汗のにおい
連喜
第1話 形見
今やペットは家族の一員だ。もはや、家族の中心にいると言っても過言ではない。俺が子供の頃の昭和50年代なんかは、ペットは家にとりあえずいるという感じだった。犬は庭につないでいて、猫は家と外を出入りするようなスタイルで飼われていたと思う。すべての家庭がそうだったわけではないけど、それが普通だったと思う。
俺の実家の近所にうつ病の女の人が住んでいた。名前はAさん。母と昔からの友人で、お互いの家を行き来していた。確か学生時代からの友達だったそうだ。母は私立の女子高出身だった。俺の母親の世代で、そんな学校を出ている人は少ないから、2人ともお嬢様だったんだろうと思う。
小母さんは独身で猫を飼っていた。それこそ子どもみたいにかわいがっていて、いつも高い餌を食べさせていた。彼女自身は生活保護を受けていたのだが、猫には体にいい物を食べさせたかったんだろう。住んでいたのは、ボロボロの借家だったが、猫はロシアンブルーという品種できれいな毛並みをしていた。もしかしたら、血統書付きだったのかもしれない。名前は小洒落ていて、シェリー。ロマン派詩人のシェリーから来たんじゃないかと思う。でも、雌猫だった。
俺がなぜ、その人の暮らしぶりをそんなに知っていたのかというと、小母さんの家によく行っていたからだ。月に1回くらいは、おかずや貰い物のおすそ分けを届けるように頼まれた。よく、電話も掛かってきていて、俺が出ることもあった。電話は毎週くらいあったと思う。母は、Aさんから電話がかかってくると長いと文句を言っていた。母はAさんのことをよく思っていなかったが、頼って来られると、気の毒で相手をしなくてはいけないような状況になっていた。他の友達には敬遠されてしまい、母以外とは疎遠になっていたからだ。
しかし、俺が小学生の頃、その女性がいきなり自殺してしまった。理由はわからないが、以前から母親に、死にたいと電話がかかってきていたようだ。いろいろ苦労の絶えない人生だったようだった。若い頃に結婚を約束していた男性とは破談になり、30を過ぎて外出が難しいような病気を発症。資産家の令嬢だったが、詐欺に遭って全財産を失ったりと散々だった。詐欺にあわなかったら、多分、一生お金に困らなかったような境遇の人だったそうだ。しかも、その詐欺事件で、兄弟が持っていた土地まで取られてしまったから、親族とも疎遠になっていた。
ある時、彼女は入院するからと、猫をうちの母に預けていた。母は面倒だったと思うけど、気の毒だから猫を預かった。その時に、自殺をしてしまったそうだ。猫を道連れにはできなかったようで、遺書が残されていた。それには、お金が同封されていて、『猫の世話をお願いします』と、書いてあったらしい。普通はこんなことをされたら、かなり迷惑だが、母はAさんが聞いているかもしれないと思ったのか、特別文句は言わなかった。
猫はうちの母親にもまあまあ懐いていたと思う。母はそのまま猫を飼い続けていた。わりと人懐っこい猫で、飼っているうちに可愛いと思うようになったらしい。
でも、餌はAさんが与えていた高級な食材ではない、普通のキャットフードになった。
時々、母は言っていた。
「猫飼ってるとネズミがいなくなるっていうけど、そうでもないわね」
うちの家にはネズミがいて、床下や天井を走り回っていたけど、その猫が捕まえて来たことはなかった。
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