318話 捨て身
死ね。消えろ。映像から響く罵詈雑言にはあらん限りの悪意と憎悪が乗る。負の感情の連鎖は、さながら呪いか、あるいは呪言。無数の夥しい悪意は意志を挫き、闇の底へと突き落さんと伊佐凪竜一を責め立てる。が、それでも尚、折れない。通常ならば折れる程の悪意をぶつけられても、その目から闘志の火は消えず。
「そうだよなぁ、諦めないよなァ、そうでなきゃあなぁ!!」
奸計は失敗に終わった。巨大な人型兵器程度では山県大地と伊佐凪竜一との間に横たわる圧倒的な差など埋められる訳が無い。そもそも、彼とルミナの実力は異次元レベルで、真面にかち合えばアイアースやオレステスとて勝利する事など不可能。
だから英雄を反逆者に仕立て上げ、更に情報操作までして民意を失墜させた。意志の強弱は時に力の差を覆し、生死と勝利を分かつ重要な要素となる必定を利用した。だというのに男は歓喜に震える。呪詛の如き声を跳ねのけ、それでも前を向く伊佐凪竜一を称賛するのは敵対する山県大地という皮肉。
「戦う価値なんて、無いッ!!」
改式が石畳を踏みしめ、突撃する。心は折れずとも、散らす程度は出来た。伊佐凪竜一はほんの僅か、集中力を乱す。その僅かな隙に、改式の巨大な拳が唸りを上げた。
大きな衝撃。一度、二度。続けてガラガラと何かが崩れる音。紙切れの様に吹き飛ばされた伊佐凪竜一は、大聖堂から道を隔てた先に立つ料理店の壁に叩きつけられた。
店の中から湯気と熱気が吹き上がり、幾つもの皿が割れる音が重なる。間髪入れず、店目掛け巨大な光弾が放たれた。刹那、入れ違いに伊佐凪竜一は湯気を纏いながら店から飛び出す。背後で、店が轟音とともに吹き飛んだ。
「逃げるなよ?コレがお前の決めた道なんだからなぁ!!」
血と埃に塗れた英雄を挑発する改式は、伊佐凪竜一の元へと向かう。両者の距離が縮まる度にズシン、ズシンと周囲が揺れる。
「逃げるつもりは無いッ」
「あぁ、ソレで良いさ。信じてたぜ、お前はこの程度じゃ折れないってなぁ」
「何が言いたいッ!!」
「腑抜けたテメェに勝つ事に何の価値も無ェンだよ!!」
改式が叫び、地面を蹴り飛ばした。伊佐凪竜一目掛け猛然と飛びかかるその手には巨大な剣。肉厚で、分厚い刃。威力など語るまでもない。
再び、両者が激突した。改式が手に持った巨大な剣を躊躇いなく振り下ろす。割れる地面。が、伊佐凪竜一の姿はない。20メートルを超える改式が2メートルに満たない標的というサイズ差に、桁違いの速度と反射神経が加わるのだから命中など夢のまた夢。攻撃は紙一重で回避された。
とは言え、無傷とはいかず。横に飛び退いたは良いが、圧倒的な重量が叩きつけた衝撃に足を取られ、粉々に砕け散った瓦礫に視界を奪われる。その隙を、改式は逃さない。振り下ろしが回避されるや瞬時に横薙ぎへと切り替える。
追撃。
が、鈍色の刃は虚空を切る。崩した体勢を無理に戻さず、そのまま倒れ込みながら回避した。分厚い刃は伊佐凪竜一の上空をギリギリ掠めると、傍に立っていた街灯と家屋を薙ぎ倒す。
「チョロチョロと、ゴキブリかよッ!!」
連撃を回避された改式は苛立つ。家屋に叩き込んだ剣を強引に戻すと、切っ先を伊佐凪竜一へと向ける。が、その位置に彼の姿は既に無く。苛立つ改式の横で、レンガ製の家屋がガラガラと音を立てながら崩落、土煙を上げた。
「何処に行きやがったッ!!」
怒号。姿を見失った伊佐凪竜一への怒りが、改式から噴出する。しかし悪手。感情に支配され、冷静さを失った男は巨躯の死角に逃げ込んだ伊佐凪竜一に気付かない。あるいは付け焼き刃か。己が操縦する機体の大きさに不慣れという隙は、伊佐凪竜一の数少ない優位。
次の瞬間、剣閃と共に改式の右脚部が切断された。
「痛ぇじゃねぇかこの野郎ッ!!」
改式が、痛みに叫びながら大きく体勢を崩した。が、転倒する無様は晒さず。寧ろ攻撃に転じる。転げそうな体勢のまま強引に地上から空中へ飛び上がると、左腕の巨大な銃を地上目掛け撃ち込む。
実体型の弾丸は巨大な発射音と共に一直線に進み、風を切り裂くきながら伊佐凪竜一の傍を掠め、後方へと消え去ると地面を抉り、突き刺し、最後に一際大きな音と衝撃を生み出した。直撃こそ避けた。が、衝撃波を避ける事までは叶わず。彼の身体は吹き飛ばされ、枯葉の様に宙を舞い、道路を面白いように転がる。
「鬱陶しいッ!!」
「なら其処から降りろ!!」
仕留め損なった山県大地の吐き捨てる様な叫びが改式から零れる。吹っ飛ばされた伊佐凪竜一はその言葉に反射的に反論した。睨み合う両者。先に動いたのは、山県大地が操る改式。
伊佐凪竜一の言葉に機体の動きを一端止めると、損壊した右脚部を根元部分から切り離した。ドスンと言う鈍い音に続き土煙が舞い上がり、重なる様に灰色の光が灯ると、新しい脚部が改式の腰部に接合した。破損が完全に修復された。黒雷と同じ機能だ。霧散する残光に浮かぶ改式を、立ち上がった伊佐凪竜一は睨みつける。
「あー、なんだったかなぁ。そう、正々堂々と拳で勝負……って話か?」
改式から嘲笑混じりの声が聞こえる。笑いを堪え切れず、今にも吹き出しそうな印象を受ける。違和感が、心に滲む。
機体から降りるのか、降りないのか。男の言葉と性格から判断すれば、確実に後者を選ぶ。山県大地は伊佐凪竜一との決着に拘る。無論、勝利も込みでだ。ならば生身になど選択肢に入らず、話を聞く必要さえない。
伊佐凪竜一の額を、一筋の汗が伝う。改式にも搭載されていた部位交換機能への焦りか。このままではジリ貧になるのは明白。短期決戦で落とさねば、背後から挟撃される可能性が生まれる。武装を持たない大雷では、オレステスの黒雷を相手に時間稼ぎしか出来ない。クシナダを撃墜すれば、返す刀で確実に乱入してくる。
「ハハハッ、ハハハハハハハ……残念だったなぁ。ソイツはちょいと無理な話しなのさ!!」
山県大地は堪え切れず、遂に笑い出した。当然の回答。馬鹿正直に相手に有利な条件を選ぶ必要など無い。競技でもなければ決闘でもない、ただの殺し合いなのだから。しかし……
ズシン――
山県大地が有利を投げ捨て、地上へと降下した。改式の重量を受け止める鈍い衝撃が、地面を伝う。改式は伊佐凪竜一の目の前、目と鼻の先に降り立った。何を考えているのか分からない。伊佐凪竜一の表情はそう物語る。一方で千歳一隅。好機を投げ捨てた理由は不明だが、早々に決着をつけるべき相手が目と鼻の先にいる。
が、動かない。動けない。山県大地は笑いながら、あろうことか片膝をつくと操縦席を解放した。
「まぁこう言うこった。"コレ"が今の俺さ。あの日お前が集めたカグツチって力は俺の願いを聞き届けた。だが、ほんの少しだけだった。生き返りはしたが、俺の寿命はほんの僅かしか伸びなかった。だからこうしたのさ!!後悔はねぇ、あのままじゃあ勝てそうに無かったからなぁ!!」
それまでの疑問が吹き飛ぶほどの光景。同時に違和感の正体。何故、改式が痛みを感じたのか。操縦席を見た伊佐凪竜一の視線は泳ぐ。呆然と、唖然と、放心状態で、口から何一つ言葉を出すことなかったが、やがて一点をジッと見つめた。
開け放たれた操縦席内部には"誰"もいなかった。少なくとも、人と認識する要素を持った存在は其処には居なかった。唯一つ、透明な液体の中に浮かぶ脳が収められた容器が、操縦席に該当する部分に取りつけられていた。
容器の周囲には夥しい機器と配線。その光景が、この手の知識に疎い伊佐凪竜一の脳裏に明確な答えを描く。脳が機体を制御しているであろう事、その脳こそが山県大地だという事。この男は肉体を捨て、改式を代替の肉体とした。
勝利と言うたったそれだけの目的の為に身体を捨てた。文字通りの、捨て身。
彼は漸く理解した。自らの脳を機械へと移植した男は知っている筈だ。自らを想う女性が居る事を。どれだけ些細であっても、目的があれば人は生きていける。そして、その女性は男の目的足り得た筈だった。しかし男は伊佐凪竜一との決着の為に生身の身体を、己を縛る全てを躊躇いなく投げ捨てた。
「どうして其処まで出来るんだお前はッ!!」
伊佐凪竜一は理解した。山県大地の覚悟を、自身との決着に拘泥する男の決意を。しかし、"理解出来る"と"納得は出来る"は同義では無い。
「コレが俺の願いだからさ!!何も無い、人生全てをたった一つの目的に塗り潰された俺に生まれた唯一の願いだからだ!!」
「嘘つけ、お前本当はッ……」
「黙れッ!!もう俺達の決着はこれ以外につかないんだよ!!俺を理解すると言うならどうすればいいか分かるだろッ。さぁ、構えろ!!」
その言動に、伊佐凪竜一は山県大地の中に自らとの決着以外の何かを目的にしているのではないかと考えるに至ったのだろう。だから叫んだ、止まって欲しいと心から叫んだ。しかし、届かない。改式は立ち上がると武器を構えた。もうこの男に言葉は届かない。故に、力で決着を付けねばならない。
非常と断ずる事など出来ない。自らの意志では止まれない人間を止める為には、時に力を振るわねばならない。今が、その時。山県大地には恐らく伊佐凪竜一との決着以外の道も見えていた筈。だが、終ぞ選ばなかった。あるいは
伊佐凪竜一は刀を握り締めた。倒す為ではない、男の意図を汲む為に。たった1人の男の我儘の為に自らを不利へと追い込む。
「俺は今この時まで自分の生き方を選べなかった!!だが!!俺は今生きているんだ!!自分が望むままにッ!!お前は、お前なら理解しているだろッ。散々見てきた中にも居ただろッ。何やっても、誰がどう説得しても止まれない変われない奴がッ。世の中には変われない、止まれない奴がいるンだよ!!強い、弱いじゃない。意味や価値の有る無しでも無い。俺の生き方なんだ。言葉なんて軽いモンじゃ止められないんだよッ。だから、全力で掛かってこい!!」
「馬鹿野郎ッ!!」
「そんな事は百も承知だよ大馬鹿野郎ッ!!」
もう自分では止められない。山県大地の生き様は、私の脳裏に別のある男の影を映し出した。清雅源蔵。タナトスが仕組んだ戦いを利用してツクヨミと共に宇宙に上がる事を夢想した男は、その夢の果てに伊佐凪竜一とルミナに討たれ、散った。その男の生き様が、改式を己が肉体とした男に重なる。男は自らの選択に囚われてしまった。ならば彼がすべきは一つしか無い。
両者の意志が、激突する。伊佐凪竜一が躊躇いなく振り抜いた刃と、山県大地そのものである改式の巨大な剣がぶつかり、大きな衝撃と火花を生む。
同時刻――
カラン、と大聖堂の鐘楼が微かに揺れ動いた。大聖堂の反対側に発生した大きな衝撃に鐘が、建物が、空気が震える。もう1つの戦いを告げる合図。戦うは大雷を駆るクシナダと、黒雷を駆るオレステス。
が、黒雷への高い操縦適性を持つオレステスが相手では分が悪い。更に大雷は儀式機という性質上、武装が搭載されていない。彼女に出来るのは時間稼ぎが精々。儀式機を守護する筈の黒雷は躊躇うこと無く大雷に攻撃を加える光景に、群衆は固唾をのむ。
運命の時が、刻一刻と近づく。果たして彼女はどれだけ時間を稼げるのか。伊佐凪竜一と山県大地の決着は付くのか。儀の阻止は成るか。無数の視線と意志が、大聖堂に注がれる。
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