第76話 ビール純粋令
ズドォォオオオオオオ!
イザベルのリビングアーマーに向けられた手のひらから、まるで大蛇のように太い大量の水が迸る。
ジュゥゥウウウ!
イザベルの放った水は、赤々と燃えていたリビングアーマーの胴体部分に命中した。リビングアーマーの背負っていた炎を掻き消して、もあもあと大量の霧を生み出し、リビングアーマーを押し流していく。そのあまりに勢いに、リビングアーマーが後ろによろけたくらいだ。
ギギィィィイイイイイイイイ!
突如として、リビングアーマーから不安を煽るような不協和音が響く。金属を無理矢理擦り合わせたような音だ。あるいは、これがリビングアーマーの断末魔であったのかもしてない。
ボゴボゴンッ! ベキョッ!
「えっ!?」
不快な音を響かせて、リビングアーマーの胴体部分が一瞬にしてボコボコに凹む。イザベルの精霊魔法はたしかにすごい水圧だけど、リビングアーマーの装甲をあそこまで凹ませるほどの威力があるとは思えない。いったいどうなってるんだ!?
ボコボコになったリビングアーマーの胴体部分。しかし、変化はそれだけではない。
ピシッ!
不思議なほど大きな音を立てて、リビングアーマーの胸のコアに亀裂が走った。その瞬間、リビングアーマーの姿が、白い煙となって掻き消える。倒した……?
僕はなにが起こったのか分からないまま、戦闘は終了した。イザベルはいったいどんな魔法を使ったんだろう?
「アインス、ツヴァイン、ドライア、よくやったわ」
僕がポカンと口を開けて見つめる向こう。イザベルが契約している精霊を労っている。イザベルの周りには、淡く輝く赤と青、黄色の光が見えた気がした。
◇
「ルイーゼ、新しい盾よー」
「ありがと」
僕はマジックバッグから取り出した円形の小型の盾をルイーゼに渡す。ルイーゼ愛用のバックラーと同じ物だ。ルイーゼのバックラーは先程の戦闘で壊されてしまったからね。こんなこともあろうかと、僕はルイーゼの使うバックラーを複数用意していた。あと4つもマジックバッグの中に眠っている。たぶん十分な量だと思うけど、まさかダンジョンの初戦で盾が壊されるとは思ってもみなかった。本当に足りるかどうか、少し不安である。
ルイーゼに限らず、僕は皆の武器の予備を用意していた。ラインハルトの大剣もそうだし、リリーのナックルダスターの予備もある。武器が無いと戦えないからね。
僕が用意したのは、武器だけではない。
「じゃあ、皆なにが食べたい? なんでもあるよ」
僕はマジックバッグに入りきらなくなるまで、大量の食糧と飲み物も用意していた。今回は『融けない六華』での初めての高レベルダンジョン攻略だ。行き詰まることもあるだろう。僕は長期戦を覚悟して、これでもかと食料を準備していた。
「あたしはやっぱりヴルストかしら。それとライ麦パンとバター、あとサラダも!」
「あーしもヴルストは欠かせないかなー」
ルイーゼとマルギットの声に、僕はマジックバッグへと手を伸ばす。やっぱり国民食とも云われるヴルストは大人気だ。僕もヴルストにしようかな。白パンにザワークラウトと一緒に挟んでも美味しいしね。
「あの……私、は……シュニッツェル……」
リリーの今にも消え入りそうな控えめな声が耳に届く。リリーの声って音量は小さいんだけど、よく通る綺麗な声をしている。リリーの声を聴いてると、なんだかふわふわ気持ちよくなるんだけど、なんでだろう?
「リリーはシュニッツェルね」
シュニッツェルもいいな。ヴルストに傾いていた僕の心が、シュニッツェルに惹かれる。
「私もヴルストを。一緒にビールもと言いたいところですが、ダンジョン攻略中ですからね。今は止めておきましょう」
そう言って肩を竦めたのはラインハルトだ。ラインハルトは大のビール好きで、驚くほど飲む酒豪だ。元々ビールが好きな国民性とはいえ、ラインハルトほど飲める人はなかなか居ないだろう。
僕たちの住むツァハリアス王国は、ワインも人気だけど、それにも増してビールが大好きなお国柄だ。“ビールは、麦芽・ホップ・水・酵母のみを原料とすること”“ビールを飲む時は純粋な気持ちで楽しむこと”などが定められた『ビール純粋令』なるもの存在するくらいである。
ビールを飲む時は楽しむことが法律で義務付けられているからか、ツァハリアス王国では、お祝いの席でのお酒はビールが定番だ。逆に、お葬式なんかの辛い時も故人との楽しかった思い出を振り返るためにビールを飲む風習もある。楽しい時も悲しい時も、ビールを欠かさないのが僕たちツァハリアス王国民だ。それほどまでにビールは僕たちの生活と固く結びついている。
先程までリビングアーマーと激戦を繰り広げていた城門前の広場で、絨毯と敷き、さながらピク二ックのようにリクエストにあった料理を並べていく。
『万魔の巨城』は黒く分厚い雲が太陽の光を遮り薄暗い。時折落ちる雷の光りと、ラインハルトの大剣であるビッグトーチの淡い明かりが頼りだ。
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