第33話 夕陽の中で

 夕陽が支配する町を、リアとフランは大教会へと急ぐ。

 フランの腕の中では、一抱えほどもある紙袋が存在感を放っている。中身は全部スコーンだ。

 そしてリアはというと、子供の顔ほどの大きさがある瓶を持たされている。真っ赤で、ところどころ果肉が見え隠れするのはいちごジャムだ。


 買い出しに行ったのは、大教会にも出入りしている顔なじみのパン屋。フランのために特大ジャムを用意してくれていた。

 店主の男性は気さくで、フランが親しげに話しているのが印象的だった。さらに店主はリアの事をいぶかりもせず会話に混ぜてくれたので好印象だ。次はスコーン以外のパンも買ってみたいとフランに提案しようと心に誓ったのだった。


 今はフランと二人。ラフィリアは塔で留守番をしている。さすがのフランもラフィリアを易々と出歩かせる気は無かったようで、ほっとしている。


「……ねえ、フラン。ラフィリアについてどう思う?」


 ラフィリアを復活させて数日が経った。今のところおかしな行動はしていない。このまま何も無ければ良い、というのは切実な願いだ。しかし、本当に微細な悪意がたまにちらつく時がある。ほんのごく些細で、まばたきの間に消えてしまう不快感。気のせいかとその場はやり過ごすが、積みあがったそれを見過ごすことはできない。

 基本ラフィリアは塔にいるので、復活させてからというもの、フランと込み入った話はできていない。丁度二人きりになれたこの時を逃さないように思い切って口に出してみれば、思ったよりも真面目な顔で返され、茶化されることもなかった。


「何か裏があると思う。まず、クラリスだっけ、モグラにして奇跡の力を発現させた子。あの子はラフィリア様と面識があるだろうね」

「やっぱりフランもそう思うよね。私もそれは感じたの」

「ラフィリア様が目覚めた時、もう親指はいらないと口走っていたからね。……地底で起こっていた、親指を切り取って殺害するっていう事件の犯人は、あの子なんじゃないかな」


 道ですれ違う人は自分の事に精いっぱいで、他人の会話など耳に入っていないとは思うが、フランは声を潜める。しかし調子は雑談をしているような、嫌悪も恐れもない単調なものだ。


「私もフランと同意見。まさかクラリスが沢山の人を殺すなんて、って思うけど、認めざるを得ないというか」


 ラフィリアとクラリスが通じていて、それがリアとフランの計画にどう作用するのかはまだ未知数だ。まったく関係ないかもしれないし、決定的な致命傷になるかもわからない。

 沈みゆく太陽が、大聖堂の先端にその一部を隠される。

 周囲は帰路を急ぐ人が足早に通り過ぎ、もうすぐ夜がやって来ると暗示する。


「そうだ、今回私たちの目的には関係ないかもなんだけど、ラフィリアが不特定多数に力を与えていたわけじゃないらしいの。直接力を授けたのは、好きになった人と、ストーカーの二人なんだって。それでストーカーが人々に広めたらしくって、今の世の中になったと」

「ははっ、何だそれ。しょうもないね」

「私も聞いた時、驚いちゃったよ」


 あまりに間抜けな真実にフランは吹き出し、リアもそれにつられ、久々に笑いが声として出た。ラフィリアという神を理解するには、まだ時間が足りな過ぎる。

 少しずつ大きくなる大教会の影に近づくにつれ、気持ちが重たくなる。塔に戻ればラフィリアの監視だ。仰々しいことをするわけではないが、強大な力を持つ神のすぐそばにいるのは気を遣う。力がすべて戻っていないとはいっても、リアを傷つけるくらい容易いだろう。


「……キミの意見を聞かせて欲しいんだけど、ラフィリア様の力が完全に復活して、本当に僕らが思っている通り人間から奇跡の力を消して、円満な関係で空へ帰っていくと思う?」


 途切れた糸を結び直すように発したのは、どこか自分自身への問いかけのような輪郭のぼやけた言葉。その顔はリアを見ず、迫る大教会に向けられている。


「それは……」


 なんと返すのが正解だろうか。止めてしまった足を動かすタイミングを失い、沈黙がリアを俯かせる。そんなこちらの事情など知らぬ、その他大勢の誰かが作り出す喧騒が、さあっと通り過ぎる。


「正直な話……私は、そんなに上手くいくとは思えない」


 絶対上手くいく、と取りつくろう選択肢は捨て、嘘偽りのない率直な気持ちを町の一部に溶かした。

 フランをおだてる目的で肯定した方が良いのかと逡巡したが、どうにも自分の心に背くのは得意ではないらしい。どう切り替えされるか少しも見逃さないようにリアは地面から顔を上げて、紙袋の横から顔を出すフランをしっかりと捉えた。


「僕もそう思うんだ。ラフィリア様は時折、何かを考えるような仕草をする。それが何を意味するのかは当然、僕の窺い知れる範疇はんちゅうを超してるんだけど」


 ゆっくりと歩みを再開したフランに続く。目を泳がせ、言葉を切りながら先を思案しているフランが珍しくて、リアは急かすことなく次を待つ。いつも自分に絶対的な自信を持っている彼が人の意見を聞くなんて、やはりラフィリアはそれだけ油断できない相手なのだろう。


「このままラフィリア様に力を返すのが最善か、正直迷っているんだ」


 力なく笑う姿からは、いつもの完璧な仮面は完全に取り払われていた。初めて聞く弱音は、太陽が昼間を名残惜しむような強い橙色の光によって曖昧になる。


「……僕はね、料理人になりたかったんだ。でも、大教会に行くしか道が無かった。その悔しさをどうにか昇華しょうかしたくて、光のラフィリアについて研究を始めたんだ」


 遠い昔を懐かしむように、その横顔は目を細める。微かに自嘲じちょうが混じる。


「自分でもそんなちっぽけな理由で、五百年を経て人の生活に根付いた奇跡の力を消してしまおうなんて、どうかしてると思っているんだけどね。もし、ラフィリア様が人間に不利益を被るようなことをくわだてていて、僕の手に負えなかったら、」

「あーもうっ! 湿っぽい! 最近ジャムたっぷりのスコーン食べてなかったから、糖分が不足してそんな弱気になってるの!? 私は力を持たないモグラ、あなたは優秀な地上人。いつあなたに捨てられるか不安だったの! 私には帰れる家も、頼れる人もいないっ! あなたを上手くおだてて気に入られないと、明日には行き場がないってずっと思ってきた! だから弱音を吐きたくっても吐けなかったのに、あなたは自分勝手に後ろ向きになれて本当、恵まれてる……! あーもう何が言いたいか分からなくなってきた!」


 何も考えず、頭に浮かんだ感情を垂れ流すだけ垂れ流して肩で息をする。


「キミ……これまでの僕に対しての態度で、よくそんな物語のヒロインみたいなことが言えるね? 全然辛口だったけど」


 苦笑するフランを直視できない。言われてみれば、遠慮なんてしていなかったかもしれない。


「キミが信じるかどうかは別だけど、一つ言えることとして、僕はキミを見捨てたりしないよ。こう見えて意外と義理堅いんだ。……キミと僕は五百年眠っていたラフィリアの封印を解いた。これは紛れもない事実だ。これから世界がどうなろうと僕たちは共犯者。もう逃れられないね。これからもよろしく、リア」

「望むところよ」


 スコーンの紙袋を片腕で抱え、拳を突き出すフランにリアも固く握った拳をぶつける。

 不敵に笑うフランに負けないよう、リアも精いっぱい余裕の表情で応戦する。

 敵か味方か、ラフィリアの待つ大教会に夕陽は沈んだ。

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