20 これからのこと

 気が付くと、わたしはベッドの上に寝かされていた。


 ぼんやりと虚空を眺める。そこは見覚えのある天井だった。

 ……兵士の寮ってこんなに広々としていたかしら?

 まるで、ここは――、


「オディール! オディール!」


 聞き覚えのある無機質だけど可愛らしい声にはっと目が冴える。

 ここは、大使館のわたしの部屋!


 ヴェルがビュンとわたしの胸に飛び込んで来る。そして頭を押し付けるようにぐりぐりと擦り寄せてきた。わたしもほっとして、彼の体を優しく撫でる。


「オディール・ジャニーヌ ハ コウシャクドリョクカ ソレダケガトリエサ」


「ふふっ、そうね。心配してくれたの? ありがとう」


 わたしは思わず吹き出した。ヴェルはあの日以来たまに「真面目で努力家」と喋るようになったのだけど、時折ごちゃ混ぜになって変な単語を言うようになったのよね。



 わたしが目覚めたことは侍女を通じてスカイヨン伯爵に伝わって、大使館の方々が大勢駆け付けてくれた。

 侯爵家にいた頃は、高熱を出して寝込んでも家族は誰もお見舞いに来てくれなかったから、不思議な感覚だったわ。

 でも……嬉しい。賑やかのって楽しいかも。


 スカイヨン伯爵の話によると、わたしはレイの前で気絶してしまったらしい。

 そして兵士の寮に送られて、ガブリエラさんが伯爵に連絡して、すぐさま除隊手続きを済ませて秘密裏に大使館に運ばれたそうだ。

 それから、丸二日も寝込んでいたんですって。


 意気揚々と潜入捜査に入ったのに、こんな無様な結果になってしまって……更に周りにも迷惑を掛けてしまって申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

 伯爵とガブリエラさんにはひたすら平身低頭で謝ったわ。

 二人とも「気にしないでいい」って言ってくれたけど、わたしは慚愧に堪えなかった。なんという失態かしら……。


 あと、一番迷惑を掛けたレイにも謝りたいのだけれど、もう見習い兵士の訓練場には顔を出していないみたいだし、王太子殿下直属の騎士団には平民のオディオがおいそれと近寄れないし……困ったわ。


 彼自身は高位貴族らしいから国内のどこかのパーティーで出会える可能性はあるけど、そのときに正体を明かすわけにはいかないし、もう一生オディオとしては彼に会えないのかな……。

 そう考えると、少し悲しくなった。




 そして…………、



 考えたくもないけど、一番の懸念はアンドレイ様の違法競売と…………ピンクダイヤの蝶々のブローチ。

 アンドレイ様が犯罪に関わっていること、そしてシモーヌ・ナージャ子爵令嬢に貴重な品を贈っていたこと……。この二つの事実は、わたしの心を抉るように深く深く苦しめた。


 本当……なのよね…………?


 アンドレイ様は正義感の強い方で、真面目で、いつも毅然としていて、わたしを正しい方向へ導いてくださるような素晴らしい方だ。わたしは出来損ないで令嬢としての基本もなっていないので、いつも彼から厳しい指導を受けていたわ。


 立派な淑女になってやがて王妃となって彼をお支えすることが、わたしの使命だった。お父様からも常にそう言われていた。

 彼はいつも正しくて、わたしはいつも間違っていて……彼の言うことは絶対で、彼が曲がった道に進むことなんてあり得なくて、彼はわたしの全てで…………。



 アンドレイ様からの贈り物はいつも花束だった。

 誕生日や節目のとき、更に互いに忙しくて中々お会いできないとき、いつも両手いっぱいの花束を贈ってくださっていた。

 とっても嬉しかったし、足手まといのわたしなんかを気遣ってくださって感謝していた。


 でも……贈り物を比較するなんて品のないことだけど、わたしはブローチなんて戴いたことは一度もない。手元に残るようなものは、一度も。



 ………………………………、





 そっか。








 わたしはスカイヨン伯爵から「仕事はいいのでしばらく安静にするように」と言われて、大人しく従うことにした。一人になって、ゆっくりと考えたかった。

 正直、アンドレイ様の意図が分からなかった。


 でも、彼に直接尋ねることなんて出来なかった。そんなの、怖くて出来ないわ。

 悶々とした気持ちは日を追うごとに膨れ上がって、モヤモヤとしたものがずっと私を包み込んでいた。


 レイモンド王太子殿下は違法競売の事件を追っているとレイが言っていた。王太子殿下はアンドレイ様のことを糾弾するつもりなのかしら?

 そうなると、アングラレス王国はどうなるの?


 考えれば考えるほど、暗い深淵に引き込まれてど壺にはまりそうで頭が痛くなる。でも、考えないで目をそらし続けるのはもっと良くないと思った。


 ここでは、わたしは自由。

 そして、諜報員。



 レイは「好きにすればいい」って言っていた。

 だから、自分の目で確かめたいと思った。

 たとえ、どんなに悲しい事実が待ち受けているとしても。

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