第1話 イヨーカの森
1話 イヨーカの森
――世界の北側に位置する大陸にディザイガ城がある。
ディザイガは数々の騎士団を所有し育成もする。その城下町である城都ディズドは大きな騎士学校を構えている。
「――おい、早くしろよ」
騎士学校寄宿舎の門前で、騎士学校の制服を着た淡い赤髪の少年が振り返った。
「うん。今行くよ」
それに返答したのは赤髪の少年と同じ制服を着たもう一人の少年。プラチナブロンドの髪が襟足でクルンと外跳ねをしている。
「今日の試験突破すれば晴れて騎士団に所属できるぜ」
銀髪の少年が隣まで来たのを合図に赤髪の少年、ロウファ・アシュトンは歩き出した。
プラチナブロンドの少年もまた隣だって歩き、
「…確か、『イヨーカの森』に潜む魔物の退治だっけ」
腰のベルトに備え付けてあるポーチから羊皮紙を取り出して実施項目を確認する。
「お前、そんなのいちいち確認してるの?」
ロウファが隣の少年を一瞥し苦笑すれば、
「…大事なことだよ。一歩間違ったら大変だし」
言い返すプラチナブロンドの少年。
「はいはい」
隣の少年の言葉を軽く促して、
「――で? 場所はどこだっけ? 用意周到なジャスティスくん」
「…僕、さっき言ったよね?」
ロウファに『ジャスティス』と呼ばれた少年のジャスティス・グランヌは呆れたように溜息をつく。
「分かってるよ! いちいち揚げ足取るなよ」
そんな軽口を互いに言い合い、二人はディズドから東に続く陸道を進む。その少し先にイヨーカの森があり、道中は何事もなく一刻ほどで目的の森に着いた。
――森の入り口にはディズドの騎士学校の生徒が試験を行うための下準備としてキャンプ跡地がある。
「ラッキー。キャンプできるぜ、なぁジャスティス」
ロウファは早速丸太が置かれただけのベンチに腰を下ろした。
ジャスティスはというと――
備え付けの焚き火に薪を追加し火を興すべく『呪文』を唱え始める。両の掌を焚き火の上で掲げ、『魔法』の源であるエレメントの属性、火を明確にイメージして精神を高めてから、右手の人差し指と中指の二本を立てて赤い光球を作り出す。
「赤と火に連なる四神、朱雀(スザク)」
詠唱とともに、先ほど発生した赤い光の球で菱形を描く。
「永久なる炎の依り代を具現化せよ」
次の詠唱では、左手の指二本で、菱形の上に普通の四角形を重ね描いた。そして──二つの四角形の頂点を、右手の指二本で結び赤い光の八角形を作り出す。その八角形を前に押し出す形で包み込む。これで八芒星(オクタグラム)の完成。
この作業は、『魔術』を唱えるための詠唱動作でありこれをしなくても魔術は唱えられるが、それには相応の精神力と魔力が必要となり、一般的にはこの詠唱動作を用いる。
焚き火の真上で赤い光線で作られた八芒星が淡い輝きを見せる。その光はジャスティスの精神と共に呼応するかのように徐々に輝きを増して――
「…ホウガッ」
一呼吸置いてジャスティスは『術』を唱えた。
瞬間――赤い八芒星が拳大の『火』で生成された球体に変化する。その火球はゆっくりと焚き火の薪に降りていき薪は勢いよく燃え始めた。
「…お前ってさぁ」
そのジャスティスの行動を見守っていた(?)ロウファが徐に口を開く。
「そういう所、丁寧だよなぁ」
砕けた感じで言ってはいるが、別にジャスティスを馬鹿にしてる訳ではない。純粋に感心しているだけだった。
ジャスティスには伝わったのか、
「…こういうの、嫌いじゃない」
照れたように破顔した。そのあとに、
「でも…、剣とか戦いはあまり向いてないけどね…」
と、少し落ち込んだ。
「まぁ、得手不得手はあるわな」
ジャスティスの落ち込みを払拭するようにロウファは宥めてみるが、
「ロウファは、槍が得意だよね」
にこりと笑いロウファの隣に腰掛ける。そして木でできた器を『はい』と手渡す。
いつの間に淹れたのだろうか――淡い水緑の温かい液体が注がれていた。
「お前、これ…」
「ハーブティーだよ。疲労回復と保温効果あるから」
ロウファがチラリとジャスティスを見れば、彼は唇を尖らしフゥフゥとお茶を冷ましていた。
「苦くはないよ、ロウファ、苦いの嫌いでしょ?」
一口飲んでから漸くロウファを見る。
「あ、ああ…ありがとう」
小さく頷いてロウファもジャスティスに倣うようにハーブティーを口に含んだ。
仄かに甘い――。ハーブのはずなのに独特の臭みや苦味はなく、口当たりがまろやかだった。
「美味い、な」
素直に感情を口にすれば、
「よかった」
柔らかく安堵された。
「……」
ロウファは隣に座るジャスティスの顔をまじまじと見つめた。
昔から――と言うよりはお互い一緒に遊ぶようになってから、このジャスティスが醸し出す独特の柔らかい雰囲気にいつの間にか魅了されていた。
癖か性格か、感情があまり表立つ事のないジャスティスは普段からホワホワしているように思われがちだが優しく気遣いに長けている。
そんな彼の性格を一番良く知っているのは自分だけだと思うと少し誇らしくもある。
だから、幼い頃からの遊びの延長で二人は性行為をしてしまった。その行為自体、ロウファもジャスティスも後ろめたいとは思っていない。『友』であるなら欲を満たすのも『友』でいいだろうと言う、所謂手近な性欲処理――ヤリ友のような感じだった。
ロウファは思ったよりも甘かったハーブティーを一気に飲み干し、
「…なぁ、ジャスティス」
敢えて名前を呼んでみる。
「なに?―…っん…」
ジャスティスがこちらを向いた瞬間に唇を奪った。
少し驚いたジャスティスだったが、いつもの事なのでロウファの口付けをすぐに受け入れた。
お互い軽い啄むようなキスを堪能したあと、どちらからともなく口を離した。
「…なに? 急に……」
ジャスティスの声が少し低いトーンに変わる。彼は感情が顔に出ない分、声色で意思表示をしてる所がある。
ちょっと機嫌を損ねてしまっただろうか――だが、どうしてもヤりたい欲情に駆られてしまい、
「…シたくねぇ?」
何とも下品ではあるがジャスティスに聞いてみた所、少し目が見開かれて、
「……」
一瞬無言になりロウファの言葉の意味を理解したのだろうか無表情な瞳を向けたまま、
「今、ここで?」
低い声色を変えずに聞き返してくる。
「なんだよ、嫌なのか?」
「…そういう、訳じゃないけど――」
ジャスティスがそこで言葉を切って持っている器に視線を戻した。
ロウファは『じゃあ、いいだろ』と、ジャスティスが言葉を切ったのを見計らい続けようとしたがそれは彼によって端的に遮られた。
「今は、嫌だ」
「ナァんで!?」
不意をつかれたように感じロウファは変な声が出てしまった。
「……、はぁ…」
ちょっと不貞腐れ気味になったロウファに、ジャスティスは重い溜め息をついた。
「…今、実施試験中だよね? それにここスタート地点」
次に、静かではあるが少し早めの口調。言葉の端々に苛立ちが見て取れる。
「…ぁ、ああ」
ロウファは思わず頷いた。
ヤバい。怒らせただろうか――この目の前の少年、ジャスティスは喋り方や口調、声の抑揚で喜怒哀楽を表現する。長年一緒にいるせいか、知ってしまった彼の癖。
早口で言われている内はまだあまり怒っていない。
本当に怒らせた時、ジャスティスは『沈黙』する。それも徹底的に、だ。
なぜ分かるのかと聞かれれば――実際に『経験』したからだ。
発端は些細な事だったが、ジャスティスを怒らせたと分かった時には遅かった。彼は約二ヶ月あまりロウファと口を聞かなかった。それは無視ではなく、完全な『拒絶』。
その時に知った。他の友に嫌われるよりジャスティスに拒絶される方が一番恐ろしい。
いつしか――ジャスティスに対して恋心を抱いていた。それを面と向かって彼に言ったことはまだ無い。
言ったら、今の関係が崩れそうで――怖かった。
いつかは思いを伝えたい。
でもそれは『今』じゃない。
これ以上ジャスティスを怒らせたくなかったので、
「…俺のほうこそ、悪かったよ」
ロウファは素直に謝った。
「うん」
ジャスティスは頷いて立ち上がる。徐にロウファの耳元に顔を近づけて、
『ここじゃない所ならシてあげるから』
甘く囁いたのち――
「早く終わらせよう?」笑顔で言う。
「―……ッ」
ロウファは顔を真っ赤にして飛び上がるように立つと、
(…それは反則だろっ!)
焚き火の後始末をするジャスティスの背中に心中悪態をつき、二人は再び歩き出した。
人口である森の道を中腹まで来ただろうか――鬱蒼と樹々が生い茂り少し菌類の臭いが風に舞って流れてくる。
「…、…ゴホ、ゴホゴホ……」
ロウファは思わず左腕の袖口で口元を覆い咳き込んだ。
「…大丈夫? ロウファ」
ジャスティスはロウファの背中をそっとさすってやる。
「ああ、大丈夫だ。それにしてもーー」
額から垂れる一筋の汗を拭い上を仰ぐロウファ。
「……うん…」
ジャスティスもロウファに倣い視線を上に移した。
「…ちょっと歩いただけなのに……」
顎に伝う汗を手の甲で拭ったジャスティス。
「ああ。入口とは打って変わって鬱蒼としてきたな」
同じ事を思ったのか、ロウファはジャスティスの呟きに続いて言葉を紡いだ。
「…ぅ、ごほ…ッ」
再びロウファは咽せた。
「ロウファっ、本当に大丈夫?!」
あまりにも咳き込むロウファに、ジャスティスは心配になって小さな悲鳴めいた声を上げる。
「…ぅ、大丈夫……」
とは言うものの、呼吸が乱れ息が荒い。
「ちょっと待って」
ジャスティスは肩掛けの皮袋から水筒(両掌くらいの大きさの、こちらも皮袋)を取り出す。水筒は学校支給のものだ。
「とりあえず、水分……」
「いや、いい」
差し出された水筒を軽く突き返すロウファ。
「…ロウファ……?」
「それ、お前のだろ?」
訝しがるジャスティスに言うロウファ。
「俺、自分のあるからーーちょっと、取ってくれ」
と、背中に担いだ皮袋をジャスティスに向けた。
「あ、うん。ちょっと待って…」
言われた通りにジャスティスはロウファの皮袋から自分と同じ水筒を取り出しロウファに手渡した。
「ありがとう」
と、一言うと、ロウファは動物の牙で出来た栓を外し、飲み口を自分の口に目掛けて水筒の袋を絞るように握った――途端に圧縮された袋の中身から紫色の液体が噴出されロウファの口に入り喉を潤した。
「お前も飲んでおけよ」
「うん」
ロウファに言われ、ジャスティスもまたロウファと同じようなやり方で喉を潤す。
ロウファやジャスティスがこのような飲み方をするのは、携帯する水筒は回し飲みすることが多く、飲み口を直に付けず飲むのが一般的であり、旅人などもよく行なっている作法のひとつ。
大人はエール(酒)が多いが、大体はベリーを絞ったジュースやヤギ乳だったりする。
「…ふぅ、少しはよくなったな」
ロウファは水筒を袋(荷物を入れる皮袋)に入れる。
「まあ、キノコっぽい臭いは抜けないけどな」
「…うん。あんまり質の良くないキノコだね」
そんな会話をしつつ二人は再び歩みを進める。
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