第16話 損ばかりの物々交換



「美羽はイヴに会いたくないらしい」


 巫女の言葉にイヴリールの思考は停止し、頭の先から血の気が引く音がした。

 アリウムが必死で呼んでいるがその声も遠くから聞こえるようで現実感が薄い。


 美羽は俺に会いたくない。

 その事実が突き付ける意味は紛れも無く拒否、拒絶だ。


 少し前まではイヴリールと村人との関係を心配し、戻ってくるつもりで「ちょっと行ってくる」と言ったはずの美羽がどうして会いたくないと言うのか。


 理解できない。


 納得できない。


「落ちつていておくれよ。黒竜のイヴ」


 巫女が苦笑して大樹の地面の上まで張り出した根に腰を下ろす。その傍らに立つウィルが少し憐れんだような目をしてイヴリールを見つめている。


「美羽様に与えられし祝福はお前の力に間違いはない。それを受け入れた美羽様の気持ちを疑ってどうする」

「……知らないからだ」


 美羽は何も知らなかった。

 祝福が意味することも、受け入れることも。


 イヴリールは美羽の傍にいた唯一言葉を理解してくれる相手で、何の苦労も無く意思疎通のできる相手だった。


 気安い相手に気を許し、少なからず好意を抱くのは当然の成り行きだ。


 何も分からない異界へと連れて来られた美羽が心細い思いをしていた所に都合よくイヴリールがいただけ。

 その無防備な想いに付け込んで、何も知らない美羽に自分の気持ちを押し付けた。


 卑怯なやり口で。

 祝福が竜族側に損害をもたらすことは何ひとつ無いと嘘までついて。


 ただの自己満足だ。

 その挙句に「会いたくない」と拒絶された。


 自業自得だ。


「複雑な乙女心を分かれとは、雄しかおらぬ竜族には酷かもしれないね。だが」


 ため息を零して巫女はイヴリールを見上げた。

 甘い香りを巻き上げて風が吹き抜け 樹が枝を揺らして涼しげな音を聞かせる。


「あの子はイヴが嫌いだから会いたくないと言っているわけじゃない」

「じゃあどうして」


 腹立ち紛れに言葉を口にすると巫女は柔らかな笑みで応えた。


「少し話をしようじゃないか。イヴ」


 座りなさいと促されて巫女の隣に腰かけるのは失礼かと思い地面に座る。 アリウムもイヴリールに倣って座わりじっと巫女を見上げた。


「私は美羽にこの世界に連れてきた理由と、役目について説明したよ。帰る為の方法がまさか子を成すことだとは思っていなかったようで困惑してね。しかも取り乱した挙句に怒鳴り散らされた。この私がね」


 くくくっと愉快そうに笑い巫女はウィルを見上げる。

 白竜は苦りきった表情で「あれには参りました」と呟くので、いつもの調子で美羽が食ってかかったのだと知った。


 だが同情はしない。


 説明もせずに無理やり連れてきて、帰りたくば次代の巫女を産めと言うのだから怒りを向ける正当な相手ではある。 理不尽さをぶつけられ、責めてられても当然のこと。


「竜族の子を産むことに対する危険と障害を考えれば、美羽には怒る権利がある」


 非難を籠めた言葉と視線を巫女は軽々と受け止めて、イヴリールに反論をする。


「そうだね。こちらの人族は竜族との間に子をもうければ、次は人との子すら産むことは難しい。だが異界はグリュライトと違って文明と技術が進んでいるからね。ここで竜族の子を産んだとしても、あちらに帰ればその世界の男と結婚して子どもを産むことはできる。大した危険と障害にはならぬと思うが」

「大したことじゃないだと?」


 本気で思っているのだとしたら竜の巫女とはどれだけ冷徹で、残酷な考え方をしているのだろうか。


「異界の女しか巫女を産めないのだから仕方が無い」

「そんなことで片づけられたら美羽の気持ちはどうなる!」

「それではお前は巫女などいらぬと?」


 腹が冷えるような声で巫女が真意を問う。


 イヴリールには巫女の存在意義を知る機会がなかったので危うく頷きかけたが、アリウムが腕を引いて止め「巫女がいなくては竜族が滅びてしまいます」と代わりに答えた。


「グリュライトと里を繋ぐ接点を維持してくださっているのは巫女様です。それは接点の無い場所でも超えて行ける巫女の能力の恩恵を受けてのこと。巫女がいなければ竜族は里から出られず、伴侶も得られぬまま滅びるのみ」


 里で育たなかったイヴリールの為にアリウムが巫女に訴えながら説明する。巫女はひとつ頷いて「分かったかな?」と確認してくるので渋々頷く。


「美羽が一番気にしていたのはグリュライトと故郷の時間の流れについてだったよ」


 うらしまたろうの話から時間の流れに違いがあるかもしれないと青ざめた美羽の顔を思い出す。

 いっそのことお伽噺と同じように数年で数百の時が過ぎると言われれば、美羽も元の世界に戻りたいと言わなくなるのではないかと自分の暗く嫌な部分が期待していた。


 だがそれを願うのはあまりにも汚く、卑しいことだ。

 分かっていても美羽を帰したくないと叫ぶ心がその想いを打ち消せない。


「私の母の世界は逆にこちらよりも流れが遅かったらしくてね。こちらでの二年間が向こうでは数日だったらしい」


 では美羽の世界とこちらの差は?


 切実な想いを込めた視線を受けて巫女が目元に皺を刻んで微笑んだ。


「ここより早い。ここでの一日が向こうでは二日に相当する」

「一月前に来たから美羽の世界では二月経っていると?」

「いや。こちらでは週は六日で一月は四十八日、一年は二百八十八日だが、あちらの週は七日で一月は約三十日前後、一年は三百六十五日だ」

「あちらでは九十六日ほど経過しているので、三月を超えている」


 ウィルの返答にくらりとした。


 三月も行方が分からないまま、美羽の家族は無事を祈りながら不安な日々を送っているのか。


 微妙な時差が逆に生々しくて吐き気がした。


「美羽が最短で帰れるとしたら」


 どれぐらい向こうでは時間が経ってしまうのか。

 元々計算は得意ではない上に考えたくなくてイヴリールは固く目を閉じて俯いた。


「美羽の身体が今妊娠しやすい状況にあると仮定してこちらでの一年二百八十八日は向こうでの一年と七月程。出産後すぐには難しかろうから一年と八月くらいか」

「さほどの問題はないかと」


 巫女の言にウィルが笑顔で大した問題ではないと結論付ける。


 だがそれは竜族側から見た一方的な見解であることには違いない。

 美羽は理不尽に連れて来られ、否応も無く月日を奪われるのだ。


 そして出産という身体への負担が強いことを強いられる。

 それを平気な顔で強制する巫女と白竜が恐ろしい。


 いや、白竜だけでなく竜族という種に対する嫌悪感がイヴリールを揺さぶった。


「美羽は仕事を無くし、家族にも会えず、帰るためには出産が条件って。奪われるばかりで美羽にはなにひとつ良いことないだろっ」


 物々交換だとどちらかが酷く損するんじゃないかと懸念した美羽の言葉が頭に浮かんで青ざめる。


 何を根拠に巫女が選んだのか知らないが、連れて来られた美羽はその身ひとつしか持っていない。


 帰る為の方法と引き換えられる物はその身を使った出産でしかないとは。

 足元を見られた損ばかりのとんでもない取引。


「次代の巫女を産む栄誉を与えられた美羽様には本来ならば伴侶となった竜族が与える祝福が贈り物となるのだが。それはもうイヴ、お前が与えてしまったから」


 竜族の祝福を授けられる人族の方も一生に一度だけ。

 その身に別の竜族の祝福を受け入れることはできない。


 安易に与えたイヴリールの微力な祝福の所為で、美羽は受け取るはずだった報酬と恩恵を手に入れそこなった。


「俺の、せいか?」

「そうとは言っておらん」


 知らされる真実はあまりにも辛く、イヴリールの浅はかな考えや行動を反省しても時すでに遅い。


 取り返しのつかない過ちを悔いても今更どうにもならないのだ。


「美羽は満足していた。あれはそういう女だ。だから私はあの子を選んだのだしね」


 ささやかな望みで満足するから扱いやすいと思われたのか。


 愕然とするイヴリールに巫女が苦笑いして「慎ましやかな、心根の正しい女だと思ったよ。優しくて、思いやりのある子だ」と美羽を語る。


「私の母はね。産んだ後役目は済んだとばかりに振り返りもせずに自分の世界へと帰って行った。そのことが寂しくてね。次の巫女の母親にはこちらで成長を見守ってもらいたいと思っていたんだよ。だから産んでくれる異界の女選びは慎重にしたつもりだ」


 巫女の茶色の瞳は真ん中部分が紺色で引き込まれるような色をしていた。

 キラキラと輝く明るい瞳はどこか美羽と似ている。


「あの子を元の世界に帰りたくないと思わせてくれる竜族なら誰でも構わないと思っている。イヴは美羽をこの世界に住みたいと言わせられるかな?」

「できるよ!イヴ兄ちゃんなら」


 可愛らしい声でアリウムは言い切り、更に「ね?」と同意を求めてくるので躊躇いながらも頷いた。


 美羽を帰したくないのはイヴリールの想いと同じである。


 帰りたいと願う美羽にここにいて欲しいと頼むのは酷かもしれないが、自分の気持ちを抑えることはもうできない。


「さてと。美羽がイヴに会いたくないというのは問題ではないが、黒竜の候補が二体というのは大問題でね」


 やれやれと巫女が首を左右に振り、白竜が難しい顔でイヴリールを眺める。

 神妙に巫女の言葉を待っていると老女は立ち上がり「仕方が無いね」とウィルの耳に何事か囁いた。白竜が小さく頷き無駄の無い動きで廊下の方へと去って行く。


「私も荒っぽいのが好きなのは竜族の性だね。好きな女は戦って勝ち取りなさい。黒竜の里の代表リーガースと争いその権利を得るが良い」


 竜の巫女が手招いて大樹の後ろへと回り込む。

 その向こうに両開きの扉があり、迷うことなくそちらへと導かれる。


 巫女の手が扉に触れるだけでゆっくりと開いていく扉の向こうには赤い砂と岩がごろごろと転がる大地が広がる場所だった。


「赤竜の土地の一部をしばし借りるとするかね。ウィルがリーを連れてくるだろう。少し待て」


 戦い方など知らぬが、無様だろうが必死でくらいついて相手を倒さなければならない。緊張しているイヴリールをアリウムが笑顔で「大丈夫。兄ちゃんならやれるから」と励ましてくれた。


 強張ったままの顔をなんとか頷かせ、呼吸するたび喉の奥すら熱くする空気にじっとりと汗ばんでくるのを感じる。


「連れてまいりました」


 ウィルが現れ、その後ろから着いてきた黒髪の優男が黒竜のリーガースなのだろう。腰まである長い髪を緩く三つ編みにして背中に垂らし、優しげな目元と柔らかな面差しはアリウムが言うように女が好みそうな外見をしている。


 線も細く痩せているが竜族は外見だけで判断する事が出来無い。


 候補者に選ばれたということはそれなりに高い能力を持っているだろう。


「アム?」


 不思議そうにリーガースがアリウムに気付いて首を傾げる。候補者に挑戦する竜族の傍に黒竜の銀竜がいるのに驚いているようだ。


「リー、俺の兄ちゃんなんだ」


 少し申し訳なさそうに応えたアリウムを見て困ったように微笑み「そうか」と理解する。


「ウィンさんの外に出た息子さんか」

「イヴリールだ。父と弟が世話になってる」

「リーガースだよ。ウィンさんには逆にこっちがお世話になってるぐらいだから」


 耳の後ろを掻いてリーガースが恐縮するので、人当たりも感じも良い男とこれから戦わねばならないのかと思うと複雑だ。


「あのさー。無理なお願いかもしれないけど、イヴ兄ちゃんに候補者を譲ってもらえないかな?」

「譲る?」


 両手を合わせてアリウムは駄目元で頼み込む。

 さすがにリーガースも面食らったが、すぐに微笑みを消し「それは無理だよ」と思いがけないほど強い口調で拒否した。


 そしてイヴリールを軽く睨む。


「何もせず手に入れようなんて虫が良すぎるとは思わないか?」

「無駄な戦いを避けようとしただけで、必要なら戦って奪うさ」


 リーガースが唇を左右に持ち上げて笑い「竜族らしい方法だ」と頷いて腰を落として身構える。


 イヴリールはアリウムを下がらせて半身で構えると息をゆっくりと吸った。

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