23 最悪の出会い、あるいは最悪の再会②

 スカイヨン伯爵との挨拶回りが一通り終わった頃、さすがに疲労を感じたので人混みから離れようと思い、わたしはバルコニーまで移動した。

 ちなみに伯爵はローラント王国の令嬢たちに囲まれて、とんでもないことになっていた。



「ふぅ……疲れたわね」


 バルコニーからぼんやりと外を眺める。丁寧に整備された王宮の庭園はほのかに明かりが灯って、ほんわりと幻想的な雰囲気を醸し出していた。





 そのとき、



「よう、親友」


 出し抜けに人の神経を逆なでするような陽気な声が背後から聞こえてきた。

 ……ついに来たわね。


 わたしは振り返って、


 ――ゴンッ!


 レイの脛を思い切り蹴った。


「っいっっつっっ!」


 彼は声にならない悲鳴を上げながら脚を押さえる。


「チッ、折れなかったか」


「折るつもりだったのか!? っていうか、令嬢が舌打ちするな!」


「騙してたのね」と、わたしは彼をギロリと睨み付ける。


「君のほうが騙しているじゃないか。少なくとも僕は性別までは偽っていなかったぞ」


「王太子なんて聞いてない」


「僕も君が侯爵令嬢だなんて聞いていないが? 王太子を騙すなんてなんて酷い令嬢なんだ!」と、レイは大仰に両手を広げた。


「わたしは騙していたんじゃなくて、聞かれなかったから言わなかっただけよ」


「僕だって聞かれなかったぞ。そっちが勝手に高位貴族だって思い込んだんだろう?」


「だっ、だって……まさか鉱山なんかに王太子殿下がいらっしゃるなんて普通は思わないでしょう?」


「侯爵令嬢が鉱山にいるなんてもっと思わないよ」


「知ってたくせに」


「さぁ? どうかな?」


「ああ言えばこう言う」


「それはお互い様だろう」


「…………」


 わたしは下から突き上げるようにレイを強く睨め付けた。やっぱり最初から知っていて、わたしをからかって面白がっていたのね。


 レイは愉快そうに声を出して笑って、


「それで、侯爵令嬢様は次はどこに潜入するんだ? 教会? 商会? まさか王宮とか?」


「……どこまで知っているの?」と、わたしはおそるおそる尋ねた。


「妃教育の一環だってな。君も大変だな」


「ローラント王国にはこっちの情報は筒抜けなのね。……わたしのことは国として正式に抗議しないの?」


 わたしの行動は両国間の信頼を揺るがす行為だ。

 未来の王妃が間諜として直に潜り込んだのだ。最悪は処刑されるかもしれない。


 レイは目を丸くして、


「え? なんで?」


「なんでって……隣国の王妃になる人間が堂々と機密情報を盗みに来たのよ? 許されることじゃないわ」


「高位貴族の間諜なんて掃いて捨てるほどいる。それをいちいち糾問するなんて面倒なことはしない。それに我がローラント王国は、それくらいじゃ落ちないよ。言い方は悪いが、それこそたかが侯爵令嬢に国家の情報を持って行かれてもね」


「随分な自信ね」


「まぁな。うちは諜報には力を入れているんで」


「帝国に対抗するため?」


「かもな」


「そう」



「…………」

「…………」


 わたしたちはしばらくの間、黙ったまま景色を眺めた。ささくれ立った気分も夜に紛れて大分落ち着いてきた。

 軽快な音楽が鳴り響く室内とは打って変わって、外は静かだった。


「君は……」ややあってレイが口を開く。「本当の髪の色は金色なんだな」


「そうね。オディオのときは茶髪のかつらを被っていたものね」


「全然印象が違うな」


「あら、それって褒め言葉? オディオの姿はわたしの間諜の先生から教わったのよ。完全に平民の少年に成り切っていたでしょう?」と、わたしはしたり顔をする。


「そうだな。事前情報を得ていなかったら危うく騙されるところだったよ。ただの栄養状態の悪い少年だ、って」


「悪かったわね」


「いや…………」レイは一拍置いてから「本来の君は凄く綺麗だよ、オディール嬢」


「えっ……?」


 驚いて固まってしまった。みるみる頬が熱くなるのを感じる。


 容姿を褒められたのは初めてだ。わたしは他の令嬢より少し上背があって、目つきが悪いし雰囲気が怖くて近寄りがたいとよく言われていた。


 だから、綺麗だなんて……アンドレイ様からも一度も言われたことがないわ。

 全身がぞわぞわしだした。褒められることに慣れていないから。

 でも、ちょっと、嬉しい、かも……。


「あ……ありがとう……」


 ポツリとお礼を呟いた。

 一応、言っておかないとね。ま、とりあえずはね。



 レイは微かに眉を動かしてから、


「それで……その……そのドレスは君の趣味なのか?」と、遠慮がちに言った。


「それ、伯爵と侍女からも言われたわ」わたしは苦笑いをする。「婚約者がこういうデザインが好きなのよ。わたしは特になにも考えずに侯爵家が用意したドレスを着ているだけ。――それで、わたしにはもっと他のドレスのほうが似合うって言いたんでしょう?」


「お、おう……」


 レイは思っていたことを的中させられたからなのか、たじろいだ。


「お見通しなのよ」


「参ったな……。その、ここにいる間くらいは好きな格好をしたらどうだ? 王子も見ていないだろ」


「それも二人から言われたわ。次の休日にでも買い物に行くつもりよ」


「そうか。余計な口出しをして悪かったな。無礼だった。お節介だが、ドレスはレディーの鎧だから一番魅力的に見えるものを身に纏ったほうがいい。それに、なんだか今の君を見ていると色んなものに我慢しているように感じて、な」


「我慢……?」


 わたしは首を傾げる。レイの言うことがよく分からなかった。

 我慢? わたし、我慢しているのかしら? なにを? なにに?





「あっ、そうだった!」


 出し抜けにレイがポンの手を叩いた。

 そして、いつものニヤニヤと意地の悪い表情を浮かべる。

 ギクリと嫌な予感がした。ま、まだなにかあるの!?


「そう言えば、オディール・ジャニーヌ侯爵令嬢は僕にずっと面会を希望していたんだよな? ――で、なんか用?」


「はあぁぁっ!?」


 再び怒りが込み上げてきた。面会を断られていた日々を思い出してムカムカした感情が蓋を開けて押し上がってくる。

 なんなのよ、この人! なによ、このすっとぼけた言い方は!

 この調子じゃ、絶対面白半分で拒否をしていたんだわ。なんて性悪。


 レイは変わらずに小馬鹿にしたような笑みを浮かべている。



 わたしはきっと彼を睨み付けた。


「べ、つ、に!」


 そのまま踵を返して、


「ではご機嫌よう、レイモンド王太子殿下」


 雑にカーテシーをしてバルコニーを離れた。

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