~番外編 国王陛下が愛した流浪の踊り子~
幼き時より両親はいなかった。記憶にある時にはもう、この流浪の民の一員として踊りを叩き込まれていた。
何度泣いただろうか。踊りはあまり上手ではなく、何度も指導を受けては泣いた。繰り返すうちに次第に踊りは身に付き、気が付けば踊りを叩き込む側になっていた。
「珍しいことだね」
ある時、蹲っていると、この流浪の民の占いをする老婆が話しかけてきた。
老婆が話しかけてくるのは珍しかった。そもそもこの流浪の民。踊りを担当する者は踊りを担当する者同士でしか話さない。違う生業を持っている者との交流は薄かった。ただ一緒に行動しているだけと言った風だ。
「今が、珍しい」
「確かにね」
老婆は蹲っている私の隣に腰を下ろした。しわくちゃな手で、今にも折れほうな程細い。顔はフードで良く見えないが、やせ細っているのではないかと思う。
流浪の民は、偽善集団ではない。稼げるものは、きちんと報酬を。稼げないものは、報酬はない。よく踊り子の中で話題に上がる。今が花だ、と。姉さん方は上手に旦那様を見つけては流浪の民を抜けたものと、技能でまだ稼ぐものがいるが、大半は稼げなくなりやせ細っていき、旅についていけなくなり、リタイアするのだ。
リタイアが意味するのは死だ。
老婆は珍しい部類だと思う。
「何か、用?」
そう言うと老婆は箱を出してきて、私に渡した。
「開けてはならぬよ。子が出来た時に開けなさい。それが子を守るであろう」
老婆の言葉に私は首を傾げた。
数日前にある男に求婚された。リタイアするのが嫌で、それを受けようと思っているが、相手の身分が分かり悩んでいた所だったからだ。
「私、誰にも言ってない」
老婆はスッと立ち上がる。
「占いが生業なのだ。お主は奇妙な星を持っておる。数奇な運命だ」
「なにそれ」
「分からなくてよいのだ。時期に分かるものだ」
老婆はそう言うと去って行った。
箱だけ受け取った私は、有難く頂戴し、何となく老婆の言う通り開けないで、男のもとへ行った。
分不相応な場所で暮らすのは窮屈で、その上、男の正妻が懐妊してすぐに私も懐妊したものだから、よく毒物が発見され、この子どもを産んだら、流浪の民へ戻ろうかとすら考えた。
その時に、ふと箱の存在を思い出したのだ。
箱を開けると綺麗なローブが入っていて、すっと手に取ると、私は私の体から抜けた。
自分が倒れて、ローブだけ握りしめている姿を第三者目線で見ていたのだ。
『時が満ちたようだね。お疲れ様』
「あなたは……」
『あの時の老婆だよ。同じように死んだ、ね』
「同じ、ように?」
『ああ。あのローブは不思議な力があってねぇ。お前に渡すまでが、私の寿命だった』
「じゃあ、私は?」
『お腹の子を産むまでが寿命さ』
私は老婆に怒りをぶつけた。
「何故そんなものを渡すの! 私に渡さなければ、あなたも私も生きていたじゃない!」
『馬鹿な質問だよ。決められていたのさ。事実、子どもを孕むまで、ローブに触れもしなかっただろう?』
「だってそう言ったから」
『そう、それがお前の選択さ。だからこういう運命を辿った。私は私で選択し、お前もお前で選択したのさ』
老婆にそう言われ、だが納得はいかなかった。
私は漸く幸せを手に入れるところだったのだ。男と結ばれ、子にも恵まれ、姉さん方みたいにリタイアせずに、笑って人生を謳歌するはずだったのだ。毒物だって子どもが生まれるまでだ。生まれた子には王位継承権とやらを放棄させれば、後は笑って暮らせる、駄目だったら、また流浪の民として踊って、私の子には苦労をさせたくなかった。
「どうして、教えてくれなかったの? 私の子は……どうなるの?」
『お前の子はお前の子で、選択して生きていくだけさ。お前も親がいなくても生きていたじゃないか』
「何度も親がいてくれたらって思ったわ」
『ないものしか見ないねぇ。子を産みたくても産めない女もいれば、芸を教えてもらえる機会もなく死にゆく子どももいる』
「なら! 私には何があったって言うのよ!」
老婆は私を指さした。
『五体満足な体。踊りという芸。夫にも恵まれ、子どもも出来た。流浪の民にしちゃあ上出来さ』
「だからここで死ねっていうの? まだ求めちゃいけないの?」
『いいや。追い求めることは悪くないさ。ゴールを決めたら、そこで終わってしまうからね』
「じゃあ」
『でも、もう死んだんだよ』
私は泣き崩れるしかなかった。
そのまま私は私の体を老婆と共に見守った。
私を助けようとローブに触れた人は死んで、男は必死に私を助けようとしてくれたけど、全部ローブの力の返り討ちにあい、私のお腹だけが膨らみ続けた。
男は何度も私を助けようとしてくれたが、全部だめで、その度に死者も出る事から諦めて、私をある部屋に安置した。あぁ、私はこのまま放置されるのか、そう思った。だが男は毎日欠かさず私のもとへ来た。そして一日の業務報告をしてくるのだ。今日は何処かの国から使者が来たやら、書類が溜まって大変やら、そう言えば生きていた時も、男の愚痴を聞いていた。
『愛されているじゃないか』
老婆にそう言われ、嬉しかった。
男と私の間に愛はあったのだ、そう再認識出来たからだ。本当ならばその愚痴に相槌でも何でもうってやりたかった。叶わない願いとなってしまったが。
「生きている時も、ずっと彼の愚痴を聞いてたの。深くは聞かない。だって彼は立場上、話せない人だから」
『王とは孤独な生き物だからね』
「そんな深く考えてないわ。ただ、私は生まれてから名前もなくて、彼は、名前はあるけれど名前で呼ばれることが少なくて、だからお互い名無しで、単純な会話をしていただけなのよ」
『それがあの王にとって貴重だったのだろうよ。その証拠が今だろう?』
毎日やってくる男に、日々膨らんでいくお腹。
遅いが男の愛をヒシヒシと感じ、そしてタイムリミットが近づいている事を少しずつ悟った。
「あぁああ、私は彼に何もしてあげられなかった……」
もうすぐ私の体は死ぬ、そう悟った時、私は泣き崩れた。
老婆はそんな私を見て少し笑った。
『漸く、他人の事を思いやる気持ちが芽生えたね』
「え……」
『ずっと、自分が、自分が、と言っていたお前が、彼の為に何かしたかったと、初めて自分から離れたのさ』
「意味が分からないわ」
『分からなくてもいいよ。だがやっとお前に託せそうだ。何時になるかは分からない。だがこのローブの想い、お前に託すよ』
老婆はローブの想いを私に語ると消えた。そしてほぼ同時期に私の体は子どもを産み、体は死んでしまったのだろう。ゆっくりと退化していき、それでも男は毎日、私を訪ねた。
私はずっと男の愚痴を聞き続け、ある日、私がまだ意識だけある意味を悟る瞬間が来る。
男と女の人が来たのだ。私はこの為に、ずっといたのだと確信した。
女の人に老婆が託してくれたローブの想いを、老婆が私に託したように託す。これで私は老婆のように消えるのだろう。
だから、最期の私の望み。
「はい。承りました」
「ありがとう……。あなた。私の子は元気?」
女の人にローブの願いを託し、男の方へ話しかける。
「もちろんだ。元気すぎて困ったものよ」
「ふふ。聖女様、あの子も運命の子ね?」
「……はい」
「時間はきたみたいね。ちゃんと伝えられてよかった。ねぇ。あなた。愛しているわ」
生きていた時には言えなかった言葉を吐いて、私は私が消えていくのを感じた。
最期に男の泣き声が聞こえた。
泣きたいのは、私だ。私は、まだ、生きて、男と子どもと生きていたかった。アナタたちを大切にしたかった。死んでから気づいた後悔と、未来を託すことが出来た達成感。
あなたと私の子の未来に幸あらんことを———
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