第25話 大丈夫
「これ」
次の日、鷹也は朱羽子に1枚の写真を渡した。
「これ…いつ撮ったの?」
そこには、赤い夕陽を背にその夕陽から逃げるように、遠ざかるように、目を伏せて喫茶店からアパートへ急いで帰る朱羽子の姿が映しだされていた。
「朱羽ちゃん、前、空が灰色に見えるって言ってたでしょ?その空は?朱羽ちゃんには夕陽はどんな色に見えてるの?」
「…」
朱羽子は答えられなかった。
“血の色に見える”だなんて、言えるはずもなかった。
「どんな…色なんだろうね?私の目はおかしいから、歪んで、見えない。鷹也の撮った写真で初めて、空が青いことに気付いた。夕陽は…怖い色…かな?私には何だか、とても怖い色…」
「俺の撮った写真でも?」
「…」
コクン…。
小さく頷き、
「…うん。変だね。青空はあんなに奇麗に撮って、見せてくれてたのにね…」
「…」
「私は…やっぱり…私は…鷹也と一緒にいるべきじゃ…」
「朱羽ちゃん!」
朱羽子が言葉を言い終える前に鷹也が、その言葉を遮った。
そして―…、
「岩滑朱羽子さん!」
いきなり真剣な顔になって鷹也はグッと朱羽子の肩を両手でつかむと、自分の前へ向けた。
その顔に、驚きながら、朱羽子は息を呑み、恐る恐る、返事ををした。
「はい…」
(もう…ダメか…過去…知られちゃったんだ…)
やはり、自分に幸せは似合わない。
一生、1人で良い、そう思い、俯いた朱羽子に、
「顔、あげて。朱羽ちゃん」
朱羽子は俯いたまま、
「さよならまで…鷹也は…優しいんだね…今まで…ありがとう」
下を向いたまま、別れを告げようとしたその時―…、
ぎゅぅぅぅぅぅぅぅぅぅと鷹也が、朱羽子をキツク抱き締めた。
そして、少し朱羽子を少し胸から離し、くちびるを真一文字にして、少し緊張するように、声を震わせて、けれど、鷹也の性格そのもののように、真っ直ぐに朱羽子の目を見つめて、鷹也は言い放った。
「俺と結婚して下さい!」
「…え…」
通訳が要る、そう思った。
この人、何言ってるんだろう?
『結婚?』
私と?
「何言ってるの…?鷹也…」
朱羽子は別れを切り出されるのだと思っていた。
とうとうこの日が来たか…と。
それなのに、いきなりのプロポーズに、朱羽子には、朱羽子の過酷な人生には、不釣り合いな気がして、全然現実味がなかった。
「鷹也…………」
鷹也の名を1回口から零すと、朱羽子の瞳からは、次々と涙が溢れ出ていた。
「朱羽ちゃん?」
「鷹也…もう一回言って」
「俺と、結婚してください!」
鷹也が、言われた通り繰り返すと、朱羽子は鷹也から、目を逸らした。
朱羽子の中で、また、過去が暴れていた。
殺人だ。
朱羽子の隠していた、秘密は、『殺人』なんだ。
殺人を犯した自分が、実の父を殺した自分が、結婚なんかして良いのだろうか ・
いや、そもそも幸せになんてなれるのだろうか?
この2年は、自分の妄想だったかも知れない。
今、こうしているのも全部、みんな、すべて夢なんじゃないだろうか?
朱羽子の頭の中は、そんな罪の意識の塊だった。
けれど、何処かで、夢見ていた…。
「ちょっと…考えさせて…くれる?」
鷹也のプロポーズして、5分くらいの沈黙の後、朱羽子はやっと言葉が出た。
「うん。…待ってる」
「…ありがと…ごめん」
そう言うと、鷹也の腕を振り払うように、朱羽子は走り出した。
(ダメだよ!ダメだよ!ダメだよ!許されるはずがない!私は人殺し!幸せになんてなれない!鷹也は…鷹也は…知らないから…何も知らないから、あんな素敵な人を私の人生に巻き込んじゃダメ!解ってたのに、どうして2年も付き合ったの!?どうしてもっと早く気付かなかったの!?どうしてすぐに鷹也から離れなかったの…!)
朱羽子は、大粒の涙を道路に転がしながら、家へ走った。
しかし、アパートに着き、扉を乱暴に閉め、その場にしゃがみこんだ朱羽子。
泣き疲れたのか、そのまま部屋の床に寝転がって、しばらくすると…ずっと固く結ばれたくちびるは、確かに、笑みを含んでいた。
分ってはいたんだ。
頭では…。
自分は鷹也にはふさわしくないという事も、自分が殺人を犯したという事も、幸せになっていいはずがないと言う事も…。
それでも、それでも、朱羽子は嬉しかった。本当に本当に、嬉しかった。
帰路で、流した涙は、頭で浮かべた言葉とは全く裏腹な、嬉し涙だった。
朱羽子は、鷹也に、電話し、答えが出るまで、喫茶店にも、朱羽子の家にも、会う事も無しにして欲しい、と伝えた。
“ごめんね”の言葉に、鷹也は怒る事も嫌がる事も急かすことも、一切なく、一言、
「大丈夫」
とだけ、言った。
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