雪の果て

紫乃森統子

一.不仁

 

 

 白い雪は、村を覆い尽くしてまだ尚降り頻る。

 そこに暮らす人々ごと、消し去ろうとしているかのようだった。

 朽ちゆくばかりの荒屋を圧し潰すほどに重くのし掛かり、厳冬の風は甲高い笛の音が鳴るように容赦なく吹き荒ぶ。

 田畑と道の境はもはや見分けがつかなかった。

 かんじきを付け蓑を纏い、深く笠を被った男は、白装束に斑の髪の老婆を背負い山へ向かって歩く。

 老婆はその老いさらばえた骨と皮に風雪を受けて、落ち窪んだ眼窩の奥にぎょろりと眼で鋭く辺りを覗っていた。

 男も老婆も無言であった。

 背の高い黒々とした杉山さえも塗り潰す吹雪の中を、男は重い足で山の奥深くを目指していく。

 捨て場に着くと、男は背負った老婆を雪の上に降ろし、一頻り拝んでから何かを振り切るように背を向けた。

 老婆は深く積もった雪の上に投げ出されたままで縋るように男の背を見送り、その濁った眼に諦めの色を浮かべた。

 追いすがり、万が一にも村へ降りようものなら、袋叩きに遭うことをこれまでの人生の中で見聞していたからだ。

 姥捨ては藩によって表向き禁じられている。

 だが、すべての村人を養うだけの余裕がこの村には無かった。

 実入りの少ない中からも年貢は容赦なく取り立てられ、まだ若い者の中には欠落していく者も少なくない。農村から逃げ出したところで、まともな暮らしが手に入る保証などどこにもなかった。それでも貧困に喘ぐ村を捨てる選択をするのだ。

 働き手の数が減るほど、村は愈々疲弊した。

 老いて働けなくなった者は口減らしのために山へ捨てられる。仮にそれが露見しても、役人は目を瞑ることが殆どだったが、この貧窮した状況を改善しようと立ち上がるような気骨ある者はなかったのである。

 取り立てるだけ取り立てて、窮状を訴える声には耳も貸さない。上から命ぜられるままに取り立て、その年の分を得られればそれでよいのだ。

 村人は痩せ細り、食うや食わずの暮らしを強いられた。

 村の人口は近年著しく減少し、元は三十戸ほどもあった集落が今では二十戸を切るほどである。

 藩では欠け落ちた農民の立ち帰りを奨励して罰則を一部撤廃するなどの動きを見せてはいたが、根本的な救済策は無く、貧しい農村へ態々帰って来る者などいない。帰るどころか、罰の減免は若者の更なる流出を助長した。

 村の会所の板戸が引かれ、吹き込んだ粉雪が乾いた土間に白い筋を作った。

 雪を被った蓑を外すと、積もった雪が落ちて幾つも小さな山を作る。

 会所の中とは言え、土間もひどく冷え込んでおり、落ちた雪がすぐに溶けることはなかった。

 山村の冬は雪深く、屋根を潰さんばかりに重くのし掛かり、村人は息を潜めてじっと春を待つ。

 冬の間はそれでもまだましだった。少ないながらも、秋に収穫したものがまだ残っている。

 本当に苦しくなるのは夏の頃だ。年貢米を納めた残りで、次の秋までを食い繋がねばならない。

 春も夏も短く、実りも少ないこの土地では、ただでも暮らしは厳しい。その上冷害によって凶作が続き、多くの口を養うことは到底適わなかった。

「弥次郎、戻ったか。決め通りに置いて来ただろうな」

 頬のこけた土色の顔にだらしなく無精髭を生やした年嵩の男が脅し掛けるような口振りで言い、弥次郎と呼ばれた男は声もなく頷く。

 その顔色は血の気が失せたように生気なく、目は虚ろに辺りを漂った。

 歩くことも儘ならぬ老いた母を吹雪の山中に置き去りにしてきたことを気に病んでいるようでもあり、しかし同時に、これで村八分に合わずに済むのだという微かな安堵の色も混じる。

「おめも火さ当たれ。ばあ様には悪いことをしたが、山さへえってもらわねば、村のもんが生きられねぇ」

「………」

 男たちは円座になって小さな火を囲み、黙って俯いた。

 山へ入った者は死者として届けはするものの、厳しく管理されてはおらず、村の世話役や名主も姥捨ての事実を黙認し、人別帳から削除するだけである。

 この地は城下からは遠く離れた北の果で、隣村に代官所があったが、実態になど頓着する様子もなく、詳しく調べが入ることもなかった。

 姥捨てのほか、口減らしの身売り、堕胎や嬰児の間引き。三つや四つの幼子も、喰うに困れば間引かざるを得ない。

 戸数も徐々に減り続け、働き手の数も減少の一途を辿る中、村では老いて働けなくなった者を山に捨てることを互いに取決め、五人組でそれを監視し合っていたのである。

 村には常に暗く淀んだ陰が落ちていた。

 

 

 【二.へ続く】

 

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