ある被験者の記録
志村麦穂
新規録音 #001
『数分後の自分に宛てて、このメッセージを残す。
可能な限り詳細に、かつ手短に述べる。これは現在持ちうる私の唯一の記憶である。
目覚めたとき、私は見知らぬ部屋に寝かされていた。四面を白く、継ぎ目のないタイルに囲まれ、廊下側に大きな窓が、窓の隣には円形のハンドルがついた分厚く厳重な水密扉のような入り口があった。私の身体は歯医者を思わせる手術台の上にあり、床に点々と残る血痕が術後であることを表していた。壁にはデジタルクロックが埋め込まれ、目覚めてすぐに確認した時間は零時五分であった。
白い貫頭衣を着せられた私は、頭髪がなく、左のこめかみから後頭部まで縫合されていた。五体満足であり、頭部以外に身体的異常はない。混乱のためか、前後の記憶はおろか、自身が何者か思い出すことができない。体が男であること以外、私が何者であるか知る手がかりは見当たらない。
零時十五分を回った頃、唐突にアナウンスがあった。私の記憶上、最初で最後の「奴ら」からの接触だ。合成音のアナウンスは恐ろしい現実を告げた。
私はある実験のために囚われたうちのひとり。手術により過去の記憶を失い、また一時間経過すると記憶が白紙に戻る状態であることが明かされた。私のほかにも被験者はおり、生き残ったひとりには人格と記憶が与えられ、解放される。私は悪趣味なゲームに巻き込まれたらしい。
私個人の記憶はない。しかし、物をみて判別でき、表現する語彙が残っていることから、記憶の喪失は知識分野にまで及んでいないものと推測できる。知識の偏りを見極めれば、私の過去を判断する材料にはなるかもしれない。しかし、あまりに悠長で時間がない。
私が部屋から出ず、思案していると、外から悲鳴が響いてきた。生き残りをかけたゲームが開始されたことを示していた。私は状況を打開すべく部屋から出た。通路も白で統一され、同様の部屋が等間隔で配置、通路端には階段もあった。そして、私と同じ境遇の被験者が数人、部屋から出てきていた。
直感的に危機を感じ、逃げ出したはいいものの、どこをみても似た光景と動揺からルートを失念する。偶然飛び込んだ管理室と思しき場所で、このボイスレコーダーを発見する。
現在時刻は零時五十八分になった。これを聞いている私ならば、「奴ら」の言う一時間の記憶制限の真偽を確認できるだろう。
この録音を上手く活用し、生きて脱出してくれることを切に願う』
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