第一話 いつものこと

 夜、いくつものランプが天井から吊り下げられて、宿の一階にある酒場は昼間のように明るかった。その明るさのもとで、大勢の喋る声、笑い声、怒声、罵声などが混じって酒場を覆い尽くしている。


 酒場で騒いでいるのは、近所の常連と思われる男達がほとんどだが、宿の客も中にはある。


 そんな中に、宿の客である陸王りくおう雷韋らいの姿もあった。


 夕刻前に街に入って宿を見つけて部屋を取り、雷韋に誘われる形で陸王も一緒に降りてきていた。そして陸王はいつも思うことだが、雷韋の食事は酷く時間がかかる。


 原因は単純明快。

 雷韋の食べる量が多いからだ。


 街や村などの食堂兼酒場に着けば、雷韋は必ず二、三人前の食事を摂る。いや、時にはもっと多いかも知れない。だから食べるのに時間がかかるのだ。保存食ですますときにはそれほど食べないというのに。しかも食べるときにもべらべら喋りまくるから、尚、食事が終わるのが遅くなる。


 いつも陸王はさっさと食事を終えて雷韋の食事が終わるのを待っているが、毎度のことながらだが、いつかこれに慣れるのか? と心の中で思いつつ、陸王はヌガーを囓っている雷韋を眺めていた。


 食後には必ず雷韋はこれを食べる。


 本人曰く、甘いものが好きらしい。甘い果物も好きだと言うことだ。


 陸王はヌガーを旨そうに囓っている雷韋を眺めて、ワインを舐めるように飲んでいた。既に陸王はワインに飽きている。雷韋が食べ続けている間に三杯も飲んだのだから、飽きて当然だろう。


 それに、魔族は毒に耐性がある。酒精を体が毒物として認識する為に、酒を飲んでも大して酔うことはなかった。それもつまらないものだ。人のように酔えればまだましだったのだが。


 いくら飲んでも回らない酒に飽きて、ヌガーを囓っているときだけは大人しくなる雷韋に言葉をかける。



「俺はそろそろいいだろう? お前はゆっくり菓子を食ってろ」

「え~? 折角二人で食べに来たんだから、最後まで付き合えよ~。これが最後の一枚なんだからさぁ」



 雷韋は面白くなげに言って、皿から取り上げたヌガーの欠片をひらひらと振ってみせる。



「俺はもう酒にも飽きた。待ち疲れてもいる。部屋に戻りてぇんだ」

「なんだよ、酔っ払ったか?」

「酔うか。いくら飲んでも、これまで二日酔いになったことすらねぇ」



 つっけんどんに返す。

 雷韋はそんな陸王を不思議そうに見た。



「ふぅ~ん。俺なんて酒を一口でも飲んだらそのまま倒れちまうのに」

「あ? なんだそりゃ」



 怪訝そうな声音で返してくる。だから雷韋も言った。



「酒は俺にとって毒と一緒なんだよ。身体がそう勝手に判断するんだ。俺のせいじゃないよ」

「単にお子様だからじゃねぇのか?」

「違うってば! 薬だって人間の半分程度の量しか受け付けないんだ。人間と同じ分量取ったら、中毒を起こすんだからさぁ。それでガキの頃、死にかけたことだってあるんだぞ」



 些かむきになって言う。それをようやく信じたのか、



「面倒臭ぇ種族だな」



 陸王は半ば呆れたような目で雷韋を見た。



「なんだよ。所詮、薬草なんて使い方によっちゃ毒草にもなるんだ。俺にはその効果が現れやすいってだけさ」

「分かった、分かった。だからさっさとその菓子食っちまえ」

「ん~」



 不満ありげにしながらも、雷韋は言われるままにヌガーを囓った。ヌガーは雷韋の口元で、めりっと言う半ば柔らかい音を立てて割れると、欠片は雷韋の口の中に消えていった。少しの間、ヌガーを口の中で溶かしていたようだが、途中から水飴の中に練り込まれたナッツや胡桃などを囓る音に変わっていく。


 本当に、ヌガーを囓るときだけは静かになるから不思議だ。食事中はうるさいくらいなのに。それも食べ物を口に入れたまま喋るから、口からものが飛び散る。汚いからやめろと言っても聞かないのだ。なのに、ヌガーを食べているときだけはこうして静かだ。



「雷韋」

「ん?」



 雷韋は新たにヌガーを囓って、水飴を口中で溶かしつつ返事を返した。きょとんとした目が陸王を見る。



「お前、なんでその菓子を食うときだけ静かになるんだ」

「んん~」



 呻きに似た声を上げ、必死に溶けた水飴を飲み下す。


 そうして粗方飴を飲み込んだのか、雷韋はやっと口を開いた。



「水飴がにちゃにちゃして喋りづらいからだよ。でも喋れってんなら喋るけど」

「そうか。いや、いい。喋らんでもいいぞ」



 陸王は、雷韋が喋った途端に口から卓の上に飛び散ったナッツ類の欠片を見て渋面じゅうめんを作る。



「なんだよ。聞いてきたのあんたの方だろ?」

「聞いた俺が馬鹿だったよ。口からものを飛び散らかすから、これからも食ってるときは何も話すな」

「じゃあ、食ってるときは無言?」

「そうだ」

「そんなのつまんねぇじゃん。折角二人で食ってるのにさぁ」



 ねた声で文句を言うが、陸王はさほど相手にしていなかった。



「分かったから、さっさと食っちまえ。俺は早く部屋に戻りてぇんだ」



 大して感情がこもっていない言葉を受けて、雷韋はむっとした顔をしたが、それ以上は何も言わずに残ったヌガーを無理矢理口に入れた。


 それを見て、陸王は杯に残ったワインを一気に飲み干すと席を立った。そして卓にもたせてあった吉宗よしむねを手に取り、腰に差す。



「よし。部屋に戻るぞ」



 と、そう言われても、雷韋は口の中がいっぱいで返事すら出来なかったが。それでも席を立って、陸王のあとについて二階へと向かった。


 階段を上がると、通路を挟むようにして左右に扉が並んでいる。


 その中の一室の前で陸王は立ち止まった。ズボンのポケットから鍵を取り出そうとして、ふと気付く。


 雷韋の足もその場で止まっているのだ。雷韋の部屋は一つ向こうなのに。



「なんだ、お前。お前の部屋は隣だろう」

「んー、ん!」



 そう呻くのに合わせて雷韋は自分を指で示し、それから陸王の部屋を示した。


 どうやら部屋へ通せと言うことらしい。

 それに気付いた陸王が、改めて渋面を作る。



「自分の部屋に帰れ。俺はこれからすることがあるんだ。お前に構ってられん」



 言い放って、素早く鍵を開けると、さっさと中に入ってしまった。雷韋の付け入る隙もないまま。


 そうして雷韋だけが廊下に残されたが、無情なことに、中から鍵をかける音が聞こえてきた。


 その音を聞いて、流石に雷韋も本気でむっとした。

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