉を開け、マスターみたいな人のいらっしゃいませに小さく会釈し、一番奥のボックス席へとなんの迷いもなく進んで行った。

「私はカフェラテとアップルパイ頼むけど、どうする? ちなみに紅茶も美味しいし、デザートはなんでも当たりだと思うよ」

 そう言われると悩む、が、パッと決めなきゃ、と私はあったかい紅茶と、デザートの欄で一番最初に目についた冷たいミニパフェを頼むことにした。ミニパフェはアップルパイより三十円高いだけだし、恐らく食べやすいサイズだろうという勝手な勘だ。それを伝えると彼女はふふ、と微笑みこれまた手慣れた様子でマスターを呼び、オーダーを伝えてくれた。


 マスターが去ると、エマちゃんは早速とばかりに、鞄からノートとさっきのフリクションペンを取り出す。

「ひかるちゃん、なんか書いてみて」

なんかって難しいな、と思いながらも、うーん、と、何とは無しに、『アップルパイ』と書いてみる。

「えー、なんで書けるんだろう」

 そう言いながらエマちゃんはその隣に何故か油性ペンで、『イカフライ』とイカのイラスト付きで書く。

「しりとりするの? だし、なんでイカフライなのにイラストは生のイカなの? だし、そもそもなんで油性ペン? だし、なかなかツッコミ甲斐があるね」

 と思わず笑いながら、私はイカフライに続く言葉……と考え、何故かインドネシアが浮かんだので、『インドネシア』と書いた。そういえば今朝ネットで、インドネシアとモナコの国旗が縦横比以外一緒だと言う話を目にしたのだった。どっちも赤白の二色で……とインドネシアの文字の横に、長方形の枠を書き、上半分をグリグリと赤で塗りつぶす。うん。実際のところこの国旗がインドネシア寄りかモナコ寄りかはわからないけど、国旗っぽい。

「はい、次、アね」

 なんでインドネシアよ、とエマちゃんは笑いながら、ア、ア、と呟く。私たち何してるんだ。何で絵しりとり始めてるんだ。そこでふと違和感に気付く。

「ねえエマちゃん」

「ん?」

「このペン、なんで黒からいきなり赤が出るの?」

「え?」


 エマちゃんは、私の右手のペンと、ノートとを交互に見比べて、何往復かしてから再び、

「え?」

 とだけ呟いた。

 いやおかしくない? インク出る出ない問題を抜きにしても、そもそもこのペンノック式でもないし蓋もない時点でおかしいし、いやそれも抜きにしても、何もせずただこの辺は赤使いたいなあ、と思っただけで、赤いインクが出るなんて、一体どういう仕組みなんだ。


「うんと、取り敢えずさ」

 とエマちゃんが言う。

「うん、取り敢えず、虹描いて虹。描けるはず、多分そういうシステムだから」

「はあ、え、虹、うん」

 言われるがまま再びペンを持ち紙へ向かうけれども虹ったって七色もある、どんな色か覚えていない。まあただ縁が赤で、そこからのグラデーションでしょ、オレンジ黄色緑青、これじゃあ五色じゃないか。でもそう心でつぶやきながら描いていたら、紙にも五色の虹が浮かんでいた。

「ねえエマちゃん、どういうことなの?」

 と私が言うのとほぼ同時に、マスターが姿を現した。

「お待たせ致しました。ホットカフェラテとアップルパイ、それから、ホットのダージリンとミニパフェでございます」

 マスターにありがとうございます、と二人で小さく微笑むと、紅茶の華やかな匂いが鼻いっぱいに入ってきて、もしかして、今日の今までのこともこれも全部夢なんじゃないか、と言うような、不思議な脱力感に襲われた。


 でも。

「エマちゃん、まず言いたいのはさ、」

「あ、エマで良いよ」

「いやこのパフェでかくない?」

「そ?」

 ミニパフェ、と言いつつ、確実にファミレスのでっかいパフェくらいはある。こういうカフェで三桁円、ましてやアップルパイ一ピースと並ぶ金額で食べられるものではないはずだ。

 エマちゃんはアップルパイを頬張りながら、

「もし食べられなそうだったら私手伝うから。あ、アップルパイも良かったら食べてね? これバニラアイス乗っけたら神の食べ物だよ」

 と言う。さては此奴、パフェも食べたいが故の確信犯だな。

 私がそう指摘すると、彼女はニヤリと不敵な笑みを浮かべた。


「うまぁー、でも、本題これじゃないんだよね」

 エマちゃんはそう言うと、さっき端によけた絵しりとりをしていた紙を取り出した。

「油性ペンで私がイカ描いたのあるでしょ、それ、そのフリクションで多分消せるの」

 頭の中にはてなマークが並ぶ。しかし、はてなマーク、トータルで今日何個目だ? なんて思いながら、でも多分本当にこのフリクションで消せちゃうんだろうなあ、と油性ペンで描かれたイカの上にゴムを走らせた。勢いよく、ちょっと力を込めてぐっ、と滑らせていくと、あれよあれよと言う間にイカは消え、ノートは元の白地に罫線だけになった。

「エマちゃん、一体これどういうことなの?」

「だからエマで良いって。私高二なの、さっき図書館でひかるちゃんのノート見えたから、多分ひかるちゃんも一緒でしょ?」

「やるなぁ。じゃあエマって呼ぶね。そしたら私のことも、ひかるって呼び捨てにしてね」

「わかった。あ、でね」

 エマちゃん、もといエマが、話を元に戻す。

「このペン、なんか何でも消せるんだよね。そういう触れ込みでおじいちゃんから貰ったの」


 エマの話を要約するとこうだ。


 小学校の入学祝いに、おじいちゃんから何でも消せるペンだよ、とこれを貰った。なんでも、の通り、鉛筆シャーペンボールペン、油性ペン、カラーペン、はたまた絵の具と自分で書いたものはなんでも消せた。ごく稀に印刷物の字も消せるけど、その基準はよくわからない。普通なら消せない物も消せるから便利で重宝してきたが、ペンだよと貰った割にインクは出ないし、おじいちゃんに聞いてもおじいちゃんもインクが出た試しがないらしかった。それを急にひかるがすらすら書き出したから、驚いた、と。


 その話を聞いて、ふと思い付く。もしかして、何でも消せるペンだから、逆に何でも、何にでも書けるんじゃない?


 私は「ちょっと借りても良い?」とペンを取り、赤い線を思い浮かべた。そして目の前の宙に向かって、一筆書きでハートを描く。

「やっぱり……出来た」

 私とエマの間には、赤いハートがぷかぷか浮かんでいた。

「一応聞くけどひかるってマジシャンで、初対面の掴みにマジックするタイプ?」

「んな訳」

「だよね、うん、じゃあさ、どういうことよこれ」

 わからない、さっぱりわからないが、ひとつ残念なのは私には絵の才能があまりないのだ。いやあ、もしこれめっちゃ写実画得意な人が使えたら、洋服とか好きなの出せる可能性があるのに、私じゃあ大した使い道がない。せいぜいリアルsnowが出来るくらいだった。


 奥のボックス席なのを良いことに、私たちはスイーツをつつきながらしばらくセルフsnowを楽しみ、それからふと時計を見れば、もう外も薄暗くなるような時間になっていた。

「帰ろうか」

と言ったのはどちらだったか。

 そうこうしている間にいつの間にやらエマはお会計を済ましていたようで、そのスマートさに私は思わずときめきそうになる。

「流石に払わせてよ」と言ったものの、エマは「私ここのポイント集めてて、ひかるの分もポイント貰ったから」とこれまたスマートにかわされた。もうこれはフォーリンラブ確定だった。完全に私は落ちた。


 キラキラ光るエマのパーマがかった後ろ髪を追いながら、「ありがとね、ごちそうさま」と言い、階段を上っていく。やっぱ髪綺麗だな、なんて呆けていたのがいけないのだろうか。ビルから出た瞬間、思わず目も覚めるようなもの凄い突風に襲われた。ここ地下鉄の入口だっけ? なんてアホなことを言いたくなったが、グッと飲み込み、私はエマに、

「今日って竜巻注意報とか出てたっけ?」

と訊ねる。

 するとエマが返事をする前にまた突風が起きて、私は慌てて飛ばされてしまいそうなエマの手を絡め取った。


 いつだかの音楽の時間に聴いたシューベルトの魔王では、少年が風を『魔王』と怖がっていたけれど、今の風の勢いといったら、さながらそんな感じだ。ただよくよく風の姿を見てみると、その風は人型というか、翼を大きく広げた鳥のようだった。いやいやそもそも風に形があって、それが鳥だなんてそんな訳がない。これは私の想像力が見せる幻想なのだろう。

 しかしエマが、

「鳥が風でも起こしてるんだと思う?」

と私に尋ねてきて、何故だか急に確信した。きっとこれは、本物の鳥なのだ。

「鳥が起こした風っていうか、風自体が鳥なんじゃないかな。或いは鳥自体が風というか……上手く言えないけど。うーん……あ、だからね、鳥なら捕まえて鳥かごとかに入れれば一先ずは解決するのかな、って思う」

 私はそう言いながら指で空に曲線を描く。流石は白女のエマ、察しが良く、成る程と私に腕を絡ませたまま鞄を漁り始めた。ものの数秒で探し当てたのは、さっきのペン。エマはそれを早くなんとかして、とでもいう風に、グッと私に押し付けた。

 ペンを握りしめた私は、ふぅ、と息を吐いた後、頭の中で必死に鳥かごを思い浮かべる。

 流線形の、シルバーで、下に出入り口の四角い扉があるけどそれはまだ開けておかなきゃ。空想力、想像力をフル回転させて、その鳥かごの枠を描く。すると頭上でガシャン、と鉄の擦れた音がして、どうやら本当に鳥かごが出来たみたいだと、私は、そして恐らくエマも、悟った。


「ねえひかる、どっちに鳥を呼べば良い?」

 叫ぶようにそうエマに問われ、私はぽかん、とする。鳥かご作りで頭がいっぱいだったので、何が何だか、と言った感じだ。

「鳥、多分呼べるから! うちのインコは口笛吹いたらこっちに来るの!」

 いやそれ山とかに居るおじいさんがやるやつ! 白女のお嬢様がやるやつじゃない! と思いながらも、

「こっち!」

 と鳥かごの入り口を指差す。

 エマはその白い細い指が千切れそうなくらい必死に私の二の腕を掴み、身体を伸ばし、私の指し示した方に顔をやった。そして、ピヨ、ピー、ピヨピヨ、と色んなリズムで、まるで本当の鳥のさえずりのように口笛を吹き出した。

 すると風の轟音の隙間に、ピー、ピヨピヨ、とさえずりが聞こえ出した。めっちゃ会話しているじゃないか、と思ったのも束の間、風の鳥はヒュン、と鳥かごの中へと入ってきた。よっしゃ、と私は鳥かごの扉を描き、見事に鳥を捕まえることが出来た。   

 それから数秒だろうか、小さなさえずりと大きな風の音がして、鳥から大きな竜巻が飛び出して行った。かごには、か弱く鳴く鳥の形をした小さな風だけが残されていた。


「この鳥も風みたいだけど、小鳥っていうか、なんだろ、少なくともさっきみたいな暴風!みたいな風じゃなくって……」

 私がそう言うと、エマは、

「あれだね、ペットボトルすすぐ時のさ、あのくるくるした後の、中の竜巻、ちっちゃくてちょっとだけわくわくするやつ」

 と微笑んだ。

「わかるわかる、すごいたまに調子よく渦巻いて、水が綺麗に落ちると、なんか気分良いよね」

 そう言いながら鳥を眺めると、ピィ、と小さく鳴いてくれた。可愛い。

「しかしひかる、これどうするの? 飼うにしても、飼えるの? だし、逃すにしてもまた風と一体化しちゃうかもしれないでしょう」

 確かに。飼うにしたって家族にも獣医さんにも説明出来ないビジュアルだし、野生に返してあげるのがベストだろうが、また風に襲われ巨大化されてもなあ……風と一体化しないようにするには……あ、

「一体化しないようにするにはさ、囲めば良いと思うんだよね!」

「囲む? 鳥かごじゃなくて?」

「雨の日にレインコート着て長靴履いたら濡れない、みたいなさ」

 それを聞いて、エマはうーんと顎に手を当て苦い顔をする。

「流石に野生の鳥に服着せるのは、多分脱げちゃったり、動き辛いと思うのよね……うーんでもちょっとでも囲む、囲い、と言うか、ちょっと可哀想だけども、足輪とかつければ多少はマシかも。最悪また風に襲われても、目印になるだろうし」

 なるほど、思慮深い。そして、気がつく人とはこういう人のことを言うのだろう。

「ありがとうエマ! 流石だ! やってみるよ!」

 私は湧き上がる興奮を抑えながら、鳥に手を伸ばす。

「怖いことしないよ、大丈夫だよ」

 そう言いながらペンを近づけると、また可愛らしくピィ、と鳴いた。この子はもうピィちゃんだな。

「あなたにピィちゃんという名前を授けよう、あと、少しでも助けになるように、ちょっと嫌かもしれないけど足輪もね」

 食い込まないけど動きを阻害しないサイズの革ベルトに、真ん中には可愛らしく『Pee』の文字を……と思っていたら、バランスを間違えて、少し左寄りになってしまった。私はどうしよう、とエマの顔を覗き見る。

「p-e-e-pで、鳥の鳴き声のピーみたいな意味になるから、pもう一個書き足しなよ」

 エマ、ハーフだから英語も喋れるのかな。私はpをもう一つ書き足し、『Peep』と記した。

 するとその四文字が底からすーっと光りだし、私がペンで書いただけの文字だったはずが、刻印でもしたかのように、革の足輪にしっかりと彫られていた。

 エマは目をパチパチさせながら、

「こんなことも出来るの?」

と私を見てくるが残念、私は今回そんな想像はしていない。ただ無心でpを書いただけなのだ。

「期待させてごめんだけど、私が何かした訳じゃないよ。名前付けたからなあ?」

 そう言うとエマは、名前かあ、とまた顎に手を当て考えこんでいた。

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