24話 モネとロゼの傷
「どうぞどうぞ。窓を開けますね」
扉を大きく開いてシトエンが俺を招く。
「お邪魔しまーす……」
よく考えたら女子の部屋って初めてかも。
物心ついたころから幼年兵学校だの、寄宿舎だの陸軍学校だのに放り込まれていたから……。
男の部屋にはずっといても、女の部屋ってみたことないかも……っ。
おそるおそる中に入る。
シトエンが窓を開けたのだろう。
ふわりと頬を撫でて風が背後に流れる。
「あれ、どうされました、サリュ王子」
顔を手で覆って呻く俺を見てシトエンが不思議そうな声を出している。
いや、あの……。この部屋、あなたの香りがします……。
めっちゃシトエンの匂いがする……。なにこれ。数年間封印でもしてあったんですか、ここ。王墓ですか。盗掘を恐れて衛兵でも置きました? ご両親!
「椅子……とか、ないんですけど。あの、このクッション使ってください」
そっと手を下したら顔が熱い。シトエンはそれに気づくどころじゃなくて、俺の座る場所だのなんだのを整えてくれている。
とりあえず中に入り、扉のノブに手をかける。
……えっと。これ、閉めていいんだよな……? 俺たち夫婦だもんな……? 嫁の実家でふたりっきりになってもいいんだよな。
密室で。
「シトエン。ここ……。開けとく?」
それでもおそるおそる尋ねる。
「え? あ。閉めますよ」
慌てて近づいて来ようとするから、ばいん、と閉めた。よし、これで邪魔者は無し。
この部屋には俺とシトエンのみ!
妙な達成感を得たのち、部屋を見回して……。
その本の多さにびっくりした。
北と南の壁には天井に届きそうなほどの備え付けの本棚があり、そこにはおびただしい数の本が収納されている。
東には大きな窓が取られていて、その下には衣装が入っているとおぼしき棚や、小物が飾られている机がある。たぶんだけど、今は小物が飾られているが、シトエンがいるときは書類や書付でいっぱいだったんじゃなかろうか。
ベッドらしきものはないけど寝室は別なんだろうか、とか考える。
「あの……サリュ王子?」
「いやあの。本、すごいなって思って」
指をさすとシトエンが恥ずかしそうに顔を伏せる。
「あんまり女の子らしい部屋じゃなくて……」
「いやいやいや! 昔から勉強してたんだなぁって感心したんだ」
近づき、本棚を見るのだけど……タニア語、からっしきなんだよなあ、俺。
つらつらと眺め、一番下の棚に絵本らしきものを見つけた。
「見てもいい?」
「もちろん。どの本ですか」
ちょこちょこちょこと近づいてきて、俺の横から覗き込む。
俺が床に胡座して絵本を開くと、シトエンが嬉しそうに声を上げる。
「懐かしい。この絵本まだとってたんですね。わたし、よく読みました」
「へぇ」
一緒に絵本を眺め、シトエンが話を説明してくれたり、これを与えてくれた家庭教師の話をしたりする。ふんふん、と聞きながら、ぺらぺらとめくっていたのだけど。
俺のすぐ側にいるシトエンが、ふ、とため息をもらした。
「どうした?」
顔を上げる。
シトエンは両手とお尻をぺたんと床につける座り方をしたまま、「その……」と一旦口ごもる。
そのまま黙って俺は彼女が話し始めるのを待った。
「モネさんとロゼちゃんのことなんですが」
「モネとロゼ?」
予想外の名前が出る。
「最初に変だな、と思ったのは彼女たちの傷でした」
「あの、賊に襲われた時に負った傷のことか?」
シトエンは頷く。
「モネさんはざっくりと右腕に切り傷を。ロゼさんは背中と左腕に薄くですが、切りつけられた傷がありました」
「モネの傷はロゼを庇って、と言っていたな」
「そうです。ですが、それは多分嘘です」
「嘘?」
驚いて少し大きな声が出たが、シトエンは構わずに頷いた。
「もし誰かから切りつけられたら、防御創とよばれるものができるんです」
「防御……。守っている時につく傷ってことか?」
「そうです。例えば……サリュ王子がわたしを切りつけてくるとするでしょう? そしてモネさんのようにわたしも武器を持っていなかった場合……サリュ王子、ほら、切りつけてきてください」
えー……。フリだとしても嫌だなと思いながら、とりあえず手刀を作ってゆっくりとシトエンの頭に向かって下ろす。
シトエンは俺の手刀を防ぐように両掌を広げ、押し返そうとするように突き出す。
「あ」
つい呟く。
そりゃそうだ。
なにもざっくり切られるのを待たなくてもいいわけだ。
普通はシトエンのように頭や顔、身体を守ろうと手や掌で防ぐんじゃないだろうか。こうやって掌を開いて押し返そうとしたり……。
「よくあるのは、いまの私のように掌を広げて自分を守ろうとして、腕や手首に傷を負います。あとは、頭を守ろうとして手首から肘にかけて」
シトエンが手を下して言う。
「いやでも……。モネはロゼを守ろうとしたんだろう? だったら、傷を負うのも覚悟の上ということはないか?」
「その場合、背中に受けることが多いです。こう前抱きにして攻撃者との盾になろうとするので」
シトエンはなにかを抱きしめた後、俺に対して背を向けて丸まる。
確かに……。そっちの方が全体的に守れるよな……。すっぽり包んでしまえる。
よく考えたら、浴場で襲われた時の俺自身がそうだ。シトエンをかばったとき、そんな体勢をとった。
「そして、モネさんの傷は非常に深いにも関わらず、太い血管や筋はきれいに避けられています。また、モネさんはあれほどの傷を負っているにもかかわらず、ロゼさんはまるでかすり傷のようなもの。別人がつけたのだ、と言われればそうかもしれませんが……」
シトエンは身を起こし、顎を摘まむようにして言葉を続ける。
「また、モネさんの傷。あとで発熱を引き起こし、痛みに大分苦しめられました。そうでしょう。あれだけの傷ですから。ですが、受傷直後は痛みに対して非常に鈍かった」
「え? だって失神しただろ?」
「あれは……たぶん、失神したふりです」
「ふり?」
目を見開く。
シトエンは頷いた。
「ドロッピングテストというんですが……。意識がないと思われる方の腕を額の上まで持ち上げます。そして落とすと……どうなると思います?」
「どうなるって……。腕が落ちるんだろう?」
言いながら、そういえばシトエンがそんなことをしていたなと思い出す。ラウルとふたり『あれはなにをしているんだろう』と言っていた。
「腕を持ち上げ、額の上で手を離したら……。普通であれば腕はそのまま真下に落ちます。なので、腕は顔や額に当たるんです。ですが、気絶のような症状を示しているけれど実際は気絶していない方の腕を落とすと……。腕は顔を避けて胸に落ちます」
「あ!」
そうだ。モネの手もそうだった。
「なので、気を失っているふりをしているのだとおもったのですが……。とてもじゃありませんが、気絶しているような演技ができる痛みではないのです、本来は。ということは、痛覚をマヒさせる薬を飲んでいたと思われます」
「痛覚をマヒさせる……? なんのために」
「傷を作るために、です」
シトエンに言われて絶句する。
「では、なんのためにそのようなことをしたのか。そもそも、なぜ傷を負わなければならなかったのか。それは、賊に襲われた、とわたしたちに信じ込ませるためです。では、なぜそのようなことを彼女たちがしなければならなかったのか」
一息にシトエンはそこまで言ってから、悲し気に首を横に振った。
「それはわたしにもわかりません。ただ、自主的にしたとは思えませんでした。彼女たちは両親がいません。そしてまだ若い。しかも女性です。支配的な男性に命じられ、断れず、なんらかの目的のためにそれをさせられたのではないか、とわたしは思っています」
ふと蘇ったのは、シトエンがモネとロゼに語って聞かせている言葉だった。
『そういう未来もある、ということです。また、考えておいてください。なにかあれば必ず力になりますから』
あれは、彼女たちに今とは違う何かを示そうとしたのだろうか。
「彼女たちに、困った時は助けると伝えたのです。わたしから父へ、あの姉妹を見守ってくれるよう伝えようとは思っていますが……。あの、サリュ王子」
下から見上げるように俺を見つめる。
「彼女たちがわたしに助けを求めることがありましたら、ティドロス王国に招いてもよろしいでしょうか?」
「そりゃもちろん」
大きく頷くと、シトエンはびっくりしたように目を真ん丸にする。
「そんな即答……」
「いやだって、シトエンが気になる子たちなんだろう? だったらどんどん手を出せばいい。俺も手伝うし」
笑って見せると、シトエンはしばらく茫然とした後、くつくつと愉快そうに笑う。
「さすがわたしの大好きなサリュ王子です」
そう言って嬉しそうにするのはいいんだけど……。
なんというか、その姿勢。姿勢ですよ。
両手を床につけて、尻をちょっとだけ床から浮かして俺をこう見上げてお願いするこのポーズ。
非常に蠱惑的なんですけど………っ!!!!
色仕掛け!
俺、いま人生初の色仕掛けを仕掛けられている⁉
ならばこれ、受けねば……っ。
「シトエン……」
そっと彼女の肩に手を伸ばそうとしたら。
「あ!」
シトエンが、ぴょんと立ち上がる。
「サリュ王子、そんな感じの絵本がお好きでしたら、これも素敵なんですよ!」
そう言って本棚に近づき、ごそごそと探し出してしまった……。
いや……。
絵本より、シトエンが好きなんです……。
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