ゴリ・夢☆CHU♡のThat's 短編集

ゴリ・夢☆CHU♡

大怪獣ベガラ

「えー、ベガラというのは、漢字で書くと……」


 年老いた老教授が、ぷるぷると手を震わせながら、黒板にゆっくりと字を認める。


「『』、『』、『』」


 弱々しい手つきの割に妙に迫力のある、達筆な字が僕には少し可笑しかった。


「まあ、コイツは恐ろしげなイメージから連想した当て字。主な文献には『へから』とか『ぺから』とか『へがら』とか、色んな書き方をされておりますな」


 火曜二限、「怪物の文献から読み解く文化人類学」。

 文学部の本田一郎教授が、古い文献の端に伝わる怪物について約九十分、マイペースにふがふがとした吐息を交えて解説する。


「語源は虫のオケラだとか、いや木のコケラじゃないかとか。色んな説がありますが、なんせ情報が少ないので、特に何も分かってないってのが現状ですな」


 このデジタルの時代にも関わらず、パワーポイントもパソコンも使わずに黒板とチョークだけで講義を行うのは、この大学では恐らく本田教授だけだ。


「いくつかの伝承に共通する内容としては、海の中から大きなトカゲが現れて、人間を食べたり、家やら畑やらをめちゃくちゃにしたり、一通り暴れると去っていく。今でいう怪獣のようなもんです」


 そんな訳で、やれ起業だビジネスだと気合いの入った学生たちにはまったくと言っていいほど人気がない。彼らが言うには「こんな講義なんの意味もない」とのことだ。


「だがそうなるとオケラもコケラも説明がつかない。なんせ海から出てくるわけですからね。海の中にオケラもコケラもありませんから」


 でも、僕はこの講義が気に入っている。人が少ないから、講義が始まる何十分も前に来て席を確保する必要がないし、時々興味深い話も聞ける。何かと慌ただしい生活から解放されたような、ゆったりとした気分になれる。


「で、そのベガラ。一つだけ、絵図が残っております。私プリントアウトしてきました。後ろの方、見えますか? 絵の右のところ、海から出てきてるのがベガラ。このティラノサウルスみたいな灰色のやつですね。口元に人間が見えますね。つまりベガラは人間を食べるんですね。で、このベゴラ、左に向かって歩いてるでしょ。で、漁師とかその奥さんとかが必死に逃げてる。この地方の人はこのベガラをとんでもなく怖がってたんですね」


 何より、単位が簡単に取れる。サークルの先輩から聞いていた通り、僕のような程度の低い学生にとっては天国みたいな講義だ。


「じゃあ、今日はここまで。感想、紙に書いて出してくれないと欠席ですよ」


 さて、今日の講義は終わりだ。適当な感想を二行ほど、ルーズリーフに書き殴って教授に手渡す。


「はい、ありがとう」


 教授がにこにこしながら紙を受け取る。一学生の僕にこれだけの笑顔を見せるのだから、きっとお孫さんを相当甘やかしているに違いない。


「ありがとうございました。失礼します」


 僕はそれだけ言って教室を出た。

 さあて、昼は何を食べようか。牛丼かラーメンか。それともたまには奮発してイタリアンでも頂くか……


 そんなことを考えていると、スマホがぶるぶると震えだした。

 開いてみると、ニュースアプリから夥しい量の速報が来ている。


『東京湾に巨大生物出現』


 記事には写真が載っている。

 灰色の体をした、巨大なティラノサウルスのようなトカゲ。


「これ、まさか……」


 僕は出たばかりの教室に急いで戻る。教授は大きなあくびをしながら、のんきに書類を整理していた。


「本田教授!」

「あれ、きみ。ええと、何くんだったかな。忘れ物でもしたの?」

「そうじゃなくて。こ、これ!」


 僕は教授にベガラの写真を突きつける。


「スマートフォンですか。うちの孫なんかずっとスマートフォンでゲームばかりして、娘に怒られてますよ」

「そうじゃなくて、写真、見てください!」


 教授は老眼鏡をかけて、しばらく顔をスマホに近付けたり離したりして、ようやくピントを合わせる。


「これ、ベガラですね」

「東京湾に来たって、ニュースになってます」

「本当にいたんですねえ。長く生きていると色んな発見があるね」


 そう言って教授はけらけらと笑った。


「笑い事じゃないでしょう。教授の話だと、家とかをめちゃくちゃにしていくんですよね。このままじゃ東京がめちゃくちゃに……」

「でも、どうしようもありません。これが本当に文献に伝わるベガラなら、ひたすらに壊した後は去って行く。それを待つしかないわけです」


 僕が何も言えずにいると、教授のポケットに入っていたアンテナ式の携帯電話がピロピロと音を立てる。


「ちょっと失礼しますね。……はい、ああ、これはどうもわざわざ、私にどんなご用件で? いえ、そういうことでしたら申し訳ないが私ではお力になれませんね。はい、失礼」


 通話を切って、教授はふっと溜め息を吐く。


「私もそこそこ文化人類学では有名でして。『あの怪獣について何か知らないか』という電話でした。ナントカ省の誰だかから」

「どうして協力しないんですか? 教授からヒントが貰えれば、政府の人たちも何か対策が見つかるかも」

「いいえ。対策なんて見つかりません。そうですね、今日の講義では省略しましたが、ベガラがなぜ現れるのかについて説明しましょうか」


 ボロボロの合皮の鞄から、くしゃくしゃになったプリントを取り出す。


「文献を書き写したものです。現代語にすると、えー、『ベガラは神さまのお怒りである。人間が増えすぎて、余計な田や畑を作りすぎ、国を食い尽くしそうになると現れて、人と田畑を減らして帰っていく』」

「神さまのお使いだから、どうしようもないって言うんですか?」

「意外かもしれませんが、私は神さまとか超常現象とか、そういうのは信じないのです。すべてにカラクリがある。ベガラも、きっと調べれば仕組みがあるはずです。でも、一つ信じていることはあります」

「なんですか、それは」

「生態系というのはバランスが取れるようにできた、精巧なシステムです。人間は捕食者と被食者の関係を大きく超えて増えていると思われていましたが、実は違う。我々は生態系の頂点ではなく、あのベガラの餌なんです」

「……」

「窮鼠猫を噛むとは言いますが、この勇敢な鼠が猫に噛み付くまでに、何匹もの鼠が犠牲になったはずです。そして噛み付いたあとで、この鼠もきっと食べられてしまったことでしょう」


 教授はプリントを再び鞄にしまう。


「それでは、私は失礼します。孫の顔を見ておきたい。君もおうちに帰りなさい。ほかの先生方も、どのみち講義どころではないでしょう。ご両親にでも会ってくるといい」


 教授はゆっくりと歩きながら教室を出ていった。

 スマホを開くと、ベガラの続報が載っている。


『巨大生物、東京に上陸し臨海副都心を破壊。約一万人が行方不明』

『政府、自衛隊と米軍に出動を要請』

『巨大生物、都心に向けて移動』

『巨大生物が霞ヶ関を破壊。行政機関停止』


 ニュースを読み漁っているうちに、もうしばらくすると、通知も飛んでこなくなり、SNSも動かなくなった。

 きっと報道もインターネット設備もベガラによって壊されてしまったのだろう。


 やがて僕にも、ずしん、ずしん、と、地響きが聞こえてくる。

 ベガラはここにもやってくるらしい。

 教授の言う通り、家に帰っておけばよかった。

 父さんも母さんも、きっと僕を心配していることだろう。

 教授はお孫さんに会えただろうか。

 ベガラはきっと僕の死体を超えて、海を渡り大陸にも乗り込むはずだ。

 もしかしたら、人類すべてを食べてしまうかもしれない。

 ひとつ文句を言うとするなら、ベガラはもっと早く来ても良かった。人間は十分すぎるほど増えてしまっていたはずだ。

 もしかしたら、人間が地球を食い尽くしてしまうギリギリまで、人間が肥え太るのを待っていたのかもしれない。

 だったら、ベガラ。


「お前も人間と同じだよ、ベガラ」

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