第1話 面倒事は奇妙な格好をして現れる


「大変!大変よ!一大事!今すぐ家まで来て!イヴっ」


 大声で喚きながら木々の間を走ってくる幼馴染の姿を確認してイヴリールはため息を吐いた。

 家の前で薪を割っていた手を止めて村のある方から駆けてくるローラを待つ。


 赤毛の髪を覆っている緑のスカーフが風で飛ばされそうになるのを両手で押えながらもそのまま駆け抜けてきたローラは乱れた息を整えるのにしばらくかかりそうだ。


 薪割り用の小振りの斧を土台の切株に打ち付け固定し、割り終えていた薪を十個程に集めて麻紐で結んでいると視線を感じて顔を上げる。


「ちょ、なに、してんの、よ!」

「なにって俺はお前と違って忙しいんだ」


 無視されているのが気に入らないのか大きく息を吸い込むと背筋を伸ばして指をイヴリールの鼻先に突き付けてきた。


 「のん気に薪割りなんてしてんじゃないわよ!大変って言ったら大変なの!さっさと来なさい!」


 言い終えるが早いかローラが腕にしがみ付き、ぐいぐいと引っ張ってくるが幼馴染の「大変」が実際に大変だったことなど一度も無いのは経験上よく理解している。


 イヴリールの左腕に恥じらいも無く胸を当て、強い光を宿す青い瞳で睨み上げている幼馴染を力加減に注意して振り解く。


「お前の“大変”に付き合って俺がどれだけ迷惑したと思ってんだよ。退屈しのぎで相手を探してんのなら他を当たってくれ」

「ちょっ!どういう意味!確かにイヴの所に大変だって駆け込んだことは何度もあるけど、そんなに迷惑かけた!?可愛い幼馴染が困ってるのに助けないなんて男失格だわ!?」

「は。可愛いかは別にして」


 都合の悪い事はすぐ忘れるローラを半眼で眺めると「なによ!可愛いでしょ」と膨れっ面で堂々と言い放つ。


 確かに容姿は悪くは無い。


 しかもローラは村で一番権力を持っている村長の娘だ。


 同じ年頃の男達はちやほやとしては気を惹こうと躍起になっているが、幼い頃から彼女の気紛れにつき合わされてきたイブリールはできれば近づきたくない相手だった。


「もうお互い子どもじゃないんだ。俺なんかを遊び相手に選ばなくても他に男はいくらでもいるだろ」

「そっ、そりゃあ可愛い私に言い寄ってくる男は沢山いるけど……イヴみたいにはっきり言いたい事言ってくれる男はいないから」


 そりゃそうだろうと鼻で笑うとローラはむっとした顔で見上げてくる。


「確かに村を支える村長の娘にはっきり文句言えんのは俺ぐらいだろうな」


 イヴリールの母親タバサとローラの母クララはまるで姉妹のように仲が良い馴染だった。

 タバサが竜族であるウィンロウと出会い、このセロ村を出る時もクララがついて行くと泣き叫んだくらいに。


 だから父親が他の女とできていて子どもまで作っていたって分かった十三年前にタバサは迷わず故郷へと戻ることを決めた。


 村長と結婚していたクララはタバサとの再会を喜び、自分の娘のローラをよろしくねとイヴリールへと引き合わせて。


 仲良くなりたいと思う前に幼馴染決定。


 女の子と遊ぶより年の近い男の子と遊びたかったのに、ローラは何故かイヴリールにつきまとい強引に遊びに誘ってくる。


 嫌がっても、隠れても、逃げても粘り強く食らいついてくるので最後は諦めるしかなかった。


 男の子はローラの後ろを従わされて歩くイヴリールを同情と少しの嫉妬で遠巻きに眺め、話すことさえできなかった悲しい幼少期を思いだしてがっくりと項垂れる。


 ローラが女の子が好む遊びを全くしなかったのが唯一の救いではあったが。


「ちょっと、ちょっと。なに落ち込んでんのよ!今度こそ大変だって言ったら大変なの!お父さんが急いでイヴを呼んできなさいって。あんたのその今は役立たずの能力が必要なんだから!」

「は?バダム小父さんが?」


 娘がイヴリールに近づくのを村長のバダムが快く思っていないのは、声変りがすんだ頃になってようやく気付いた。


 流石に年頃の娘が自分のような男に近づくのを喜ぶ親はいない。

 ローラの母クララ以外は。


「グリッドが薬草を摘みに森に行った時に妙な人間を拾ってきて。言葉が通じないし、とにかく見たことも無い格好だわで、もう村中大騒ぎなんだから!」

「言葉が通じない?」


 なるほど。

 それで俺か。


「なによ?私の言ってること聞いてなかったわけ?言ったでしょ!あんたの役立たずの能力が必要だって」

「役立たずって、まあいい。バダム小父さんには世話になってるし」


 大騒ぎになっているってことなら急いでいかなくちゃいけない。

 父親の功績をわがことのように得意げに鼻を上向かせているローラは放っておいて村へと向かう。


「そうそう。恩返しのつもりで――って!なんで先に行く訳っ!?置いてかないでよ!」

「お前は母さんに伝えてくれ。俺がなにも言わずに勝手に出たら心配する」

「ええっ!?」

「頼んだからな!」


 タバサはイヴリールが行く先も用件も告げずに出かける事を嫌っていた。

 恐れているとも言える。


 今は母親を一人置いて何処にも行くつもりも無いのだが、いくらイヴリールが訴えても信用してくれない。


 それはイヴリールが人族ではなく竜族だから仕方がないのだが。


 村へと続く道を風を切って走るとあっという間に小屋が集まって作る集落が見えてくる。


 つらい思いをして故郷に戻った母へ村長は村の中に住まわせることはできないと言い渡した理由も竜族が原因だ。


 竜族は雄しか生まれない。


 子孫を残すためには竜の国から出て人族から嫁にきてもらう必要がある。

 それだけならなんの障害もないように聞こえるだろう。


 竜族の住む国は人族が住むグリュライトとは別の世界にある。

 その境を越えられるのは竜族だけ。


 嫁いでしまえば故郷に戻ることもできず、親しい人とも永遠に会えなくなる。


 イヴリールは竜族だ。

 人族の世界で暮らしていても、そこは変えられない。


 人族から見れば大切な娘を遠くへと攫って行ってしまう歓迎できない存在。


 イヴリールを連れていなければタバサは両親が残した家に住むことができたのに、母は両親が残した家を村外れの森の中にある猟師小屋と交換してそこに住みついた。


 もちろん村に住む事を拒否されたからと言って村の出入りまで禁じられたわけでは無いが、用事がある時だけの出入りしかしないイヴリールの力が必要とは余程のことらしい。


 村長の家は村の一番奥にあり、他の小屋よりも大きい。

 今はその玄関口には人だかりができていて、ちょっとした騒ぎになっていた。


「ちょっと、すみません。バダム小父さんに呼ばれて来たんだけど」

「ああ!イヴ。やっと来てくれた。待ってたんだよ」


 人を掻き分けて前に出ると玄関に立っていたグリッドがイヴリールを見てくしゃりと笑った。


 そして手を伸ばして腕を掴むと中へと誘う。


 第一発見者のグリッドは薬草師の父の跡を継ぐために毎日勉強と森での薬草集めを日課にしている。

 村にいる同じ年頃の男の中で何の蟠りも、損得も無く接してくれるのはグリッドだけだ。


 友人と気負いなく呼べるのは彼だけ。


「厄介なもん拾ったんだって?」

「いや~。初め見た時は幽鬼かなにかかなと思ったほどぼーっとしてて。見たことない格好だし、男だと思って近づいたらその……胸が」

「胸?」

「うわわっ。見たら分かるから、そこは追及しないで!」


 耳まで真っ赤になり焦ってグリッドは首を振る。

 男だと思ったという事は騒動の渦中にいる相手は女なのだろうか。


 見たら分かるとは一体どういうことだ。


「とにかく言葉は通じないし、あの人はおれ達の知ってる所とは全く違う習慣のある遠い所から来たんだと思う。眉を寄せて顔を近づける挨拶なんておれ知らないし、聞いたことも無いからさ」

「顔を近づける挨拶って、どんな?」

「えっと」


 実際にやってみるよと続けグリッドがイヴリールの前に立つと眉を寄せて下からぐいっと顔を近づけてきた。


 鼻と鼻が擦れ合う距離で瞳を覗き込んでくるが、遠くから見たら口づけでもしているかのように見えるだろう。

 男同士で気色が悪いが、これを男女間でも挨拶として行うのならばかなり大胆というか恥知らずというか。


「成程。確かに遠い所から来たんだろうな」


 グリッドの肩を押して廊下を進むと来客を迎える村長の部屋の前に立つ。


 その扉の向こうから困惑しているバダムの声と、女の物と思える少し上滑りしている声が聞こえた。


 開ける前から面倒そうだなと落ち込むが、バダムに呼ばれてここまで来ておいて逃げ帰るなど許されない。


 意を決して扉を開けると中央に向かい合わせに置かれた椅子には座らずに、立ったままで会話をしているバダムと髪の短い黒髪の女――だと思う――が見えた。

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