桃花に誓う~鬼に拾われた桃太郎~

玖珂李奈

第1話 桃から生まれた桃太郎

 やいばの冷たさを、薄紙一枚の空気を挟んで首筋に感じる。

 男は、ぎらりと光る太刀を俺に向けて口を開いた。


「小僧。この島まで何しに来た」


 静かな口調でそう言われただけなのに、震えが止まらない。手から刀が滑り落ちる。唇も、喉も、思うように動かない。


「鬼、退治を、しに、来ました」


 言い終わると同時に恐怖のあまり涙が零れる。

 分かっている。目の前にいる男こそ、「鬼」なのだろう。

 大柄ないかつい体つきに濃い眉と髭。真っ白な鉢巻。着物は粗末だが寸分の乱れもない。俺の村に度々現れる「鬼」と呼ばれる人達の多くは、このような姿をしている。


「ふむ。そうか」


 太刀が首筋から離れる。たまらず地面に膝をついた。ごつごつとした岩が膝に刺さる。


「ところで小僧。見たところお前は一人で舟に乗ってここまで来たようだが。まさかと思うが、本当にわしらを退治できるとは思っておらんよな」


 頷こうとしたが、俯いたまま顔を上げられなかった。

 傍らに落ちた刀を見る。俺が住む家の宝物庫の隅に打ち捨てられていたこの刀は、錆が浮いていてぼろぼろだ。そもそも俺は、刀の扱い方なんか知らない。今日初めて手にしたくらいなのだ。


「こんな刀一つで『鬼ヶ島』と言われるようなこの島に来た。その度胸だけは大したもんだ。おい小僧。名はなんという」

「桃太郎……」


 俺の名を聞いて、男は、ほう、という声を上げた後、大きな体を屈めて俺の視線に合わせた。


「そうか、成程な。『桃太郎』の『鬼退治』だったのか」


 穏やかな低い声が胸に響く。顔を上げると、太い眉の下にある目は優しげに細められていた。




 「桃太郎」。

 よその村は知らないが、俺の村では長男以外の男が生まれた場合、名前は皆「桃太郎」になる。「母親からではなく、桃の実から生まれたような子供」という意味らしい。

 つまり、「その家の子ではない」、ということだ。


 跡継ぎになる長男や、嫁ぐ際に相手の家から支度金が貰える女と違い、次男以下は穀潰しの厄介者でしかない。だから余程裕福な家でもない限り、次男以下の男は特定の名前を与えられず、一生家の下働きとして使われる。支度金が必要な結婚などもってのほかだ。


 それでも俺は、昨日までは自分の境遇を仕方ないと受け入れていた。それなのに。

 「鬼」の締め付けが厳しくなり、俺の住む家は生活に困るようになった。そのため、ついに俺も「鬼退治」という名目の間引きの対象になってしまったのだ。

 錆び刀一振りだけ与えて小舟に乗せ、海へ流す『鬼退治』。鬼ヶ島に流れ着くかどうかは、おそらく問題ではない。

 まさか、十五の歳になってこのような目に遭うとは思わなかった。


 なんで生まれてしまったのだろう。

 大揺れの舟の中で自らの吐瀉物にまみれながら、何度も同じ思いが頭をよぎっていた。




「桃太郎。ここでへたり込んでいても腹の足しにならないだろ。とりあえずうちに来い。何か食わせてやる」


 男は立ち上がって太刀を収め、俺に手を差し伸べた。


「そんな……。だって、俺、あなたに刃を向けたのに」

「あはは。あんなもの、『刃を向けた』うちに入らんよ。それにお前、本当は『鬼退治』なんかしたくなかったんだろ」


 豪快に笑い、俺の頭をぽんと叩く。その手は大きく、分厚く、そしてあたたかかった。




 鬼ヶ島は、島全体がひとつの山のような形をしている。「鬼」と呼ばれる人達は、頂上付近に住んでいるそうだ。


 ごつごつとした道を歩きながら、俺と男は互いの境遇について話し合った。


 俺の村に住んでいる人の多くは、「柴刈り」と「洗濯」を生業としている。

 家族単位で近隣の豊かな町へ出向き、店の売り物や宝物を奪う「柴刈り」と、それを闇商人に流して金に換える「洗濯」。

 それが「いけないこと」なのは知っていた。だが、両親や兄夫婦が行う柴刈りと洗濯によって食わせてもらっている桃太郎の俺に、何かを言う資格はなかった。


 男は、自らも含めた鬼のことを「木端役人こっぱやくにん」だと言っていた。

 偉い人の命令で、柴刈りで奪われた物を取り返したり、洗濯を防いだりしている。その際、相手に手を上げることが殆どだ。

 その容赦ない様子を見て、俺達は「鬼」と呼んでいるが、男はそれが嫌だと顔をしかめた。

 



 集落に入ってしばらく歩き、小さな家の門をくぐった。

 俺が住んでいた家の半分もない大きさだ。ささやかな庭には一本の桃の木があり、薄紅色の花がふっくらと咲いている。


「桃太郎」


 男は俺に向かって微笑んだ。


「お前のその名はな、本当ならとても良い名なんだ」


 桃の木を指さす。


「桃の木は見た目良し。は食って良し、嗅いで良し。そんな桃から生まれたなんて、素晴らしいことじゃねえか」


 俺が返す言葉を見つける前に、男はにっと笑って俺の背中を軽く叩いた。


「さ、ここが儂の家だ。上がれよ」


 家の中に向かって声を上げる。


「おおい、希滋きじ、帰ったぞお。客も一緒だあ」

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