18 軍隊生活④ 〜突入〜

※若干、血生臭い表現あり









 競売会場は、王都の中心近くにある劇場の地下にあった。

 時間はちょうど夜の8時を回ったところだ。わたしたち兵士は、暗闇に紛れ込んでそろそろと周囲を巡回していた。


 ……うん、異常なし。

 今回は犯罪組織の規模が大きいので、主に騎士たちが活躍していた。もちろん、会場周辺も下級騎士たちがぞろぞろと蠢いている。だから本当にわたしたち兵士はただのおまけだった。


 わたしは会場内がどうしても気になって、定期的にそわそわと遠目で眺めていた。

 実は、なんとレイは王太子殿下直属の騎士団に所属しているらしいのだ。だから今日は突入の大役を任されていた。さすが高位貴族の令息ね。


 彼を信用していないわけじゃないけど、なんとなく心配だった。

 だって、相手は国際的な犯罪組織ですもの。こんなに巨大な組織だと、各国の高い身分の方々が関わっている可能性が高いんですって。だから一筋縄ではいかないのでは……と、一抹の不安を覚えたのだ。



「なぁ、オディオ。終わるの遅くないか?」と、同僚の兵士が顔を曇らせて言った。


「だよな……」


 わたしも彼に釣られて眉尻を下げる。

 今日の作戦は短期決戦だと聞いてたけど、開始からもう30分以上は経っていた。

 なにかトラブルでも起こったのかしら?



 そのときだった。


 ――ドンッ!


 一瞬、地面から突き上げるような振動がしたと思ったら、うねるような激しい爆発音が聞こえてきた。音が身体にビリビリと伝わって手足に電撃が走ったみたいだった。


 爆発音のほうを見ると――それは競売会場で起こっていた。悲鳴と怒号が混じったような叫び声がいくつも重なる。現場はかなり混乱しているようだ。


「レイが危ない……!」


「お、おい! オディオ!」


 気付いたら、わたしは同僚の制止を振り切って無我夢中で走っていた。身体が勝手に動いたのだ。

 あの場所には、レイがいる。今朝、いつもの飄々とした調子で「王太子殿下直属の騎士団で先陣を切って突撃するんだ」って言っていた彼が。


 いえ、でも、まさか――……!?


 

 会場に辿り着くと、建物の右半分が破壊されていた。でも想像よりかは被害は少ないようで、ほっと胸を撫で下ろす。

 ……いえ、まだレイの安否を確認できていないわ。彼の元気な顔を見るまでは安心できない。


 わたしは人々が混乱して出口へ殺到する中、吸い込まれるようにフラフラと建物内に入った。すぐに階段を見つけて地下へ潜る。


「うっ……!」


 下に降りるにつれて鉄のような魚のような生臭い匂いが濃くなっていった。思わずハンカチで鼻口を押さえる。

 なに、この異臭は? なにが起こったの?

 わたしは慎重に階段を降りる。足場がぬるぬると滑った。

 

 そして、最下部に着くと、


「なに……これ…………」


 悪寒が走って、その場から動けなかった。ガタガタと全身がからくり人形のように震え出す。見たくないのに、見開いた双眸がその光景を必死で焼き付けていた。


 そこには人、人、人……が倒れていて、辺りには赤い血の海が広がっていたのだ。中には腕だけが行き場を失ったように転がっていて、生き物みたいにピクピクと――、


「おっと。怪我するぞ」


 あまりの凄惨な光景にショックで気を失いそうになったわたしの身体を――レイが受け止めてくれた。


「レ……レイ…………無事で……よかっ…………」


 視界が霞む。生まれた初めて見た「戦場」に動揺を隠せなくて、込み上げてくる吐き気を必死で押さえた。


「見ないほうがいい。ここは危険だ」


 レイはわたしの肩を掴んで持ち上げるようにして、この地獄のような場所から連れ出してくれた。




 わたしはレイに会場の隣にある屋敷に連れて行かれて、応接室で休ませてくれた。違法競売の見張りをするためにレイモンド王太子殿下が買い上げたらしい。


「っっ…………」


 まだ震えが止まらなかった。カップを持つ手がプルプルと中の液体を揺らしていた。

 嫌でもあの光景が離れない。ねっとりした赤い液体の残像が自身の双眸に膜を張ったままだ。


 レイはそんなわたしの無様な姿をしばらく眺めてから、


「なんで来たんだ? 兵士の仕事は会場周辺の警護だ。無断で持ち場を離れるのは命令違反だぞ」


 わたしは今にも泣きそうな顔で彼を見上げる。


「だっ……だって…………。凄い爆発音がしたから……レイが心配で…………」


 彼は目を見張って、


「僕のために?」


 わたしはゆっくりと頷く。すると、彼はふっと柔らかく笑った。


「ありがとう。それなのに責めるような真似をしてすまなかった」


「いいや」わたしはブンブンと首を振った。「命令違反をしたのは事実だから。レイの言うことはもっともだよ。ごめん……」


「仕方ない。命令よりも大事なものはある」


「さっきと言っていることが矛盾してるじゃないか」と、わたしは思わずくすくすと笑った。


「時と場合によるんだよ。都合の良いほうが正解だ。――どうだ、少しは落ち着いた?」


「あ……う、うん」


 いつの間にか不思議と気持ちはだんだん穏やかになっていった。温かい飲み物と、なにより彼とこうやって会話をしているからだろうか。

 わたしはポツポツと口を開く。


「その……生まれて初めての戦場だったんだ。今日は小規模な戦いかもしれないけど……わ、オレにとっては衝撃的で…………」


「本物の戦場は、今日とは比べ物にならないくらいの死体が出る」


「だ、だよな……」


 にわかに彼の眼光が鋭くなった。


「だが、それは君たちがこれからやろうとしていることなんじゃないのか?」


「えっ……?」


 わたしは目を見開いて彼を見た。彼は射抜くような視線をまっすぐに注いでくる。

 しばらく無言で見つめ合った。


 わたしたちが、これからやろうとすること……?

 彼の言わんとすることが即座には理解できなかった。


「いや……」レイは顎に手を当てて少し思案してから「違うんだ。その……君は兵士だろう? これから君たち兵士は戦場に出る。オディオにその覚悟はあるか、ってことだ」


「あっ……!」


 鈍い頭がやっと彼の意図に追い付く。そして同時に、自身の答えも出ていた。

 わたしには戦場で人を殺すことなんて……絶対に出来ない。


 無言の時がしばらく続く。

 そして、


「答えは出ているようだな」と、レイがふっと笑った。


「あぁ」わたしは首肯する。「オレが甘かったよ。戦とは人の生死が掛かっている。命を賭けて戦うんだよな。一番肝心なことがオレには見えていなかった。……明日にでも除隊するつもりだ」


「そうか。たしかに君には戦場は似合わないな」


「そうだな……浅はかだったよ…………」


 頭が痛かった。愚かな自分が恥ずかしい。

 本当にわたしは戦場を舐めていた。軽い気持ちで軍隊に潜入して、一丁前に間諜気取りで。

 でも、本当は視野の狭いただの箱入り娘だったわ。






「そうだ、面白いものを見つけたんだ」


 しばしの無言のあと、出し抜けにレイが立ち上がったかと思うと、奥にある執務机の上から一束の書類を持ってきて、わたしの目の前に置いた。


「……これ、なに?」と、まだ気分が沈んでいるわたしは無関心に尋ねる。


「今日手に入れたんだ。違法競売の顧客リスト」と、レイはニッと笑った。


「えっ!」わたしは俄然興味が湧いて、眼前の書類を手に取る。「見ていいの? 機密情報じゃないの?」


「除隊予定の一兵卒に見られてもなんの問題もないさ。さぁ、どうぞ」


「ありがとう……!」


 わたしは彼に嘘をついていることに申し訳ないと思いつつも、好奇心に負けてその書類を開いてみた。

 これはいい情報だわ。もし、アングラレス国内の貴族や商人が顧客にいたとしたら摘発できるものね。アンドレイ様に素晴らしい手土産ができそうだわ。




 でも、次の瞬間、わたしは背筋が凍った。


 顧客リストの中にはしっかりと「アンドレイ・アングラレス王子」と記されていたのだ。


 

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