株式会社天国通話
清河涼|すず姫
株式会社天国通話
簡単なテレアポの仕事だ。
次の派遣先の就業まで3週間空いてしまい、自宅から近い場所で短期のバイトを探した。登録しているバイトアプリから通知が来た2時間後には、電話で即採用を知らされた。
テレアポは何度か経験がある。クレーム対応のテレアポに派遣で行った時は精神的に参ってすぐ辞めたが、今回は大丈夫だろう。
電話が来たら、別の部署に回すだけ。それで時給1500円。残業は無し、家からも近いのでギリギリまで寝られる。
電話相手さえ嫌な客じゃなければラッキー♪、と思いながら初日を迎えた。
【株式会社天国通話】
通知で来た時から変な会社名だなとは思っていた。複数の会社が入ったテナントビルの9階までエレベーターで昇り、階段を使って10階まで上る。
採用の電話で言われた通りの行き方だ。面倒だが3週間だけだし我慢だ。重い扉を開くと、壁に社名のプレートが掲げられていた。
「あ、おはようございます。今日からバイトの平井ですが…」
10時始業の15分前に到着した。受付はなく、扉がずらりと並んでいる。一番近くの扉の前に立っていた男性に声をかける。私を見て微笑んできたからだ。
「平井さん、お早いですね。おはようございます」
「あ、はい、よろしくお願いします…」
「採用担当のアマツカです。さっそくですが、案内しますね」
いかにもオフィスビルという感じの、無機質で清潔な廊下をアマツカさんについて行く。扉がたくさんあり、縦にガラスが入っている。中は2畳ほどのブースのようだった。
歩きながら説明を受ける。
「平井さんは受電対応部です。電話がかかってきたら対応する。それだけです。今までにテレアポのご経験はありますか?」
「少しですがあります」
「そうですか。おそらく今までご経験された感じとは少し違うと思います」
「はい…?」
「社名でお気づきかもしれませんが、当社は天国へいる方へ電話をかけることができるサービスを提供しています」
お気づきではなかったですね、と言いかけて飲む。仕事内容しか見ていなかったので、どんな電話対応かよく見ていなかった自分も悪い。
天国へ?電話?
宗教的なものだろうか…一抹の不安を覚える。
「そう怖がらなくて大丈夫です」
「す、すみません…」
「亡くなった大切な人ともう一度話したい…声を聞きたい…そう願う人は多いのです。ここでは、そんな願いを少しでも叶えられるサービスを提供しています」
「はあ…」
「電話が来たら、お客様からお話ししたい方のお名前と生年月日を聞いてください。端末に入力し、登録があれば番号があるので、そこに転送します。そうすればお客様は天国にいる方とお話しできるのです。平井さんのお仕事はこれだけです」
「あ、なるほど」
納得する。面白いサービスだな、と感心してしまった。
きっと事前に登録して、メッセージを録音しておくのだろう。自分の死後に家族や友人へ、伝えたいことを残せる。素敵なサービスだ。
一つの扉の前で立ち止まる。部屋名をかけるところに、平井と書かれた紙が貼られていた。
「こちらが平井さんの部屋になります」
「固定なんですか?」
「はい。明日から10時にこの部屋へ来てくださって大丈夫ですよ」
「わかりました」
電気がつけられる。デスクにパソコンが1台と、ヘッドセットが1つ。
「食堂はないので、お昼はここでお願いします。お手洗いもご自由にどうぞ。ご体調が優れないときは帰っていただいても大丈夫です。お休みの連絡も必要ないです」
「え?そうなんですか」
「はい。ご契約最終日まで、10時から18時にここへ来て受電対応をお願いします。他の人は対応中で連絡が取れませんので、マニュアルを見てください。休憩も適宜とってください」
デスクの引き出しからファイルが取り出される。そう分厚くはない。
キーボードの手前に1枚のカードが置かれていた。
「こちら社員証です。どうぞ座ってください」
「はい」
「まずパソコンを立ち上げて、社員番号を入れてください。このソフトを立ち上げて、ログインに社員番号を入れて下さい。これで出社の記録を取っています。ログアウトが退社になります」
アマツカさんはどんどん説明していく。そう難しくはなさそうだ。私は言われた通りの作業をしていく。
「ログインできたら『通話接続』ボタンを押してください。これで電話がかかってくる準備が完了です。離席の際は『通話切断』ボタンを忘れずに」
「はい、わかりました」
「受電対応のマニュアルはすべて記載されています。基本的に、お名前と生年月日を入れて該当者が出てきたら、一旦保留にして、この登録番号をクリックしてください。ポップアップの『転送』をクリックして終了です。こちらの電話は切れます」
「わかりました。今までで一番簡単なので大丈夫です!」
「理解が早くて助かります」
にこりと微笑むアマツカさんの優しそうな顔に少し照れる。40代ぐらいだろうか。優しいお父さん、という感じだ。
「対応が何件か、どんなお客様かなどは、こちらでデータが記録されているので、気にしなくて大丈夫です。平井さんは受電のみ、無理のない範囲で勤務してください」
「ありがとうございます」
「最終日が終わりましたら、社員証をテーブルに置いて、帰っていただいて結構です。後日勤務時間分のお給料が振り込まれます。給与明細はメールでお送りいたします」
今まで働いてきた職場の中で一番優しいのではないか。仕事も簡単だ。
修羅場のような職場で怒鳴ってばかりの客のクレーム対応を経験している私からしたら、ここは社名通りの天国である。
もうすぐ10時だ。マニュアルを見る時間あるかな、と思っていたら、アマツカさんが少し遠くを見るような顔をする。不思議に思い見つめる。
「10時になりましたら通話接続して業務を開始してください…では、このお仕事の大変な部分をお伝えしておきますね」
やはりあるのか…少し残念に思う。
どんな仕事でも大変なことはある、仕方ない。覚悟して聞く。
「電話ですが…無言電話が多いのです」
「無言電話?」
「あとは、機械音だけの場合があります。これはおそらく間違えてFAXを送ってきているのかもしれませんね」
「あー、ありますあります。経験あります」
「いたずらの無言電話や間違い電話はすぐ切って大丈夫です」
「はい。素敵なサービスなのに、いたずらしてくる人いるんですね」
「…うちは特に多いので、イライラしないでくださいね。お客様は希望を持ってかけてこられる方が多いので、真心を込めた対応でお願いします」
「もちろんです。いたずらはスルーします」
「はい。では、よろしくお願いします。頑張ってくださいね」
「はい!ありがとうございました」
立ち上がり、軽く礼をする。アマツカさんはにこやかに出て行った。
大変なことがいたずら電話とは驚いたが、通販の契約担当だった時に変質者を相手にした私からすれば無言電話くらいなんて事はない。
テレアポは直接お客様と会うことが無い仕事なので楽だが、ストレスは対応する客次第。クレームじゃないだけまし!と言い聞かせ、座りなおす。
あと数分で10時だ。マニュアルを手に取る。
さっと見た限り、やはり簡単なお仕事なので安心する。
10時30分。私はうんざりしていた。
業務開始から30分が経ったが、すべて無言電話なのだ。そんなことある?と驚いたし、マジかよ…と呆れたし、また無言か…と落胆している。
プルルルル―――
通話ボタンを押す。
「はい、こちら天国通話です」
『――――――』
「もしもし?」
『―――――――――』
「もしもーし」
『――――――――――――』
「……」
通話終了ボタンを押す。
これの繰り返しだ。噓でしょ?もう30分これなのだ。
いや確かに、アマツカさんはこの仕事の大変な部分とは言っていた。言ってはいたが、もしかして営業時間のほぼ全部これなのか。そんなことあるのか。お客様って本当にいるのか…?
プルルルル―――
通話ボタンを押す。
「はい、こちら天国通話です」
『――――――』
「もしもし?」
『―――――――――』
また無言電話。もう何度目か分からない。
「もしもーし」
『――――――――――――』
「……」
通話終了ボタンを押す。
空調の音だけが聞こえる個別ブースで、一人。電話の間隔は少しある。鳴りっぱなしということはないので楽だが、受ける電話今のところ全部無言。
頭が可笑しくなりそうだ…
相手の電話番号が見えないので、同じ人間がかけてきている可能性はある。
何のために?いたずらにも程があるだろう。営業妨害だ。
意味が分からない…
プルルルル―――
通話ボタンを押す。
「はい、こちら天国通話です」
『――――――』
ちょっと怖くなってきた。これは嫌がらせなのか?
「もしもし?」
『―――――――――』
「もしもーし!」
『――――――――――――』
通話終了ボタンを押した。
この仕事、実は大変なのでは…私は遠くを見つめる。
スマホを取り出し、友人にメッセージを送る。すぐ既読がついた。返信が来る。すごくほっとした。
仕事が終わったらこのヤバい仕事の話するね、と送る。
私は寂しがり屋じゃないし大抵のことは受け入れるが、無言電話が続くとこんなに不安になるとは思ってもいなかった。人恋しい。人の声が聞きたくなってきたのだ。終業まで、まだまだ時間はある。
プルルルル―――
通話ボタンを押す。
11時40分過ぎ。
音を消してパズルゲームをしながら受電対応を続けていた私は、画面を見ずとも通話ボタンを押せる。
プルルルル―――
「はい、こちら天国通話です」
決められた台詞。もう私必要ある?とさえ思うこともなくなった。
だが今回は、何十回目の無言電話ではなかった。
『―――ピーッ―ガガガッ』
「!?」
突然鳴った機械音に飛び上がる。なんとか悲鳴を出すことは耐えた。
あまりに無音が続いていたせいで耳が音を反響するようにキーンとした。
「も、もしもし?」
『ガガッ――ピーピーピッ―ブツッ――――――』
「…え?切れた?」
通話は切られていた。
一瞬茫然とするが、これはおそらくFAXだろう。
ふう、と息を吐いて背もたれに寄り掛かる。焦った…胸をなでおろす。
あまりにもずっと無言電話が続いていたので、気が緩んでいた。
テレアポの仕事なのに未だ1件も人と電話していないのだ。仕事内容としては無だ。間違いFAXにすら心を乱されるくらいには退屈を極めている。
「私…もしかしてそういう担当?」
独り言だって出るだろう。
もしかしたら、この会社に無言電話をかけまくっている迷惑者から業務の邪魔をさせないために、無言電話担当を置いているのだろうか。毎日ミスってFAXを送ってくる人から他のスタッフを煩わせないために。
どちらにせよ、私はそういう担当なのだろうか…
プルルルル―――
通話ボタンを押す。
「はい、こちら天国通話です」
『――――――』
無言だ。息遣いすら聞こえない。
怒鳴られるわけでも嫌味を言われるわけでもセクハラされるわけでもないのに、疲れるのはなぜだろう。
そろそろお昼を食べよう。それだけが楽しみだ。
18時。私はモニターの右下の時計を10分以上前から凝視していた。
ぴったり18時になった瞬間、通話切断を押す。ログアウトする。パソコンの電源を落とす。業務終了だ。
今日は、まさかの全て無言電話とFAX間違い電話だった。信じられない。
もう私はそういう担当なのだと諦める。
1日誰かと話すわけでもなく、受電してすぐ電話を切るを繰り返しただけ。
FAX間違いは14件もあり、頭にピーピー音が残っている。
暇すぎてマニュアルは20周は見たし、スマホのパズルアプリや漫画アプリはライフが全部なくなるまでやってしまった。
明日から暇つぶしにできる何かを考えなくては…そう思いながら席を立つ。
途中2度トイレに立ったが、誰とも会うことはなかった。
階段を下りてエレベーターで1階まで降り、外へ出るまでも誰とも会わなかった。アマツカさんがどこにいるのかも分からない。
職場での人間関係のストレスがゼロどころか、接点がゼロだ。
こんな職場は今までになかった…
私はスマホで友人に今日のことをメッセージで送りながら、家路についた。
2日目も変わらずだ。
誰にも会わず自分のブースへ行き、10時にログインした。
ブース内に監視カメラがないことは確認済みなので、さっそく暇潰しを始める。毎月買っている雑誌の懸賞付きのクロスワードパズル。
プルルルル―――
通話ボタンを押す。
「はい、こちら天国通話です」
『――――――』
「もしもし?」
『―――――――――』
通話終了ボタンを押す。
1日で慣れた。ほぼ画面を見ずに対応できる。
アマツカさんからイライラしないでと言われたが、感情的には呆れている。よくこんなに無言電話を毎日かけられるものだ。そもそも会社として、着信拒否とかしないのだろうか?業務妨害なのに。
私は電話が来ればさくさく受電対応をしながら、スマホゲームや大人の塗り絵や雑誌のナンプレなどをして暇を潰した。仕事してる気がしない。
FAXのピーピー音は、即切りで凌いだ。頭が痛い。なんだか昨日より音が大きくなったような気がする。一度音量を下げようといろいろやったが設定が分からなかった。マニュアルにも無い。
プルルルル―――
通話ボタンを押す。
「はい、こちら天国通話です」
『――――――』
「もしもし?」
『―――――――――』
通話終了ボタンを押す。
初対面の人には緊張するタイプだが、トイレに行った時に誰かに会わないかな、と期待するようになった。
昨日も人と話せなかったな、と思いながら3日目を迎えた。
3日目は朝からFAX間違い電話がすごく多い。
プルルルル―――
「はい、こちら天国通話です」
『ピー―――ピーピーピッ――ガチャッピー』
通話終了ボタンを押す。
もう10回連続だ。どういうことだろう?
どこかの通販会社のFAX番号と似ているのか。FAXを使いまくる会社の番号と似ているのか。どちらにせよ、うんざりすることもなくなった。
電話取って切るだけでお金が貰えるのだ…もう開き直った。
今日はスマホでできる内職をやろうかな。
5日目を終え、華の金曜日なんてテンションがあがることもなく、18時ぴったりに業務を終えて退社する。
いつも通り人と会うこともなく、階段を降りエレベーターを待っていたが、今日は違った。後ろからアマツカさんが声をかけてきた。
「お疲れ様です、平井さん」
「え!?」
いつの間に背後に、とびっくりして声を上げてしまった。
この会社で会う人がいなすぎて、聞きたいことや言いたいことがありすぎる。
「あ、お疲れ様です!」
「1週間、どうでしたか?問題ありませんでしたか?」
にこやかに聞くアマツカさんの顔を凝視してしまう。この人は、私が1週間無言電話かFAX間違い電話しか取ってないことを知らないのだろう。
「あ、あの…その、私のところ、お客様の電話が…なかったです…」
「…そうでしたか。無言電話が多かったですか?」
「はい。あとFAXの間違い電話です…」
「それは大変でしたね。ご対応時間を見ましたが、そのような中でとても真面目に勤務していただいていますね。お疲れ様です」
「…あ、はい」
対応はしていたがそれ以外は好きにさせてもらってます、とは言わないでおこう。寝ていたわけじゃないし。
私は一番聞きたかったことを聞く。
「その…他のスタッフの方は、お客様対応ってされてますか…?」
「はい。平井さんのところばかり無言電話が繋がって申し訳ありません。特に平井さんに指定で繋げているわけではありませんので、ご容赦ください」
「そうですか、それなら…今週は運が悪かったということで…」
ティンッと軽快な音とともに、エレベーターの扉が開く。アマツカさんを振り返り軽く頭を下げる。
「来週もよろしくお願いします」
「はい、よろしくお願いします。お疲れ様でした」
私は会釈しながらエレベーターに乗り込む。アマツカさんは微笑んで軽く会釈し、立ち去って行った。
少しの立ち話なのに、誰かと会話ができた充実感が体を包む。いたずら電話担当では無いそうだが、あまり来週には期待しないでおこう。
運が悪いで片付けていいのだろうか?5日間無言電話なのに…
他のスタッフは時間が違うのか全く会わないし、こんなにブースがあるのに気配すら感じないが、どこかにいるのだろうか。みんなすぐ辞めてしまうのだろうか。
私は家路に着きながら、来週は何して時間潰そう、と考える。
週明けの月曜日は、無言電話の中に人の息遣いを感じた。
思わず大きな声で「もしもーし!」と叫んだが、無言電話だった。
火曜日は、無言電話の中に、遠くから人の声っぽいものが聞こえた。
電波が悪いのか、微かに途切れて聞こえたのだ。結局電話は切れた。
間違いかもしれないが、勤務7日目にして初めて電話の向こうに人を感じて、テンションが上がってしまった。
いや、私、疲れてるのかな…
水曜日、とうとう私は歓喜した。
お昼に食べた大盛ナポリタンで胃もたれし、何百回目かの無言電話だと思い込んでいたので、少し雰囲気悪く電話に出てしまっていた。
「はい…こちら天国通話です…」
『――もしもし?』
「!?」
きっと人類が初めて宇宙人を見たときぐらいの衝撃だと思う。
人の声がした!人だ!お客様だー!!
軽く上げてしまった腰をおろし、一瞬混乱し、すぐ座りなおす。
「はい、もしもし!?」
勢いよく声を上げてしまった。落ち着け、と心をなでる。胃をさする。
声は小さな女の子のようだった。幼児くらいの声のもたつきだ。
『もしもし…天国ですか?』
「こちらは天国通話です。大切な人ともう一度お話しできる電話です」
マニュアル通りだが、できるだけ優しく言う。私の初めてのお客様!
『あの…パパとお話しできますか?』
小さな声が震えている。私は目頭が熱くなった。
暇すぎてマニュアルを50周もして暗記している私は、できるだけ心を込めた声色で話す。
「はい、ご登録があれば、お繋ぎできます」
『パパいるの…?』
「お調べいたしますので、お父様のお名前と、生年月日はわかりますか?」
『…スズキ、ダイスケ…』
「お誕生日はわかりますか?」
『…わかんない…』
とりあえず秒で名前を打ち込む。3件ヒットした。同姓同名である。
登録を絞り込めない場合は、名前と生年月日以外に、いろいろ情報があるので聞くことになっている。
「では、お聞きしても良いですか?」
『うん』
通常まず亡くなった日を聞くのだが、なんだかそれは気が引けた。
3件のうち、2件は家族の名前が登録されているのでそちらを聞く。
「お父様の、奥様のお名前はわかりますか?」
『…ママの名前?カオリ!』
1件に絞れたが、マニュアルでは2項目以上で合致させよとあるので、さらに質問する。
「はい、では、お息女とご子息のお名前は、わかりますか?」
『…うーん?』
「あなたのお名前と、弟のお名前、教えていただけますか?」
『うん!マナは、マナだよ。弟はカケルだよ!』
「ありがとうございます。お父様のご登録が確認できました」
電話は4歳のマナちゃんである。1歳の弟カケル君がいる。
生年月日は後ろが死亡日である。まだ33歳の男性が、2か月前に亡くなっている。死因も書かれている。事故死だ。ぎゅっと胸が締め付けられた。
最近、結婚報告や出産報告がしんどくなってきた独身の私には、重すぎる…
「では、お繋ぎいたしますね。よいお時間を」
『パパと話せるの?ありがとう!』
保留ボタンを押す。
見なくてもわかる女児のキラキラした声。ちょっと涙がにじむ。
鈴木大助と書かれた下の欄に、10桁の長い番号がある。これを押す。
ポップアップで『転送』とだけ書かれたボタンが出てくるので、そっと、ぎゅっと押し込む。電話は切れた。
私は息を吐きながら背もたれにもたれこんだ。腕を上げて背伸びをする
「はあ――――初、仕事、完了!」
柄にもなく声を上げて万歳をする。勤務8日目にして、やっと電話が来たのだ。予想に反して幼い子供からだった。ようやく繋がって安堵する。
お父さんとお話しできているかな…喜ぶ女児の姿を想像しなが、いい仕事だなぁと笑みがこぼれる。
その日はあとは無言電話だったが、とても温かい気持ちで家路についた。
それまでの日々が嘘だったかのように、次の日から電話はお客様に繋がった。無言電話もFAX間違い電話もなくなったのだ。
プルルルル―――
「はい、こちら天国通話です」
『…あ、あの…天国にいる人と…その…』
「はい、こちらは天国通話です。大切な人ともう一度お話しできる電話です」
『よかった!つながった!お願いします、妻と―――』
いい仕事だ。
お客様の切望する声が分かる。きっと、凄く大切な人の声を望んでいる。
プルルルル―――
「はい、こちら天国通話です」
『もしもし!あの、母と、もう一度話せるって聞いて…!』
「はい、ご登録があるかお調べいたしますので―――」
天国へいる人に電話をかけることができる、最初に聞いたときはびっくりしたが、お客様はその体で電話をかけてくるので違和感はなくなった。
残されたメッセージでも、死んでしまった人の声を電話越しに聞けるだけで救われるのだろうか。私はまだ悲しみを知らない。
だがお客様の嬉しそうな声や感極まった涙声を聞くと、こみ上げてくるものはある。
しみじみこのお仕事と出会えてよかったなと思う。
プルルルル―――
「はい、こちら天国通話です」
暇潰しなどは一切できなくなり、忙しい週末であった。
少しの疲労感と、だが充実感と多幸感に満たされながらエレベーターを待っていると、背後からアマツカさんに声をかけられた。
「お疲れ様です、平井さん」
「ひえっ!?あ、あ、お疲れ様です!」
気配が無さすぎる。変な声を出してしまって恥ずかしい。
アマツカさんは金曜日の業務終了時とは思えないぐらいきちんとスーツを着て、背筋がまっすぐである。微笑みが優しい。
「今週はどうでしたか?」
「水曜日に初めてお客様のご対応ができました!昨日と今日は、一日ずっとお客様からの電話でした。無言電話などはなかったです」
「そうですか、よかったです。お客様から電話が来ましたか…」
うんうん、とにこやかに頷かれる。
もしかして先週末にちょっとクレームっぽく言ってしまったから、お客様に繋げてくれた?とも考えたが、電話回線を操作してますかなんて聞けない。
「平井さんはとても誠実にご対応いただけていると聞いています」
「いえいえ…初めてのお仕事ですけど、すごくいい仕事だなって思います。お客様皆様、切実というか、それに応えたいですね」
「はい、お客様が大切な誰かを思う気持ちにお応えする、その心を理解いただけて光栄です。これをどうぞ」
アマツカさんは持っていた封筒をすっと差し出す。
受け取ったはいいものの、何だろう?
「平井さんのお仕事ぶりに感謝しております。今後もぜひ当社でご活躍していただきたいと思っております。正社員をお考えいただけますか?」
「ええ!?私が!?」
あまりに突然のことに驚愕する。想像もしていなかった。
前に勤務していた正社員を辞めて8年、どこにも就職できず派遣で繋いできたのだ。
まさかスカウトされるなんて!私は嬉しさで興奮を抑えられない。
「いいんですか?私が?正社員に?」
「はい、丁寧なご対応や細やかな気遣いが大変評価されています。きっと受電対応部以外でもご活躍いただけると思います」
「受電対応以外って、私の経歴では…」
「平井さんなら大丈夫です。中に詳細を記載しております。お考えいただけましたら、最終日に記入した書類を社員証と一緒にデスクに置いてください。後日ご連絡いたします」
「あ、ありがとうございます!確認します!」
私は何度もお辞儀をする。背後でティンッとベルが鳴りエレベーターが来た。
「お気をつけて」
「お疲れ様です!ありがとうございました!」
にこやかに去っていったアマツカさんを見送り、扉が閉まって下降が始まる。私は封筒の中身を確認する。
少し冷静になって、入社したら全然違う業務だったらどうしようとか、残業代出なかったらとか、そもそも給料次第だなとか、いろいろなことが頭をめぐる。
だが兎にも角にも、正社員になれることは嬉しい。
「ええ!?」
思わず声を上げてしまった。
業務は受電対応部で、今と変わりない。給与が想像より良かった。
数々の派遣で苦い思いをしてきた私は一瞬不安になるが、残業代は含みではなく全支給だし、土日祝休みで年間休日125日以上、手当あり、ボーナス2回、福利厚生も申し分なし、社員研修あり…良条件すぎる!
「…ん?」
転勤あり、出張あり、は分かる。
全世界社宅あり、全世界担当制、とはなんだろう?誤字だろうか。
全国に営業所がたくさんあるのだろうか。それとも世界規模の事業なのか。
転勤を断る若い人が多いらしいから書いてあるのだろう。
私も転勤は嫌だが、不安定な雇用を続けるぐらいなら受け入れよう。独身がいつまで続くのか分からないし、大丈夫だろう。
私はバッグに封筒を押し込み、足取り軽く家路についた。
勤務最後の週も順調であった。
電話が鳴り、ひとつひとつを丁寧に対応していく。その繰り返しだ。
だがマニュアルにあるイレギュラーな対応が何件か発生した。
プルルルル―――
通話ボタンを押す。
「はい、こちら天国通話です」
『もしもし、あの…』
「こちらは天国通話です。大切な人ともう一度お話しできる電話です」
『ああ…お願いだ…あの人に伝えたいことがあるんだ』
「はい、ご登録があるかお調べいたしますので、お話ししたい方のお名前と生年月日をお願いいたします」
『名前はタナカ、アキコ、で―――』
名前と生年月日を入力すると、出てきたのは田中大地で、その配偶者の欄に明子とある。
田中大地の詳細を見るが、もちろん死亡日の記載がある。
まるで電話をかけてきたこの男性が田中大地であるかのようだ。そんなことはあり得ないのに。
マニュアルにあるイレギュラー対応を続ける。
「田中大地様のご登録がございました。田中明子様は田中大地様の配偶者でお間違いないでしょうか?」
『はい―――』
電話をかけたい相手が登録者ではない場合の対応の仕方。
登録番号の記載があるのは登録者のみで、配偶者やその他の人にはない。保留にして転送ボタンを押すことができない。
「田中明子様にお繋ぎいたします。お時間がかかりますので、少々お待ちください」
『お願いします―――』
「失礼いたします」
受電対応部では分からない番号は、検索部の方へ回す。
画面にある検索部の部署番号を押し、出てきたポップアップにお客様の登録番号とお繋ぎしたい方の名前をコピペで移して、送信ボタンを押す。
対応はこれだけだ。電話は切れた。
その後は知らない。田中明子の電話番号を調べてくれるのだろう。
いったい電話をかけてきているのは、誰なのだろうか。基本的に、かけてきたお客様のお名前を聞くことはない。
マニュアルにも指示はないのだ。私は特に深く考えなかった。
家でじっくり求人の詳細を見たし、この先正社員になれるチャンスもないだろうから、私はこの会社に就職しようと決めた。
少し不安を言うなら、ネットで会社の口コミを見ようと思ったが、まったく出てこなかったことだ。株式会社天国通話のサイトもない。
今業務をしているサービス名も分からないので適当に検索したが、出てこなかった。
今の時代にネットにまったく情報が無いなんてこと、あるだろうか。
心配ではあったが、当たって砕けろ精神で、なんとかなると楽観的に考えた。
最終日の勤務を終え、私は必要事項を記載した書類をデスクへ置いた。
来週から新たな派遣先での就業だが、こちらでの就職が決まりそうであることを派遣会社に伝えなきゃな、と思いながら帰路に着く。
他の部署ではどんな仕事をしているのだろうか、他のスタッフにまったく会わずに終わったが、正社員になれば先輩や同僚ができるのかな、など楽しみの方が大きかった。
最終日にアマツカさんとは会わなかったが、就職すれば会えるだろう。
お祝いはまだ早いかな、と笑みがこぼれた。
この結末は、やっと安定した職に就けた安心感だろうか。
それとも浮足立っていたのだろうか。
これは注意力の散漫である。
毎日通っていた道だし、家まであと30mだったから油断した。
私に突っ込んできた車を見たときには、私はもう生きてはいなかった。
【株式会社天国通話 人事部】
「アマツカさん、今回採用の人間はたった今亡くなりました。株式会社天国通話の本社へ送られています」
「そうですか。問題なく進んでいますね」
「はい。本社から到着の連絡があればお伝えします」
「わかりました」
「それにしても今回の人間はとても優秀ですね。世界間の送受信もでき、感情も残っている。大いなる母も喜ばれることでしょう」
「平井さんは真面目で心優しい人間でした。とてもよい条件で採用されていますし、あちらの世界でも不自由なく暮らせるでしょう」
「きっと人間でいるより幸せですね」
「そうですね」
死んだ。私は死んだ。最悪だ。
そう思ってはいたが、私は割と素敵な場所にいた。あたたかい日差しと緑の庭園。美しい花が咲き乱れる花壇。見たことのない綺麗な蝶が私の周りを舞っている。
ここはどこだろう。見るからに天国だ。
なぜこの素晴らしい庭園のベンチに座っているのかは分からないが、ただ、死んだことだけは分かる。
「平井さ~ん!お早いご到着で~!」
若い男性が遠くから叫びながら駆け寄ってきた。変わったスーツを着ている。
私は立ち上がる。男性は息を切らせながら近づいてきた。
「はあっ、はあっ、お待たせしました!」
「いえ、はい…あの、ここは…」
「はあっ…ここは株式会社天国通話の本社です!ようこそ!」
「ええ!?」
「申し遅れました!私、本社人事部のアマツカです!」
「え、アマツカ…?え?」
男性は息を整えながら、にこやかに名刺を取り出す。
【株式会社天国通話 本社 人事部人間課 アマツカ】
理解が追いつかない。
死んだら会社の前にいた、なんてどこの社畜だろうか。
「入社おめでとうございます!」
ましてや死んでるのに入社とはどういうことだろうか。生きていたら嬉しい言葉かもしれないが、今言われても困惑である。
「驚かれますよね!ご案内しながらご説明いたします!」
「…あ、はい」
ぽかんと元気すぎる男性を見つめてしまった。
どうぞこちらへ!、とスタスタ歩いて行くので、慌ててついて行く。庭園を抜けると整備された並木道だった。清々しい風が通り抜けていく。
花壇の美しい花を横目に見ながら、もう何も驚かないぞと心を決めて話を聞く。
「平井さんは当社に採用されました!お仕事のご説明は人間界の採用担当のアマツカより聞いてますよね?」
「はい、受電対応部で働いていました…」
「こちらでもまずは同じお仕事になります!教育担当のアマツカよりご説明があると思いますが、平井さんの担当は善幸界と天国界です!よかったですね!」
「え、ゼンコウカイって何ですか…天国界は天国?」
「善幸界は善良な人間のみがたどり着ける世界ですよ。天国界は天国です!死んだすべてのものの中で、赦されたものが行く世界です!」
「へえー…」
「当社ではいろいろな世界と天国界を繋ぐ電話サービスを取り扱っています。平井さんは全世界と繋がれる送受信エキスパート職ですので…」
「送受信エキスパート!?」
「はい!いやぁ、素晴らしいです!善幸界と天国界はとても人気のある担当エリアなので、ご活躍期待してますよ!」
今まで何の取柄もなく誰でもできる仕事を転々としていたので、キラキラした眼差しで期待を向けられるのが少し恥ずかしい。
死んでから期待されるとは。むず痒い感情に、胸をなでる。
ここのアマツカさんは若くて元気だ。どんどん仕事の説明を続けていくが、まずは気になっていることを聞く。
「あ、あの…」
「はい!ご質問があればどうぞ!」
「そもそもここは天国なんでしょうか?私、死んでますよね」
「天国?まさか!」
「え…何の世界なんですか」
「ここは奉仕界ですよ。死後、心を込めて誠実に働く事ができるものが来る場所です!残念ながら天国へはまだ行けません!」
絶句する。
想像を超えられると何も考えられなくなると初めて知った。
奉仕?
誠実に働く?
死んだら天国に行くんじゃないの?
立ち尽くす私に慈悲を込めた優しい目でアマツカさんが見つめてくる。優しい口調に変わる。
「大丈夫です、天国へは行けます。むしろ大いなる母にお近づきになれますよ!真摯にお仕事をし、問題なく昇進していけば、私たちは天使になれるのです!」
「…天使?大いなる母?」
「はい。まずは昇進して、各部署の担当アマツカになって、各世界を担当するアマツカになりましょう!そして上級アマツカになって、そして天使になって天国界へ行き、大天使である大いなる母にお仕えできます!」
「…平社員から管理職に、そして役員にって感じですか」
「よく分かりませんがそうだと思いますよ!」
適当な返事に笑ってしまう。
自分でも驚きだが、この世界を受け入れつつある。
「普通に天国へ行くことはできないんですか?」
「人間は死後すぐに天国へ行けませんよ。一部の人間を除いて。大体は仏になって修行界ですし…それ以外は救いのない修羅の国です。最近は徳を積めずに行けない人も多いんですよ。ましてや天使になれる人間はほぼいません!」
「…この世界で徳を積めば、天使になれるということですか」
「はい!頑張りましょうね!」
大きなお屋敷の前まで来た。
とても会社には見えない。由緒あるお館のような感じだ。
窓から見える人々はアマツカさんと似た、変わった制服を着ている。
「勤務条件は求人通りですので、ご心配なく!」
「え!休みと給与あるんですか!?」
「もちろん!福利厚生も求人通りです!社宅もありますよ!」
天使になれるまで無休のブラック労働が続くと勝手に思い込んでいたが、そういえば正社員の求人だった。しかもかなり良条件の。
この世界の物価がどれくらいか…生活の質にもよる…などと考え始めてしまった。もうここの世界の住人になるしかないのだから。
「でもこの世界は奉仕で成り立っているので、物価もサービスもお支払いは感謝のみですけどね!」
「え…稼ぐ意味ないじゃないですか!」
「お金は別世界から何か買う時ですね。畜生界から愛玩用ペットとか」
他愛もない話をしていると、大きな扉の前に到着した。両開きの重厚なドアだ。ガタン、と大きな音がしてゆっくり開いた。
私はもう、ワクワクしていた。この世界のことが知りたい。
「まずは研修からです!立派な天使を目指して、頑張りましょう」
「はい!頑張ります!」
正社員になれると思ったら即死を食らい、奉仕という名の労働世界に飛ばされたわけだが、なんだか生きてる頃より生きている感じがする。
天使になるぞ!という目標がある。
この世界は誠実な人しかいなくて、すべて奉仕で回っていて、生活も趣味も友人関係も、毎日楽しく穏やかに過ごしている。
心の波風が立たないから、仕事にも余裕ができる。電話を繋げるだけだが、とてもやりがいを感じる。
私は今日も、お客様が大切な誰かを思う気持ちに誠実にお応えする。
プルルルル―――
「はい、こちら天国通話です」
天国にいる大切な人へ、電話を繋げるのだ。それが私の仕事。
2022年7月23日 何も考えず書き始めるの良くない、より。
株式会社天国通話 清河涼|すず姫 @suzu_kiyo
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