2 それだけが取り柄
ゴトゴトと馬車は静かにわたしを運んで行く。
わたしはあれから早速隣国へ向かう準備を整えた。
アンドレイ様からは「戦争計画の情報は自分とごく近い側近しか知らないので、名目上は王妃になった際の外交の勉強のために隣国の大使館に勤めるようにした」と言われた。これにはお父様も大賛成で「殿下がそうおっしゃるのだから、しっかり勉強をしてきなさい」と送り出された。
わたしは生まれたときからアンドレイ様の婚約者で、幼い頃から未来の王妃になるための教育を受けてきた。両親からは「お前は未来の王妃なのだからしっかりしなさい」と、何度言い聞かされてきたことだろう。
だから、わたしは未来の王妃――国中の淑女の手本になるために毎日研鑽を積んできた。
でも情けないことに、自分の本来持つ能力は平均より低いみたいで、褒められるようなことは決してなかった。
それでも、お父様やアンドレイ様にしょっちゅう叱咤激励されながら一生懸命頑張ってきたわ。人より劣っているのだから、人より努力しないといけないのは当たり前よね。
今もアンドレイ様から怒られることが多いけど、自分は上手くやっている。
――そう思っていた。
アンドレイ様からわたしが王子の婚約者に相応しくないと話が出ているって聞いたときは寝耳に水だったけど、きっとわたしが彼の婚約者だからって驕り高ぶって怠けていたからだわ。自業自得なのよ。
だから国の平和のために尽力して、結果を出して周囲を認めさせてあげなきゃ。
それに、戦争なんて絶対に嫌。
「……そう言えば、一人になるのは初めてね」
わたしは侯爵家に生まれたときからずっと王都で暮らしていて、家族や使用人に囲まれて育ってきた。側には常に侍女が控えていたし、アンドレイ様や他の貴族令嬢たちとも頻繁に交流をしていたし、一人ぼっちになるのは初めてだ。
今回は国の行く末を背負った極秘任務だから侍女一人さえも付かない。
向こうに着いたら身の回りのお世話をしてくれる者を付けるとは聞いているけど、長年側仕えしてくれた侍女ではないので少しだけ不安だ。
「オディール オディール」
隣に座っている友人が、出し抜けに声を上げた。
わたしはくすりと笑って、
「そうね、あなたもいたわよね。一人なんかじゃなかったわ」
わたしは鳥籠の扉をそっと開けた。すると中から一羽の鳥がちょこんと顔を覗かせて、そしてピョンと飛び降りてわたしの膝の上に座る。小さな頭を優しく撫でた。彼は気持ちよさそうに目を閉じる。
彼――ヴェルは葡萄酒の瓶くらいの大きさの鳥で、大きな黒い嘴と、派手な黄色い鶏冠、そしてはっとするような鮮やかなエメラルドグリーンの体が特徴的だ。
お父様が他国に外遊した際に南方にある国の要人から友好の印に頂いてきた、人の言葉を話す不思議な鳥。
わたしは一目でヴェルを気に入って「自分が飼う」と言い張り、小さい頃からずっとお世話をしている。彼はなんでも話せるわたしの一番の友達で、辛いことも楽しいことも二人で乗り越えて来たのだ。
「オディール・ジャニーヌ ハ コウシャクレイジョウ ソレダケガトリエサ」
「そうね」
わたしは苦笑いをする。ヴェルは人間の言葉を覚える鳥なのだけれど、いつの間にかこればかりを喋るようになっていた。
「お前の取り柄は侯爵令嬢という身分だけ」
幼い頃から、お父様やお母様……そしてアンドレイ様から、ため息混じりに何度も何度も言われた言葉。
わたしは代々国の宰相を務めるジャニーヌ侯爵家の令嬢として生まれた。そのときからアンドレイ様と婚約が決まっていて、そのときからお妃教育が始まったわ。
でも、わたしは能力が高くないし、容姿も目付きが悪くて怖いと言われるし……なんの取り柄もなかった。
唯一、人より優れいてるのは侯爵令嬢という身分だけ。だから「身分に相応しい令嬢になりなさい」と両親から厳しく育てられてきた。
だけど、いくら努力をしても両親が褒めてくれたことは一度もなく、「お前の取り柄は侯爵令嬢という身分だけ」とだけ……いつも言われていた。
そんなやり取りを常に近くで見ていたヴェルは、いつの間にかこればかりを喋るようになったのよね。
「オディール・ジャニーヌ ハ コウシャクレイジョウ ソレダケガトリエサ」
「そうね。でも、侯爵令嬢って凄いことなのよ?」
貴族の身分は位が高くなるごとに希少性が高まって行く。侯爵家もこの国では数少ない。だからそんな家門に生まれてきたことは、とても幸運なことなのだ。
それにわたしは、アンドレイ様の婚約者。これも侯爵令嬢だからこそ為せるわざなのだ。
だから、侯爵令嬢という身分も一種の才能だと思っている。……幼い頃から、そう自分に言い聞かせていた。
今回もこの高い身分を最大限に活用して、アンドレイ様の期待を越える結果を出せるように頑張らなきゃ。
「オディール・ジャニーヌ ハ コウシャクレイジョウ ソレダケガトリエサ」
「そうね」
馬車はわたしとヴェルを静かに運んで行く。
彼と一緒ならどんな困難も乗り越えられる気がした。
◆ ◆ ◆
「アングレラス王国の王子の婚約者が大使館に?」
「はい。なんでも王妃教育の一環とのことです」
「……で? だから、なんだ?」
レイモンド・ローラントは眉間に皺を寄せながら従者に問う。彼は現在、執務室で仕事に追われていた。王太子という身分の彼は、常に多くの仕事を抱えているのだ。
そんな仕事中に側近であるフランソワ・ルーセル公爵令息から無駄話……と、彼は思っている……を聞かされて彼は苛立ちを隠せなかった。
フランソワは軽く息を吐いて、
「そう怒らないでください。情報はなによりの財産だって殿下がいつも仰っているじゃないですか」
「そうだが……。僕は別に令嬢の情報なんて知りたくもないが」
すらすらとペンを走らせていたレイモンドの手が止まった。不機嫌そうにフランソワを一瞥する。
「まぁまぁ。これも王太子の仕事だからさ。我慢しろよ」と、フランソワはにわかに砕けた態度を取った。二人は幼馴染で、公式の場や仕事以外は対等の友人として付き合っているのだ。
レイモンドはペンを置いた。変わらずに眉根を寄せている。
「それで、その令嬢がなんだ?」
「あぁ。大使館に外交官として就任することになったからお前に挨拶をしたいってさ。早速、来週――」
「断る」
「おいおい。相手は未来のアングレラス王国の王妃だぞ? 断るのは不味いだろ」
「その令嬢が王妃になったときに挨拶をすればい」
「あのなぁ。こういうのは積み重ねが大事なんだよ。少しずつ信頼関係を築いていくんだ」
「別に。必要ない」
レイモンドは再びペンを持って、書類に目を通し始めた。フランソワは肩を竦めて、自身の仕事を始める。
部屋にはさらさらとペンの音だけが響いていた。
しばらくして、窓の外からゴロゴロと雷鳴が聞こえ始めたと思ったらたちまち激しい雨が降り始めた。今晩は荒れた天気になりそうだ。
「令嬢なんて……関わりたくもない」
レイモンドの呟き声が、雨の音に掻き消された。
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