くずざくら

たくひあい

第1話



――ちょうど、その日は月末で、遠くに見える近所のスーパーが、30パーセントoff! といったアドバルーンを出していて、「ポイント何倍より、オフの方が助かるわ」と母さんがよくいっているのをぼんやり思い出しながら自分の住んでいた部屋を出ていきました。



 秋の空は澄んでいて寒い。マフラー越しに冷たい秋の風を感じつつ、手前から柱を数えて五本目までをまっすぐ前に進み、次に電線のある左側の道へ、横断歩道で曲がる……


 ――今住んでいる音色島辺りは港町で、そして電柱が多いのです。

昔は各家庭への電力が安定しなかったんだとかでとにかくよく停電していたのが、関係しているかもしれませんが、とにかく、そんな感じです。


「今日も、いい天気」



 ぼくには、ほとんど家族がわかりません。

父親は死んだと言われてきたし、祖父祖母もいなくて母子家庭として育ってきたつもりで、母も忙しい。だから、いつもひとり。


(201810011228)


 弁当屋があった前を通ると、昔聞いたここに行き倒れていたときの母さんの話を思い出します。

 ここらは北海道ほど寒くはありませんが、中途半端に冷える空気と潮風により、万一しもやけになると、結構長引きます。ただ、それ以外はいいところです。

食べ物屋はあまりないので、メシテロはありませんが……


 それはともかく、最近は、へんなことばかり起きるのです。

そのせいで憂鬱。

昨日もレポートを書こうとパソコンに挿したUSBに「このファイルは、インターネット経由で入手したものであるため」

と出てて……


「あのパソコン、繋いでないのに」


不思議なことがあるものでしたが、ぼくはある理由から、ある意味プライバシーを失っています。


 爽やかな水色をかきわけていく鳥たちが鳴きながら通りすぎるなか、

天国みたいな穏やかな景色。



……を見て普段観光客が感じるような気分と裏腹に、ぼくは、近頃のいろいろからの失意と絶望に涙を堪えました。



 機械って、なんか苦手なのです。


ぼくがいたいけでか弱い女子だったりしたら、頼れそうなひとに「教えて?」と可愛く首をかしげるんだろうか……いや、あまり想像つかない。


けれど、そろそろ泣きたい。

そう思うほどには、最近は、不運がつづいていました。



「やだな……ハァ」


ふらりと歩いていたら、なんだかそのまま道に寝そべりたくなったりしますが、我慢しました。


 今日、遊びにいく予定だった幼馴染みには何も言わずにいるけれど、彼はどうしてるだろう。

彼は彼で自分のペースで居そうだし、まあ、なんとかなる、かな……

 この憂鬱というのも、いつもレポートをそっくりコピーされ、提出出来ないということが何回もあったのです。


 真っ先に浮かんだ名前を思い出してみます。


ええと。太井さん、それから魚川さんに、真紀子さん。

……先輩だしなんか怖い。さらにさすがに複数回にたような訴えをしてればあまり気は進みません。

去年の12月16に日作ってそのまま置いておいた下書きとか、沢山撮った風景写真だけがむなしく飛んでいくようで。



盗難に合っても間に合うように、と用意したのが間違いだったか。


 強めの風が吹きつけ、鞄につけている『ルミナリエちゃん』が微かに揺れてました。

ウエーブする黒髪の、儚い少女は、まるで女神。「同じことをされなきゃわからないんだろうな……」 もし、またなくなったらどうしよう。

ここまでしつこいと、究極奥義に手を出すしかないのかッ。



――いやでも、相手は大したことと思ってなさそうだし、いいのかな……うーん。

 なんだか飲み明かしたいような心境を抱えて近くに座ってベンチで泣いていたときでした。


「大丈夫?」


 誰かの声がかかって、涙が引っ込みます。

見られたなんて恥ずかしい……


「あぁ、うん、平気」


誰でしょう。

目の前に居たのは鍔の広い帽子を被った女の子。可愛らしいレースのあしらわれた服を着ていて、

「これ、あげようか」


そう言って目の前に小さな欠片を差し出してきました。


 淡いピンクの色をした小さな球体のストラップで、それは、とてもきらきらと輝いていました。


「わぁ、綺麗」


目をこすりながら、ははっと笑うと、彼女?も、にこにこ笑った気がします。

帽子でわかんないけれど。

「あげるから、元気出た?」

「うん……」


優しい子なんだなあとぼくは和んでいました。


「究極奥義、つかえる?」

「えっ」


「さっき口に出てたよ」


「あぁ、あー、悪い……忘れてください」



「じゃあ、来てくれる?」

「え?」


その子が何を申し出てるのかわからずぼくは一瞬固まったのですが

(自宅に来て欲しいということなのか?)


ぼんやりしていると、ある方向を指されます。


「あの家の人、風邪引いてるから私はお見舞いに行くんです」


 あの家、そこには、なんの変哲もない一軒の民家がありました。

彼女はごく自然なふうにぼくを誘いました。


「知ってる人?」


「知らない」


知らないの。


「じゃあどうして?」


そして、なぜぼくが呼ばれたのかわかりません。


「心配だから。前に具合悪そうに外を歩いてたし」



「それだけで、風邪だって……というか知らない人が行くのは」


「知ってる、んだけど、ね」


「え?」


 指をさされたその家の屋根の上には、沢山のカラスが止まっていました。



――死を運ぶ


といわれているからか、カラスを沢山見かけるとなんだか悲しい気持ちになります。


そういえば、そんな話を友達が書いて見せてくれてたことがあったな。

ぼくのためだけに。


朝からカラスが飛んでいて、空は灰色で、女の子の前で誰かが……、なんだったっけ。


毎朝のように見かけるカラスが、

家の前に なにか置いてってそれが何かの死体かなにかで……それで、女の子は何かの不吉なものを知る、そんな話。






 残念ながらそれ自体は友人が公開を控えたからもう存在しないんだけれど。


その話をなぜかぼんやりとだけ覚えていました。


「カラスは運ぶっていいます」


「はは……」


含みをもたせるように女の子が淡々と答えたのでぼくは引き返したくなってきていました。


女の子はすたすたと歩いて、普通にそこに向かおうとしたので慌てて止めます。


「なに、してるの?」


「安心して、私は事件は解決しませんし」



何をどこを、安心するんだろう。

 こういう事態は、そうなかったのに、ぼくは不思議と、受け入れていました


些細なことに傷つきすぎて、いつのまにやら慣れてしまい、「全然傷つかないね」と心外なことを言われて、またその言葉で傷つくというそんな毎日。


――――が続いてやけになってたんだと思いますが、酔っぱらったみたいに、なんだかもう思考が働かなかったというのでしょうか。


 まあ、そんなに、悪いことも起きまい、と。

気楽に考えてみて受け入れたのです。


「とりあえず、訪ねるだけですよ」


「いなかったら」


いないでほしい、という気持ちもどこかにありました。


「帰ります」


「居たけど、生きてなかったら」


死んでるかも、とも思いました。


「い、生きてます!」



 そのときのぼくは、何かの漫画の背景が、

またはいくつかのアカウントのプロフィール写真が、昔自分の撮った風景写真に何故かにていたような。



まるで、暗示みたいだった……そんな気持ちでした。



あのUSBは(参考用にだけ)と、違う人の写真も

混ざっていて、自分にだけは作者が違うとわかるようになってるから、心配だな。


なんだか取られている前提で考えてしまう辺りが、普段の不運を物語っていますね。


腹が立つのは自分のものもですが、

自分をなごませるために、自分にだけわかるように入れていた、違う作品まで……と考えるからでしょう。



「あぁ、勝手に持っていった相手が、区別を付けられるわけがないし……」

(道に生えていた美しくて大きい桜の木とか、友達にやってもらった蹴りをいれるような角度のポーズとか、三個もらった赤いリンゴとか、紫陽花が沢山生えた道とか……あぁ)



世界ににたようなものは溢れていますが、もし、それでも、誤解だとはっきり思うきっかけでも欲しい気持ちなのです。



昔から自分の力で得た持ち物ってやつがなぜだかひとつとして、残りません。


 こんなに悲しい気持ちになるなら、いっそ身体をまるごと保護されたいくらいなんですが、自由だけは持ち物と言い聞かせています。


そうしないと、もう、

なにもできなくなりそう……


「きいてる?」



声がして、ぼくははっとしました。女の子がこちらを見上げています。

 とにかく、ぼくも暇でもありましたし……

意を決して、目の前のドアを叩きます。


「チャイムがあるよ」


女の子にドアの真横を指差されます。


「あぁ、本当」

ぼくは慌ててボタンを惜しました。


……誰も出ません。


もしかしたら、

大量の肖像権、著作権侵害を知らずに起こして、ぼくだけで済む問題じゃなくなるかもしれないと思いつつ、勝手になんてことしてくれたんだと怒るシミュレーションをしながら、再びチャイムを鳴らします。


また、出ません。

……まさか、死んでる?

頭に、嫌なことが過ります。

こういうときは、どうすればいいのですっけと、狼狽えていたときに思い出したことがあります。


「究極奥義ッ!」


ぼくはおもむろに携帯電話を取り出すと、この辺に看板を立てる不動産に電話をかけました。

ちなみにこの電話は、奥義でもなんでもないですが。


「かっこいー」


思ってなさそうに、女の子が拍手してくれるなかで、ぼくは繋がった向こうへと事態を説明します。


 しばらく話した結果、「え、旅行かなんかじゃない。忙しいんだよこっちも」


と、クスクス笑いながら応対されてしまって、ぼくは、肩を竦めて女の子に言いました。


「そんな暇はないってさ」

「……そうなんですか」


女の子は納得してなさそうな顔をして、ぼくを見上げます。


「おにいさん、ロボット好きですか?」


「残念ながらぼくは、血が通う生身の生き物が好きなんだ。だからこそ」


「だからこそ?」


言うか迷って、ぽつりと呟く。


「だからこそ、なのに」


ガソリンでも電池でもない、人にも扱えない、魂という何かが不思議で、魅力なのだ。

「機械好きには申し訳ない意見だけれど、



中身は電力かなにかかって、タネがわかっちゃってる気持ちになるから、ロボットはあまりそそられない」





分解しても切り開いてもきっと何をしたって、わからない『命』や『心』。それこそがロマン。


――ぼくにとっては、機械自体はロマンを感じないのです。

それならば、幽霊や人形の方が神秘的で、気になるものでした。


「しかしなんで、そんなことを聞くのですか?」



急に聞かれたので、彼女は好きなのかなとも思います。

 女の子は、地面に立っている小さなロボットのおもちゃを指差しました。それは、ドアのすぐ下あたりの、小さな上がり階段の横に寂しげに置いてあります。


――いい天気だったのもあり、なんだか日陰で涼んでいるようにも見えていました。


(薄くほこりを被っていなければ)


「ここに、男の子は住んでいませんよ」


彼女は急にそんな、暗示するようなことを言いました。


「なんで、そういえるんですか」


「なんとなく。でも男の子の、持ち物」


淡々と、感情をあまり出さない声で彼女は言います。


「そういう趣味の女の子かもしれないよ?」


「私は、違う、と思う」


たどたどしい言葉で、区切りながら女の子はしゃべりました。

「分解したいと思ったこと、ある?」


ぼくは、なにも答えませんでした。

答えちゃいけない質問の気がしたからです。

魂、心、ひとを動かす、動物をうごかす、魅力的なエネルギーの塊……


ごくりと唾を飲み込みながら、ようやく「ありませんよ」と答えました。


「そうですか、でもほら、これは、別のパーツを用いて組み立て直してあります。本来のロボット様では、ない」

……。

ロボットの話だったみたいです。ぼくは少し、なぜか胸をなでおろしました。


「し、真の姿を知っているというのかっ!」


「うん」


女の子は穏やかに頷きます。


「関節の部分のパーツ、わずかに、あまりがある」


近づいて、白いボディの肩の部分を見ると、堅そうな羽が少し歪んでついていました。


「無理矢理、つけたあと」

ここも、ここも、と、隙間がほんの数ミリ甘くなっている部分や、素材がなんとなく違う部分を、女の子は指摘しました。


「大胆で、なんか強そうという感じを細かく押し出している」


ぼくには、違いがよくわかりませんが……

そうなの? と答えておきました。


「こういう繊細な趣味もですが」


と、女の子はまたしてもその家の前を歩きました。横壁の下の方に、石でもぶつけたような跡がいくらかあります。


「それから」


と、指差された壁には、露骨に卑猥な言葉が落書きされている部分がありました。

「女の子は年頃になるにつれて、大抵は、あまりこういうもので喜びません」

帽子をかぶったまま、女の子はぼくの方を向きました。


 確かに、ぼくはそんな言葉を投げて遊ぶ子を、小学校でも少なく、中学、高校となれば、クラスで見たことがありませんでした。



「死に際まで、美しく居たい。そう思ってしまう乙女心」



な、なにか力説されている……

ぼくは、心のなかでとりあえずメモをします。

「好きなひとの目の前で死ぬなら、私は、きれいに死にたい。

まあ、きれいな死なんかないけど」


「えーっと」


コメントに困っていると、女の子は言いました。

「だから、とりあえず生きてる」


「理想の死にかたは?」


何を聞いてるんだと思いながら、ぼくは聞きます。

「腕のなか?」



なぜ疑問系。 二人で民家の前に立っていても仕方なかったけれど、ぼくはふと思い出したことがあって……


 まだ、この冒険に付き合ってみようと思ったのでした。


「おにいさん、優しいんだね」


「そうですか?」


「うん。好きなタイプとかある?」


「心が無い人ですかね」


「それ、人?」


「さぁ。わかんないけど、少なくとも、恋愛でギャアギャア騒ぐ人は無理かもしれません……なんか、怖くて」


「怖い? 私は人間らしいと思う」


ぼくはがたがたと震えました。

「わかった、リアクションされて、またリアクションしなきゃならないから?」


図星です……

ぼくはその鋭さに戦慄しました。


「いちいち怒ったり騒いだり、ついていけないんです」


「闇が深そうだね」


「欠点を指摘されたら喜ぶ人間ばかりじゃなくて逆ギレされるのは文化の違いですね」


「逆ギレされたんだ?」


「怖かった……」


「わかった、おにいさんの性格にはつっこまない」




 コミュニケーションの一種じゃないか、とぼくは不思議に思いました。そして、それを拒絶されちゃったこともあったなぁ。と。


女の子はしばらく、なにか言いたげでしたが、やがて諦めたみたいです。

「ま、ガンバレ」


とだけ応援しました。

その憐れみを含む声はなにに対する応援でしょう?

深く考えないことにします


「ありがとうございます!」

ここだけ台詞を切ると、趣味を疑われそうですが違いますよ。


「きみ、気になるようなら、この家の知り合いを探してみますか?」


ぼくは女の子に聞きました。


女の子はぴたりと足を止め、少し帽子を上にあげて口もとがわかるようにして微笑むと言います。

「たのしい……」


「え、楽しい? そりゃ良かった」


「多雨乃シイ、私。シイちゃんでいい」


「シイちゃん」


「なあに?」


シイちゃんは、帽子のなかから、くす、と笑いました。



「シイちゃんは?」


「え、好きなタイプ? おにいさんに、しとく」


「しとくんだ、ありがとうございます」


「返事は」


「一応聞くんですね、うーん、好きな、人、はまだいませんが、そのうち現れるかもしれません。

シイちゃんもきっとそう、ぼくより素晴らしい人が」


「5点」


「がーん」


憧れの相手ならいる。

血が通ってないにも関わらず、微動だにしないにも関わらず、好きになった相手……


スタイルよく、ガラス越しに立っていて、いつも変わらない微笑みだけを浮かべてる。


逐一、話しかけたりしないし、かといって拒絶もしないからぼくは好きなんですが、誰にも言えません。関係が壊れなくても、周りに理解はされないと思いましたし、成就させる気さえないのです。

 そういえば、あの恋を理解してくれたのは、親友だけでしたっけ……


「おにいさん、どの方向から、行く?」


女の子に聞かれて、はっと我にかえります。


そのかたの家からはさほど異臭は感じられないので、あまり事件と言う感じもなくて、ぼくはどこかぼんやりしてたのを見抜かれたのかもしれません。


「人が居そうな雰囲気な方向を決めましょう」


ここは十字路なので、前と、左、右に住宅が広がっています。

「石けり、を提案」


「異議あり。なにかに当たると危険です」


「有意義ですか」


「いいえ、異なる議です。議については、おうちのひとに聞いてください!」

「いやなら、違う提案してよ」


「ルーレットを提案します」

「どぅるるるるる……っ、そんな仕掛けはない」


ぼくらは、何に時間を使うのでしょうか。


昼間から、いろいろとついていなかったし外に出たけれど、それさえもはやどうでもいいのです。あと、逆ギレするタイプはちょっと無理です。

 真剣な面持ちで、ぼくは人差し指を立てて、言いました。


「では……合間を、とりましょう」


「よかろう」


近くの空き地の砂場に、線をいくらか書いて、それから、方向を書いて分割して作ったルーレット。

そこに、距離をつけた場所からシイちゃんが軽く石を蹴りました。



うなれっ、花こう岩っ!!

ほとばしれ、石灰!


名のもとに集え、長石、石英、雲母……


(適当)



「なにしてんだ?」



後ろから声がかかり、ぼくとシイちゃんはビクッと固まりました。


「絵鈴唯……久しぶり」


「まったく、なぜ僕がこんな茶番に付き合うことになってしまうのかな、理解出来ない」


嫌そうに眉を寄せたエレイは、ぼくを見るなり、帰りたいと言いました。それでも、わざわざ声をかけるなんて優しいなあ。



「息抜きだと思って。にしてもどこ行ってた?」


ぼくがエレイに抱きつこうとすると、エレイはやめろと腕を掴みました。なんか、社交ダンスが始まりそうになってしまいます。


「照れ屋だあぁ」


「絞めるけど、いいかなー」

白い肌、つぶらな紺色の瞳。

常に面倒そうに世界を眺めてる親友は、少し長めの髪をしているんですが、そろそろ切ればいいのに。

中性的な声も、顔立ちも、あいかわらずまるで、人形みたい……考えかけて、慌てて頭を振ったのは内緒。細い腕とは思えない力が、ぼくの腕をぎりりと言わせています……


「離していただけますか」

ふ、と力が抜けてエレイがぼくから手を離しました。


「聞いたぞ、まただってな……お前の歴代ストック、これまであいつらにほとんど奪われたらしいな。

今から課題を手伝だってやれと聞いて、


仕方なく来た上に、またお前を探すはめになった僕の苦労をだ、まず」


「い、今、言う?」


シイちゃんは、二人を交互に見ながらぼんやりしていた。


「わかってるよ……自分のことは」

「最後のチャンスだった、それを、潰されたこともかな?」


絵鈴唯が真面目な顔で言うから、ぼくはまた涙が込み上げました。


「どうせ……もう、治らないって、知ってたし」


すべてが尽きてから何したって、無駄だって知ってるのに。


「知ってても」


絵鈴唯がなぜか、ぼくより悔しそうにするから、いたたまれなくなります。


「お前が死ぬしかなくなったのは、あのせいだろ?

あれさえ無かったら、助かってたのに」


「いいよ、別に、ぼくの話だから」

まだ小さい女の子の前で、死ぬしかないとか、最期とか、聞かせなくていいのに。

絵鈴唯は昔からこういうところがありました。


確かにぼくの身体は、だんだん悪くなっていて、だから、元気なうちにストックを沢山つくっていたのに、これで乗りきれると思ってたら、まるごと全部持ち逃げされて空に。


さらに、その持ち逃げした先輩たちから敵対されているんです。


ぼくの未来をやりなおすほど、身体はもたない。でも、戦うほど身体ももたない。


最後の最後にどうにか逃げ切って出したものは、

権力という驚きの奥義で強制撤去。

驚いたし、もう、頑張れない。終わりは日に日に近づいていました。

 空になっても保つ情熱もなく、体力もないため、周りによくあるように、単にどうにかスパイラルから抜け出すためだけになりました。

さて、そんな話はおいておいて……


「あの家の人、知ってる?」

ぼくは聞きました。


「知らないかな」


絵鈴唯はいつもどおりに言います。


「シイちゃんが言うには、風邪で出られないからお見舞いしたいらしいけど」

「あ、シイちゃん」


絵鈴唯は気がついたようにぼくの足元を見ました。


















それからぼくを見ます。


「ついに、ただの人形では飽きたらないで」


「いやいやいや」


「初恋相手はどうした」


耳もとでこそっと聞かれ、ぼくは「そういうんじゃないから」と強調します。

「生身の人間は、観察対象にはいいと思ってるよ」


「まあ。それも、興味のうちだよね。

……しかし、シイちゃん。

風邪の見舞いというのは、変だな、ここはずいぶん前から空き家だよ?」


絵鈴唯が不思議そうに聞くので、シイちゃんはきょとんとしました。

「でも」


シイちゃんがそれだけ言うと、絵鈴唯はなにか納得したようでした。


「なるほど。事情は、分かったよ」


頷いてから、シイちゃんになにかを確認しました。シイちゃんは頷いて、なにかを答えます。

そして、ぼくを見て言いました。


「行こう」


「どこに」


「課題をしに、かな」


「え、今?」


「だって、こりゃ一度その人物と会った時刻まで、待つしか無さそうかな」



あ。

絵鈴唯がこんな風に言うとき、それは、なにかがわかったときだ。

ぼくは、昔からのことを思って、少しわくわくした気持ちになりました。

 見慣れた海の風景を眺めつつ、ぼくらは自宅へと進みます。シイちゃんもつれてくることになりました。


 庭先には大きな木がありません(よくわからないけど防犯対策らしいです)が、花壇がありました。

よくわからないけど美しい花々が、あちこちで顔を見せています。


 親友と家賃を分けて住んでいる家には、どこかの輸入家具屋さんがなぜかサービスしてくれた、不思議な形の木の椅子がどーんと玄関から入ってすぐの部屋においてあります。


それを見て、シイちゃんは「なんかかっこいー」

と拍手していました。


この辺りは港町なので、海外との交流も盛んなのだといいます。

家具自体を作って売る規模に人口がいないせいで、ネットが無かったらつぶれてしまうのだと、知り合いが言っていて、老舗みたいな○○屋はありません。

その名残がまだ強いので家具や着物は特に専門店がなく……どれだけ、レアなのかよくわかる品でした。


普通は家具も、大抵が近所に僅かにあるお店で購入するといった感じです。


「髪が長いなら、パーマとかあてたら? 似合うかもしれないよ」


「嫌かな」


玄関を開けてすぐの、ぼくの絵鈴唯への提案は、早速崩れました。

「そんなに、気になるかな」

「気になるよ」


 目の前の絵鈴唯は、

地の文では肩までの髪だと思っていたのが表紙じゃなぜか違うとばかりに背中くらいまで伸びてやがるので、この人また部屋で本ばかり読んで散髪行かないんだ……と、思いました。



最近は互いに忙しくてあまりふれあうようなこともありませんでしたし、互いの都合が大変だったので、気にするのを忘れていたなと、ぼくは少し後悔します。

昔は、ぱたぱたと、辿々しい足取りで駆け寄ってくれたものですが……


「髪の長さを短くしたら、きみとキャラが被ることを、意識してみた、かな。だからもう少し伸ばす」


大真面目に絵鈴唯は言います。


「それだけで、被るかっ!」


「おにいさんたち、一緒、付き合ってるの?」


シイちゃんが聞きます。

「腐れ縁、かな」


絵鈴唯がなぜか小バカにしたようにぼくを見て言います。なんですか、その目。


「腐れ縁です、何かと、絵鈴唯とは出会う機会があって」


「……」


絵鈴唯は黙ってシイちゃんを見ました。



 支え合って、互いに強くなって……

という、その為でもあるし、貧しいぼくと、絵鈴唯がここの家賃を折半できる相手を探していた結果……という話でもあります。

 幸運にも愛しき知り合いのような事件には合うこともなく、ただ、たまたまこちらに帰る予定のあった絵鈴唯とぼくは、暮らし始めました。


いなかでよく見かける、ごく普通の一軒屋。

 此処でぼくらはときどきは助け合って生きて来たのです。


「さて、課題をしよう」


 仕切り直すように、絵鈴唯がいいました。


爽やかな白を基調としたダイニングのテーブルには、どん、とノートパソコンが置かれていて、ぼくは少し照れながらも椅子のひとつに座ります。


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 課題の前のウォーミングアップをするぼくを横目に、絵鈴唯は三人ぶんの飲み物をいれていました。


「宿題、難しいね」


「あれは宿題ではない。とあるケーキの情報、かな」

「絵鈴唯」


カタカタ、とキーボードで文字を打っていると、絵鈴唯が一人で大笑いを始めました。


「だ、だっ……ぐふっ、ふははは」


「こんにゃろ」


「悪かった、本物のケーキを出すね」



震えた声でいいながら、絵鈴唯は冷蔵庫へと歩いていきます。

「おにいさんが言った、えれいって、名前?」


シイちゃんが、冷蔵庫のケーキを出すのを手伝いながら絵鈴唯に聞きます。

「それは、明かさないことになってるんだ」


「変なの」


「瑞」


絵鈴唯は、課題のためにパソコンから離れないぼくをじっと見て言いました。


「なにか」


「いや、なんでもない」



なにか言いたそうに、目を逸らされます。


「変なの」

「絵鈴唯はおわったの?」

シイちゃんに聞かれて、絵鈴唯は、改めて穏やかになり、うなずきます。


「僕はね。こいつも本来終わってるんだが、不運な事故のせいで毎度のように提出することになっている」


「うるさいなっ」


「手伝わなくていいのか」

「あいつのようにはなりたくない、から。なるべく、実力でっ……」


ぼくは苦しい思いでそんなことを言います。


「あいつ?」


シイちゃんが絵鈴唯に確認。


あいつというのはな、

「なんか安定してそうだから」「母さんが言うから」

とかの理由で公務員試験を受けてそのための講座で大金を散財したと思えば、諦めて、この時世ネット広告で生きようと、

瑞の、呪いでもかかってるレベルの不運を売り物に収入にしようとする、よく居るおじさんだ。



絵鈴唯がしなくてもいい説明をしました。くっ……



 そうだ、ぼくは、どうにかして不運のループを断ち切る。

何度でも……


なぜなのか、泣きたくなってきました。


「みーず」


ぐに、とほっぺたがつねられます。


「根詰めすぎても、よくないんじゃない、かな」


「うるひゃい……うう」


「たまにはまた、遊びに行くのも悪くないよ?」


ほら、と口にショートケーキのひときれの欠片が差し出されます。

ぱく、っとくわえるとほのかな酸味や甘いバニラの香りやふわふわした食感がぼくの何かを満たしました。


「でも……少し抜けただけで、被害になる」


「うーん」


わーかーほりっく 並みだと、絵鈴唯は嘆きました。ぼくが受けてきたことを知っているからか、とても苦しそうな顔をしました。


「大体ぼくは、負けないために抗おうとしているわけではなくて、再び起こされないためなんだけれど……」


絵鈴唯はそれをちっともわかってくれないのでした。


 こういうときに、実は一番苦しいのは、許してくれと言われることなんです。

一度なにかあったなら、覆りようがないので、受け入れた方が楽だと思うのに、不運に抗うと、自分の善悪までこちらに委ねる人が出るようになります。


そして、それが増えるのが嫌で仕方がない。

だってそれは、本人の問題であって、ぼくは閻魔様になった覚えはありませんし。


(いや。誰も死んでないか……)



「許しというのは、白状の下に、懺悔があって乞うものなんだよ。

忙しいってのに、白状をいちいち聞いてらんないから」


許しだけを乞う人間もいるけど、何を許すのかもわからないからぼくに許す権限どころか、誰も裁くことが出来ない。

案外、自己を憐れんでいるだけなのかもしれませんし。


「まぁ、いいけれど」


絵鈴唯は何か言いたそうにぼくを見て、やがて諦めたようでした。


「少しは休んだ方がいい。夜までは、時間がある」


「え、夜?」


ぼくが固まっていると、絵鈴唯は頷きました。


 ――それは、まだ夜中で、明け方の光景でした。



 辺りで奇怪な声が上がっています。それを聞くとどうしても身体がすくんでしまうのです。


相手は発散が終わるとケロリとしているし普段は穏やかなために誰もぼくを信じないのですが……きっと信じるかどうかではない話なのでしょうね。


少しの間、ぼくはある病を抱えたおじさんと暮らしていました。

よくなることは無く、多動性の症状が頻発していたのですが、なぜか、ぼくの前でだけでした。


 目が覚めるとあの日のようにまだ暗い時間でした。

 頻繁にうなされるようになったのは、いつからなのか定かではありませんが、ずいぶん前からでしょう。



 今は此処に姿のない

『彼』。

よく、ぼくを否定し続けていました。

悪気が無くとも、病気だとしてもその言葉は、ひとつひとつが、断定的で、さらにあまりに過激なのです。


彼が強く話すのは、「自分が見下されたと感じたとき」


 なにかを意地でも馬鹿にしなければならない、とにかく勝たなければならない、と、異様なほどに執着があるようなのです。


人格そのものに影響しそうな言葉や、心や性別を否定する言葉を、ためらいなく勝利のために用いることが出来てしまう。


断定的な言葉は、呪いになり、暗示になり、洗脳にもなりますが……

「死ぬべきだ」とか

「いいや、俺が正しい」

「お前なんて○○なんだ」

という羅列を、いくら病を理由にしようとも、使い続ける人間を目の当たりにすると、


「そんなだから馬鹿にされるんだよ……」と毒づきたくなってしまうのも、仕方ないことと思います。

その頃のぼくはだんだんと耐えられなくなってしまいました。

 どうしても限界で、中学に上がる頃にはそこから飛び出しました。

そうは思えないぼくには、相手を理解出来ないことが、苦痛で仕方なかったのです。




 ……だいぶ気分が治っていたものの、またあんな夢……

やっぱり身体がいうことを聞かずに震えています。

「参ったな……」


起き上がると、絵鈴唯はまだベッドで寝ていました。ぼくは、床に寝ていました。



(勝ちに執着する人は、

散々な負けかたをしてきた人が多い、というのは知人も言っていた言葉だっけ)



食べるために食べるから太る、というやつだ。


欲求を保とうという気持ちのみがあり、もはやそれ自体が目的だから食べる手を止められない結果に太る……太ると思いつつ太っていく……


そういうタイプもあるらしいのです。


「起きた?」


シイちゃんが、絵鈴唯と寝ていたのか、もそりと起きてきてぼくを見ました。


「うん、今は何時かな」

「今は18時」


 昼間だったはずなのに暗くなっていたからなのか、それとも単に感覚がマヒしているのか、思っていたよりも時間はまだあったのだなと思い知りました。


 夕飯をどうするのかも考えねばなりませんが、何にしても頭がぼんやりしています。


 静かな空間の中、窓の外ではおばさんたちが騒がしい声で話をしているのが聞こえていました。

子どものいない女の人は、どこか気持ちが幼い、という内容です。

そうなのかは、ぼくにはわかりかねますが。

 眠い気持ちのまま、ぼくは何を行動すべきかとぼーっとしていました。

「澤越さん? は、何度も子どもが出来なくてね、周りが自分の代わりに母親をしてくれていると思うことが安心なんだって……」


「シイちゃん、聞いてたのですか」


なんだか幼い口から聞くと、妙に生々しい。


「だって、話してたの聞こえたんだよ。

それはそんなに大事なの」

「そう、ですね、そう思う方もいるでしょうし」


 ぼくの初めて好きになった相手は、そもそも生き物じゃなかったからなと、苦笑いしてしまいます。

好きな人、ができたことは無かったのですが……でも、恋に、相手が生きているかなど関係ないと思います。

どうかしたかと聞かれて、少し恥ずかしくなりました。


「……いえ、少し、淡い思い出を」


「好きな人の話?」


シイちゃんは、ぼくが心が無い人がタイプだと言っていたのもあり、変に関心があるのでしょうか。しかし、期待には添えません。


「まあ。永遠に片想いですし、ずいぶん前に、きりをつけましたが」


「えぇ、勿体ない……」



微動だに動きをしない眼球も、

少しざらついた素材で、けれど不思議と清潔で質素な肌も、つるりと固そうな長い指先も……みんな、真剣に好きでした。

人間と違って温かさはない。けど、それは手を繋げばいいだけなんです、温かい。



「おい」


 いつから起きていたのか、絵鈴唯がやってきて、ぼくの頭を片腕で軽くホールドしながら囁きました。

「子どもにあまりあやしい話を聞かせてやらない方がいい……かな」


「あ、あやしいもなにも」

ぼくが狼狽えていると絵鈴唯が遮るような早口で捲し立てます。


「あぁ、そうさ。生きている人間というのは、気分次第で当たり散らすし感情を持て余して事件を起こす。

それを持たない相手ならそんなことも無いだろうし、それに脅かされた生活をしてきたお前が惹かれる気持ちもわかるよ。

さらに、頭の病気だ。

メカニズムも未だ完全に究明しきれてない。


不気味だよな、


生きる人間とは。血が通うということ、思考そのものは」




不気味。

あたたかさも、いちいち動き、しゃべるそのものも不気味で、いつエラーを起こすかわかったものではない。


だから、感情を持つ人間なんて嫌いだと、ぼくは言ったことがありました。

絵鈴唯が、原因不明の病気のおじさんみたいにエラーになってしまったらと思うと悲しくてたまらないのだと。


「彼女はお前じゃないよ」

「わかってる」


「前も言った。

仕組みがわからないなら、二人で解けば良いさ」


そのままぼくを片腕で抱き締めたまま、もう片腕で本棚に手を伸ばします。

そこには脳科学の本や、図鑑がありました。


「調べればいい。ヒトを、お前が怖くならないように」

「やっぱり、おにいさんたち、付き合ってるの?」


シイちゃんが、帽子をかぶったままの状態で、ぼくたちに聞きました。


「そうだ」


絵鈴唯が胡散臭い笑顔で微笑みます。


「なに、適当なことを言ってるんだ」


「いいから、合わせておけ」


こそっと言われて、ぼくはとりあえず頷きました。なんだろう。 絵鈴唯は考えについて特に何か話してくれたりはしません。


しかしそれは、単に、

思考ではなくて純粋な「自分の気持ち」であり、心の領域、プライベートだと思っているからなのです。

ぼくたちは、普段の感情を家、仕事、学校、と心を分けて寛いだり畏まっています。


ですが、絵鈴唯は常に思考モードを固定していて常にその中で風景を見ている……


性格が悪いからああなのではなくて、

プライベートだと考えている部分の違い。


しゃべらないのも、気を緩めている証拠だったりします。

他人を意識して、相づちを打つ作業をしなくても、ぼくはそばにいるでしょうから。


これを理解したのはいつなのか、ぼくは、すっかりなれてしまいました。




「わかった、とりあえず何か食べよう」


ぼくはそう言い、絵鈴唯の腕の中から逃れました。

「冷蔵庫に、なにかある?」

「見なきゃわからないかな」


そりゃ、そうなんですが……

まあいいやと、ぼくは一番上を開けます。

食パンが数切れと、玉子やハムがあるのを見て、サンドイッチとかどうかなと思いました。


「サンドイッチつくったら食べる?」


「食べる。疲れそうだし手伝わないが」


「いいよ、つくんなくても」


絵鈴唯を無愛想とか、しっかりしなさいとか、言うひとはいますが正直なだけの性格が、ぼくはとても気に入っています。

 あまり心から怒る気持ちや、短気を起こしたことはありません。


考えを理解しないうちから、性格を良い悪いと責め立てるのは、単にそっちの性格が悪いのだという、絵鈴唯自身の教えに共感し、守っていました。




 だから。

こういう話でよくあるように「やれやれ」とか、保護者面をしようなんてことは、ぼくはしません。

 考えが理解出来ないだけの相手のことを、なんだか見下しながら付き合っている、その上、

自分に優越感がある……


みたいじゃないでしょうか。

そして誰も相手をしないのだからという、情けをかけた気持ちがある。


そんな関係は、なんだか気持ちが悪い。


絵鈴唯に、

友達のことを見下しながら、自分を高めたいだけのブランド名人間には、付き合ってほしくはないというのも、ぼくの我が儘ではありますが。



とにかく、「あなたとは違う」なんて突き放さずに同じ位置に立つようにするという、

この主張は、曲げたことはないのです。

 夕飯用にサンドイッチを作ってテーブルに並べていると、絵鈴唯がシイちゃんと何やら話をしていました。


シイちゃんはどうやら、ずっと帽子をかぶったままです。


わけがあるのでしょうか。

 他人にとやかくいうのも無駄かもしれないと気にしないようにしていたものの……


やはり、気にはなるというものです。ついでに作ったサラダを置いて、シイちゃんは帽子が落ち着くのですかと聞きました。シイちゃんは、なにも答えません。

絵鈴唯は何をつけようといいじゃないかといいました。


そりゃ、いいのですけれど……

ぼくは考えてみます。

シイちゃんが帽子を脱がないのにわけがあるとしたら、一日中、あれで過ごすわけで。


冒頭の話をしますが、この町の今は秋。

鍔の広い帽子と言えば、夏の日差しのイメージがありました。

確かにまだ、秋になりかけているくらいなので、暑さも日差しも……


と続けたくはありますが、しかし、寒い。

今日はさほど日差しもありません。「さて、いこうか」


 考えていると絵鈴唯が近づいてきました。

ぼくよりも身長が高いので、近づいてくるとなんとなく目立ちます。


「どうかしたか?

台詞との間にモノローグが入るタイミングは、

誰が言ったかわかりやすくするために、なるべく一人、置きにして、

説明をいれているために間がある……というかのような静けさだ」


「いや。そんな説明はいらないけれど」


「こんな風に現場に誰がいるかわかりやすい状況をのぞいて、続けてセリフを入れることはほぼないと思うぞ、たぶん」


「デモ用のゲームか。たぶんかよ」


絵鈴唯の台詞にぼくは苦笑いしました。

「行くって……」


ぼくがぼんやりしてると なぜだか、わっくわくしている絵鈴唯。


「せっかくきみが、サンドイッチを作ってくれたから気が変わったんだよ、現地にいこうかなって」


ぼくはわかったと言いました。

そういうことだったのですね……


「楽しみだなあ」

「食事をするだけじゃないかよ」

「わかってないな、普段しない場所で食べるから良い」


シイちゃんがはしゃいだので、ぼくは自分だけ暗いやつなのかなと思いつつ、絵鈴唯にちっちっと指を振られるのを眺めました。


あぁ、なるほど。

絵鈴唯が言ったのはこういうことですね。

シイちゃんがどのタイミングで会話に加わるのか、一瞬考えてしまった。

それも、和訳的な面白さではありますが。






 ぼくらが付き合っていない、というのには理由がありました。

 二人とも所謂、特殊な好意を持つからなのですが……


それを除いては良い関係なのだと思います。

初恋話をまともに聞いてくれたのも絵鈴唯だけでしたから。


好きになる気持ちに相手は関係ない、なんて言っている人の多くが偽善者だと思うのが、こういうときで……


だから、子どもの頃、ラブソングが大嫌いでした。

結局相手は関係あるんじゃないか?

と、大抵に、言いたくなるから。

 そして……

好きだという気持ちが、苦しいから『伝えてしまえる』相手ばかりだというのは、間違いだ。


対象が死んでいる人だったら。

言葉が通じなかったら。人でさえなかったら。

そんな可能性を、最初から否定しているみたいで、なんとなく不愉快になるのは、ぼくらだけかもしれませんが。


……まあ、けれど、真剣なら、関係ないよねと思います。



一旦シイちゃんを待たせてから、こそこそと会話します。


「しかし、死んでいた場合はやばい、かな」


「ぼくが誰にでも喜ぶと思ったかい?」


「うん」

「絵鈴唯。知っているだろ。ぼくは、好きな相手が好きなだけで、どんな相手でもいいわけじゃない」

「む……」


絵鈴唯は長い髪をさらさらと揺らして首を傾げます。

まんまるの目が、こちらをじいっと見ました。

やがて、「そっか」と短い返事。こういうところだけはやけに素直なのも、絵鈴唯のいいところでした。


「お前が言うなら、僕は否定しないかな」


ぼくの目を見て囁くように話し、やけににっこり笑う姿は、どこか妖艶でもあります。


「……いやぁ、うん。少し、近い」




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